第37話 エピローグ

 あれから数日が過ぎた。


 結局、天守てんもりには綾音あやねが就任する事になって一連の騒動には一応の決着が付いた。


 綾音はあの後もたびたびひろしの家に訪れては、試練の結果の話や洋の処遇についてなどを伝えに来てくれて、ついでに勝手にこたつでみかんを食べていたが、洋にはそれももうどうでもいいことだった。


 結愛ゆあの行方。今の洋にとっては、それ以外の事は興味はなかった。しかし結愛がどこに消えたのかは依然として不明で、守の民もりのたみの間ではやはり狭間に飲み込まれたのだろうと結論づけられていた。


 洋はまたごく普通の高校生の日常に戻って、毎日を過ごしている。しかしどこかそれも自分のいるべき場所ではないような気がして、どこか哀愁を感じていた。


 あるいは休みが終わり学校が始まれば、そんな違和感もなくなるのかもしれないが、今はどこか宙に浮いたような気分のままで洋の時間は流れていた。


 家でじっとしているのも気が滅入るからと、今は散策に出ていた。毎日、家の近所を散歩して回るのが日課と課しつつある。


 どこかで突然、結愛がひょこんと現れないかとそんな淡い期待もあったが、それも叶う事なく、日常が押し寄せるだけだった。


 公園の前を横切ろうとして、ふと足を止める。結愛と初めて、いや二度目に出会ったあの公園。噴水は今も変わらず水を吹き出しているが、その上に結愛が立っていたりはしない。


「あははっ。おねーちゃんっ。はやくー」


 子供の無邪気な声が響いてくる。


 何気なく洋は視線を移す。


 滑り台の下で、おかっぱ頭の女の子がはやくはやくと急かしていた。滑り台の上で、どうしたらいいのかもわからずに、立ち尽くしている滑り台を滑るには少々歳のいった少女を。


 紅いセーターと白いフレアのミニスカート。その下にはすらりと伸びた細い素足。やや明るめの色をした長い髪を、サイドだけ三つ編みにして降ろしている。


 ごく普通の可愛らしい少女。そこに立っているのが彼女でなければ。


 少女は、とりあえずぺたんと滑り台の上に腰掛けて、両手で手すりを掴む。


「ふ、ふぇぇ」


 少女は思い切っててすりを離し勢いをつけて滑り始める。ミニスカートが、ふわっとふくらみそうになるのを慌てて抑えて、そしてゆっくりと顔を上げた。


 その刹那、洋と目が交錯する。


 少女は慌てて滑り終える前に立ち上がろうとして、わたわたとバランスを崩していた。


「わ。おねーちゃん。大丈夫ー」


 女の子が呼びかけるが、その声も聞こえていないように、なんとか立ち上がりそして駆け出していた。


「結愛っ」


 洋は思わず彼女の名前を呼んでいた。

 確かに、ここにいる少女の名を。


「洋さんっ、洋さんっ、洋さんっ」


 結愛は洋の名を何度も呼んで、にこやかに微笑んで、そしてどこか照れるように顔を紅に染めて。


「結愛いちごう。特殊任務より、ただいま帰りました帰りました、帰りましたよーっ」


 びしっ額の横に手を当てて、軍隊のような敬礼をしてみせる。


「なんだよっ。結愛いちごうって! じゃ、何かっ、二号とか三号もいるのかよっ」


 思わずつっこみをいれていた。しかしそう言いながらも、次第に浮かぶ笑みは隠せずにいて。照れくさそうに微かに顔を背ける。


 しかし結愛はそんな事は全く気にせずに、ぶいっと大きくサインをしてみせた。


「私、戻ってこられました。洋さんがいるここに。戻ってこられました。信じていたから、信じていてくれたから。洋さんが、私が戻ってこられるって信じていてくれたから。だから戻ってこられました」


 結愛は言いながら、少しずつ顔を崩していく。次第に涙を浮かべて、泣きそうになって。いやもう殆ど泣きながら、それでも涙はこぼさずに、洋の胸の前でぎゅっと服を握りしめる。


 洋はいつものようにぽんと結愛の頭に手をおいて、ますぐに結愛を見つめて。


「ああ、お帰り。結愛」


 結愛へと優しく微笑む。


「あー。お兄ちゃんだっ。約束っ、約束覚えてるよねー」


 その脇からかけられた声。確かに知っている声。結愛だけでも胸の中がいっぱいになりそうだったのに、その声に思わず声が詰まる。


 しかしそれも一瞬のこと。洋はそばにいた女の子へと振り返って、ゆっくりとうなづく。


「ああ。当たり前だろ、さぎり」


 目の前に立つ、おかっぱ頭の女の子へと笑顔で返すと、洋は確かに笑う。


「うん。私、帰ってきたからー、お姉ちゃんが連れ戻ってきてくれたからー」


 さぎりはにこやかに微笑んで、結愛に向けて、ねっと同意を求めていた。


 結愛はえへへと笑みをこぼすだけで、何も答えはしなかったが、その時、洋は全てを理解していた。


 結愛は狭間に飲み込まれたんじゃない。狭間に中に見つけてしまったさぎりを救う為に自ら狭間に向かったのだろうと。あの時、洋が結愛を助けに向かったように。


 結愛はさぎりの気配を掴んでいた。だからさぎりが狭間に飲み込まれそうになっている事に気がついたのだ。


 思わずなのか、それとも天守の座を捨てる事になってもいいと決心をして向かったのか。それはわからないけども、結愛はさぎりを救う事を選んだ。


 馬鹿な奴だと思う。何のために苦労してきたのか、天守になる為の努力が全て水の泡に化すというのに。

 それでも、洋の顔からは笑みがこぼれ落ちていく。そんな結愛だからこそ、信じられたのだと思う。


「結愛。ありがとな」


 洋は思わず口に出していた。


 結愛が天守を不意にしてでもさぎりを救ったのは、恐らくは洋の為なのだろう。


 結愛は天守の一族だ。実のところ妖怪、国津神くにつかみに対しての視線は綾音や冴人と大差はないはずだ。あの時に妖怪とでも友達になれるって驚いていた事からも、それは伺える。


