刹那の闘い

「この宇宙に最速とありゃ、おめえさん、そりゃ無敵銃士ピサロの他にあるめえよ」


 老人は語った。

 揺り籠の軋みが間欠的に鳴り響いている。瞑目する老人の腰下で寝具は揺れ続け、束の間の夢想は揺曳を続ける。光年を指折る隔ての向こうの向こう、辺境星の軌道上に泳ぐ大陸規模の宇宙ステーションに、かつて【宇宙最強】を標榜する男の訪れたことがあった。

 名はピサロ。器量は頗る良好にして、体躯は青き柳の如きしなやかさ。楚々とした出で立ちと甘いマスクから、銀河中の女を虜にしたと噂の罪な男だ。噂には惑星テラの雌猫までさかりがついて仕様がなかったって具合だから、相当な美男子を思われる。

 腰には2,147,483,647丁のリボルバーを携え、ご自慢の健脚は4,294,967,294本。そんな男だ。おっと、こいつを言い忘れちゃならねえ。女を抱く時の腕は、両の2つだけだった。

 銃士ピサロの立ち寄りには無論、理由があった。男の遍歴は次の通りである。

 銃士はまず、手前の銃の新調のためにガンショップに訪れた。彼が一時期愛用していた名器【VOID-91】とは、実はここで邂逅を果たしていたのである。この時の感想について、彼は晩年の回想録の中で次のように記している。


『炭触端子のとびきりに太い意気軒昂な情婦と行きずりの愛撫を交わすみたいに、俺はこの出会いに豊かなエクスタシーを感じたね。金輪際、この恋人を手放すことはないだろうと当時は思ったものだ』


 彼が過去形でそれを語る通り、情婦【VOID-91】は晩年の彼のコレクションから漏れることになる。


 ガンショップを後にしてから、彼は次に、郊外に構える質素なバーに参上している。この物語の夢想主たる老人は、当時そこで雇われのバーテンダーをしており、その時の銃士の姿を目撃している。まだ二〇代強の若き彼にとって、この時点では銃士のすらっとした身なりは憧憬の的にはなり得なかった。

 銃士は全身デニム姿だった。デニムのサスペンダーパンツに、デニムのジャケットを羽織っていた。下着もデニム製だった。4,294,967,294股の特注下着をお目にかかった幸福な連れ合いは、残念ながら彼の畢生に現れることは無かった。

 銃士の執拗なまでのデニムへの拘りは、彼の回想録の中でも多少なり語られている。


『現職を退いた後は、惑星テラのオカヤマ県西部に構えるデニム工場全部、俺のへそくりで買収しちまって、デニムのグラスでワインを一杯呷るのが生来の夢だ』


 御託はともかく、往時の彼がデニムを纏ったデニムガンマンとして銀河に名を馳せていたのは確かであった。

 彼は店に入るやいなや、てめえんとこのケツに引っ掛けたテンガロンハットをこれ見よがしに目深に被って、さも華麗ですよという足並みで、カウンターのど真ん中を陣取った。

 彼はしばらく眉をひそめ、やがてごくごく悠然とした調子で次のようなことを云った。

「マスター。たこ焼きを一丁。分厚い皮に、お好みソースをたっぷり飛沫スプリンクルしてな」

 宇宙の果てからやってきた美男子が、勿体ぶった挙句にどんな上モノを請うかと思えば、開口一番こんな頓狂なこと言うもんだから、雇われのバーテンダーは思わず頑是ない破顔で鼻を鳴らさずにはいられなかった。

「お客様。当店、そのようなものは取り扱っておりません」

「そうかい、そいつは残念だ」

 眼前の美男子は、豊かな胸郭を広げて、そこに密集した無数の触手のようなものを誇示した。胸毛のように縮れあるが、紛れもなく神経の通っていることの象徴として、それは甚しい躍動を見せていた。

「俺は座烏賊ざいかの末裔だ。タコとは有史以前からの天敵なんだ。タコを奥歯で征服コンクエストするのが、俺の何よりの至福なんだが、まあいいさ」

 座烏賊--かつて、世界を滅ぼす大洪水を泳いだ箱舟にその座を設えられた烏賊のつがい--全ての烏賊の祖先--最後から2番目に、真っ新な地へと降り立った種族--残された方舟をしんがりごと沈めた罪の種族--。沈んだ種族は、未だ人間にその存在すら関知されていない。

「そうですかい。まあ、屋台に売ってるイカ焼きだって座烏賊の末裔には違いねえのさ」

「偉そうに。そんなら、お前は一体なんの末裔だってんだ?」

「宇宙ステーション第三区画に暮らす日銭稼ぎの織物職人の末裔ですよ」

 手元の作業に注視しながら朴訥と返答するバーテンダーに、銃士ピサロは昂然と哄笑を放った。

「お前、第三区画の人間か。それにしては随分と言語に長けるな」

「共通言語の教育は家庭教師に習いました。こう言っては何ですが、あの街では不世出の天才ですよ、私は」

「家庭教師を雇うほどの金があったのか?」

「昔はね。私たち家族は辺境星からの移民なんですが、元々は王族でしたから」

 皿洗いの水しぶきの音が断続的に耳朶を打つ。片手間に語るバーテンダーの顔は、小人の森のような口髭に覆われていた。

「富を捨ててまで来るような場所か? ここは」

「お言葉を返しますよ、高名なガンマンさん」

 バーテンダーがようやく手を止め、銃士をまじまじと見つめた。

「あなたがここに来た理由も同じでしょう?」

「ああ」

 銃士の首肯を認めると、バーテンダーは踵を返し、カウンター奥の闇--フィラメント剥き出しの豆電球が吊るされただけの薄暗がり--へと進んでいった。「ついてくるといい」という言葉に誘われ、銃士も否応なく従った。

