第9話 滅失は、世界を砕く反逆となるか。

 空間の軋む音。

 シュルツの体を浸食していた黒き恩寵が消し飛ばされていく。黒魔術師が展開していた力が一瞬にして消え去っていた。


「一体何者なの‥‥‥だ? 我が恩寵を一瞬で消し去るなど不可能であるはずだ」

「お前に教える必要などない」


 シュルツの紅き連樹子によって黒魔術師の右半身が削り取られていた。黒魔術師がバランスを崩し、よろめく。その黒魔術師を庇う様に異形獣が咆哮を上げて飛び込んできた。生臭い息と獰猛な声がシュルツの頭を噛み砕かんと迫る。その裂けた口から垂れ流される涎と真っ赤な口腔がシュルツの視界全体を埋め尽くしたが、シュルツの連樹子によって呆気なく異形獣は消されてしまった。その獰猛な気配の残滓も断末魔さえもがなく、異形獣など初めからなかったかと錯覚してしまう程に、後には静けさだけが残されていた。

 シュルツの右前方で黒魔術師の息をのむ気配に、シュルツは左手を差し向ける。その動作に先程とは打って変わった男の声の戸惑いが漏れた。


「我らが恩寵を掻き消すなど‥‥‥その紅き力は、まさか! いや、そんなはずはないっ」


 震える声。突きつけられた事実を否定しようとするが、それを上回る恐怖に戦意が崩れ行く。黒魔術師の態度は、既に実存強度でシュルツのそれを遥かに上回っている絶対的強者が示すものではなかった。黒魔術師に僅かに残った矜持だけが後退りするのを咎め、恩寵を使用した反動で実存強度を大きく減らし、その一部が壊死してしまった体。その体に再び黒き恩寵を展開させようと力を喚び出す。

 だが、それよりも早くシュルツの連樹子が黒魔術師の胸に深々と突き刺さった。ココのもとに行こうとする敵はすべて殺す、その意志のままに。

 シュルツの手だけでなく、彼の体に接する空間のあらゆる所から伸びていく紅き連樹子は、彼の思うままに自在だった。


「黒魔術師。お前はただ跡形もなく消え去るべきだ」

「信じぬ、信じられぬっ! 聖女様ですら成し得なかった連樹子。それを人形がらくたごときが手にするなど―――」

「終わりだ」


 突き刺さった連樹子が爆ぜて、空間ごと黒魔術師を存在滅失に至らしめる。肉体も魂も輪廻に還ることなく、この世界から消え去ったとシュルツには確信できた。

 黒魔術師の魂が滅失し、その体にとらわれていた幾万もの魂が黄色の蛍火となって天に上っていく。その蛍火はこの世界の輪廻に戻り、また新たな生命として巡っていくのだろう。その蛍火を見上げならシュルツは、この世界は僕とは違うのだと幾ばくかの寂寥感が胸を通り過ぎるのを感じた。


 静けさが戻った窪地に火山ガスの結晶石群が揺らいでいる。シュルツは周囲を『測波』によってエーテルの気配を探ったが、もはや敵対する何者も存在しなかった。この場所で活動しているのはシュルツと、低い唸り声を上げている制御魔動器だけ。


「それでは制御魔動器の制御を解除して、ココのもとに帰りましょう。もっと他に必要なことがあるかもしれませんからね」


 制御魔動器の操作パネルを開き、制御棒を解除に転換する。シュルツに詰め込まれた知識にはココが作製した魔動器の全ての操作方法がある。ただその知識は魔動器に関するものばかり偏在していたが。

 動作状況を確認するため再び操作パネルのボタンを叩く。そこで改めて自分の肌の所々にひび割れが出来ていたのに気付いた。そういえば黒魔術師も恩寵による反動で実存強度が減退し、体に壊死が生じていた。「僕の場合は劣化となって生じるらしい。でも、ココの為になる力ならば構いません」連樹子は世界の法則を否定してしまう力ほどの力なのだと実感できる。その使用負荷が体の劣化で収まってくれるのならば御の字といえた。


 シュルツは自らに備わった自己修復機能を最大値にする。体の劣化をココに見せるわけにはいかない。彼女が悲しんでしまう。「戻るまでに、回復しきってくれると良いのですが」聖霊魔術が使えない彼にとって唯一の機能―――人形体の回復機能は非常に有難いと思った。

 そんなことを思っているうちに、動作状況の進行段階が完了を知らせるアラームが鳴り響く。その音と同時に制御魔動器の先端からエーテルが溢れ出できた。彼はそのエーテルの出力先をココがいる地下施設にエーテル送信の座標を合わせて、


「これで制御魔動器の調整は完了ですね」


 口元に笑みを浮かべて頷く。そして、すぐにシュルツは踵を返し、全力でココの家に向かって駆け出した。先程の黒魔術師は誰かと連絡をとっていた。洩れ聞こえた会話の内容から判断すれば、別動隊がココの隠形結界に攻撃を仕掛けているのは明白だった。農作業用人形のペルン先輩だけでは黒魔術師の実存強度に敵わない。すぐに援護に行かなければココが危ない。

 森の樹草の枝葉がシュルツの行く手を遮るが、かまわずに走力をさらに上げてココの元にシュルツは急ぐのだった。



◇◆

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