「アラベスク祖体ドグマ。紛れもない、シンクロニシティの渦の中心です」

 闇の奥に待ち構えた鉄扉の向こう。案内された部屋は、木造の納屋のような内装をしていた。

 東側の壁には、光源となる藻類が堆く積まれ、眩しいくらいに室内を照らしている。南側はワインセラーになっており、銀河の津々浦々の名酒が整然と並ぶ。まあ、そんなことはどうだってよろしい。室内の明かりと芳香の程度を定義できれば、こんなものは些末な描写に過ぎないのだ。

 問題は、西のにある。そこに描かれているのは、ただ一言、次に尽きる。

 幾何学の模様。それも、究極と言われるまでに構造の均質で、人間大の意匠だ。

「人間の意識における特定のパーツ--とりわけ、美意識や審美眼と呼ばれるモノ--の共通モジュールです。人間の美醜の根本的な判定は、常にこの模様の線上で計算シミュレートされ、雲のような曖昧模糊とした形を持ってレスポンスされる。まあ、座烏賊の末裔たるあなたには無縁なことかもしれませんが」

 座烏賊の末裔は神妙な表情で、幾何学模様の線上を縦横無尽に駆ける瞬きを追った。それは止め処無く流れ、大雑把に言えば循環の構造を持っていた。

「この煩わしい光の芋蟲は、一体何で動いてやがる」

「さあ、動力源は分かりません。私は雇われですから。真相を追いたければ、オーナーの連絡先を教えてもいいですよ」

「いや、結構だ」

 それを言うやいなや、座烏賊の末裔は腰に携えた無数のリボルバーを咄嗟に操って、銃口を一斉に幾何学模様へと向けた。全てのリボルバーは、天から垂れる見えない糸でマリオネットのように吊るされ、不安定な重心で空中に留められていた。

 銃士の表情は、しかしながら、渋面にほど近い。

「何をしてる? 死にたいのか?」

 西側の壁へと向けられた放射状のスコープは、たちどころに幾何学模様の前に割って入ったバーテンダーの身体に漏れなく差さっている。若き男は、後背の猛きアラベスクを庇うように両手を広げ、敢然と不動の姿勢を取った。

 男の表情は、なるべくして、真剣だった。

「祖体を撃ち抜かれればどうせ生きていけない」

 部屋の外からバーの喧騒が漏れ聞こえる。先ほどまでは主客の関係だった二人は、いまや人類の意識の命運を争う仲になってしまった。

「なぜ俺をここに案内した?」

「案内しなければ事件にしたでしょう?」

「......」

「温厚にやりましょう。お互いに。外の人間を巻き込むことはない」





「あなたがアラベスク祖体を狙いに来るのは、何となく知っていました。

 先日、人間の女に振られたそうで。お気の毒に。あなたのような美男子にとっては初めての経験でしょう」

「ああ。どうにもまだ腹の虫が治らねえよ。青筋が川みてえに怒張して、神経がオリンポスみてえに逆撫でされやがる」

「贅沢な悩みですね。ともかく、あなたのゴシップはこちらにも漏れ聞こえて来ました。あなたが人間の美醜の感覚に疑いを持ち始めたことも含め」

「ああ」

「しかし、そんな色事のために、私たちの意識を差し出してやる義理は無い」

「その道理は分かる。命をかけてまでやることか? たかが審美眼の問題だ」

「その答えは人によるでしょう」

「生殖上は必要のねえ機能のはずだろ。なんでそんなものに拘る」

「価値観の違いですよ、座烏賊の末裔さん。私は自分の審美眼に誇りを持っていますし、それをこの上なく愛しています。神の顕れを美しいと思える私の心を」

「だから命をかけてまで、美しさの神の守護者をやるって?」

「守護者とまでは思い上がりません。汚す者あれば立ち塞がる、それだけです。私は一介の巡礼者に過ぎない」

「巡礼ね。で、その結果見つけたのがこんなちんけな図画だったと」

「あなたにとってちんけに見えることまで否定はしません。私にとっては、この出会いは人生にとって最大の幸福なのです。人間の美醜が理性で計算されていると知れただけでも、私は幸せなのですよ」

「人間が単なるモジュールの集積に過ぎないと知ってもか?」

「それ故にです。人間と機械が本質的に同じだろうが、そんなのはどうだっていい。神は敬虔な心を私たちに与え、敬虔な心は幾何学的な理性に基づくと証明された。それだけのことなのです」

「ああそうかい。聞いてられねえよ」

 喧騒の外に、一つの発砲音。




 揺り籠の間欠的な軋轢の音。続く夢想は途切れ途切れに、走馬灯のように流れる。

 【VOID-91】から放たれた弾丸は、若き巡礼者の脇を穿ち、あばら骨に収束した。

 巡礼者の背中から血飛沫が溢れ、後背の幾何学模様を水玉模様に汚す。

 変わらぬ美意識。思い出されるオーナーの言葉。

 『アラベスク祖体? あはは、ただの観光地だよ。たとえ話さ』

 朦朧とする意識。病院の光景。礼拝所へと向かう巡礼者たちの数々。

 流れる涙。ぼやけた景色。


「速度とは、チーターが鹿を狩り食らうまでの俊敏さを指すわけではない。

 速度とは、より大きな時間をより小さな時間が奪う時の、あの対照的な征服コンクエストの関係をこそ指すのだ。一発の弾丸が、連綿と続く大河の如き歴史を奪う、あの氾濫的な悪夢をこそ、速度と呼ぶのだ。

 だから、我らは刹那の闘いをしなければならない。我ら一人一人の小さき者が、我ら全ての大きいものを守るために」

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