 けれど洋が願ったから。だから結愛は救ってくれた。自分が危険な目に合うかもしれないのに。


「洋さん。私、洋さんがせっかく天守への道を作ってくれたのに無駄にしてしまいました。ごめんなさい」


 ぺこりと頭を下げて、だけどそのまま俯いたまま顔を上げようとはしない。


 やはり天守になれなかった事は辛いのだろうか。結愛は恐らくそれを目指してずっと生きてきたのだろうから。


 本当は何と言葉をかけていいかはわからない。それでも洋は口に出さずにはいられなかった。


「謝る事なんてない。お前がしてくれたこと。俺は嬉しかった。精一杯やっていたと思う」


 洋の台詞に、結愛はまだ頭を上げない。


 少しの間をおいて、それからゆっくりと顔を見せていく。


 涙をじわと浮かべて、泣き出しそうで。


 それでも涙をこらえて、洋をじっと見つめて、一気に言葉を吐き出していた。


「洋さんっ。私。私、がんばれましたか? がんばっていましたか?」


「ああ。がんばったよ」


 洋は結愛の頭にぽんと軽く手を乗せて、静かに微笑みかける。


「えへへ……」


 軽く笑い、洋の手のあった場所をそっとその手で確かめる。


「嬉しいです」


 涙を落とさないようにこらえながら、結愛は小さく笑う。


「私、天守になれなくても構いません。洋さんを認めてもらえたから。洋さんの傍にいられるなら。洋さんが一緒にいてくれるなら、きっともっとがんばれるから。きっと叶えられるから」


 結愛は、まだ目を潤しながらも満面の笑顔を向ける。

 その刹那、洋の胸の中で何かが鼓動する。


「ああ。お前は確かにここにいるから。また何だって出来るさ」


 洋はぽんと再び頭の上に手をおいて笑みを浮かべる。


「私がんばっていましたか。洋さんと雪人との約束守れていましたか」


 結愛は少しずつあふれそうになる涙を漏らさずに、洋をまっすぐに見つめていた。


「ああ。守れていたよ。俺は結愛のパートナーになった。だからもういいんだ」


 洋がうなづく。


 同時に結愛の目にあふれんばかりに水滴がたまっていく。


「泣かないって約束、守れていたなら。もう叶えられたなら。なら……。なら、もう」


 こらえきれない気持ちを抑えながら、結愛は洋へと問いかける。


「もう、泣いてもいいですか」


「ああ。もう我慢しなくていいんだ」


 洋の言葉に、ついに結愛はその目から涙をこぼした。頬をはっきりと伝っていく。あふれ出してもうとめどなく流れ続ける。


「洋さん洋さん洋さん。会いたかったです。会いたかったです。もう戻ってこられないかと思いました。でも、でも、でも。狭間の向こうからでも洋さんの心がずっとつながっていました。洋さんが信じてくれているのわかってました。だから、だから戻ってこられました。洋さん、洋さん、洋さん」


 結愛は洋をじっと見つめる。涙でぐちゃぐちゃにして、崩れた顔のまま。それでもまっすぐに洋を見つめていた。


「ずっと一緒にいてほしいです。洋さんが一緒にいてくれたら、天守になんてなれなくてもいい。洋さんがいてくれたら。もう他に何もいらないです」


 結愛は洋の顔を見上げたまま、ゆっくりと告げる。


「だって。だって私は。私は洋さんが好きだから。洋さんが、好きです。大好きです」


 結愛の言葉に胸がぎゅっと締め付けられるように思えた。


 そして言葉を返そうとした瞬間。


「あーーー、お兄ちゃんお姉ちゃん泣かしちゃだめなんだよ」


 おかっぱ頭の少女が洋の言葉を遮っていた。


「さぎり……!」


「うん。そう、さぎりだよ。お兄ちゃんお姉ちゃん泣かしちゃだめだよ」


「ごめんな。泣かしちゃって」


「もう仕方ないなぁ。気をつけるんだよ。あと、約束したよね。私と遊んでくれるって。だからさっそく遊んでよ」


 言いながら洋の手をぐいっと引っ張って、そのまま公園の中へと連れて行く。


「ああ。わかったわかった」


 苦笑しながらも、洋はさぎりと一緒に歩き出す。


 そのすぐ後を結愛がついて歩いて、えへへっと笑みをこぼした。


「何して遊ぶんだ」


「そうだねー。じゃあ鬼ごっこしよー! ほら、はやくはやく」


「いまいくよ」


 小走りで公園の中へと走り出していく。


 たださぎりの元まで行く前に、洋はあの噴水の前で振り返って告げる。


「俺も結愛が好きだよ」


 告げた言葉は彼女の胸に届いただろうか。


 あの時結愛が立っていた噴水は、今も静かに水を噴き上げていて。


 二人を見守っていた。


                                了




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 あとがき


 ここまでお読みいただいてありがとうございましたっ。香澄翔です。

 これにて「僕にも魔法が使えたら」は完結となります。


 本作楽しんでいただけましたでしょうかっ?

 ここまで読んでくださったという事は、きっと本作を気に入ってくださったのだと思いますっ。

 そうですよねっ。そうにちがいないですよねっ。はい、そうだと決めましたっ。


 なので、そんな本作を気に入ってくださった方にお願いがありますっ。


 もうどんな事でもいいので、一言だけでもかまいませんので、何かコメントしていただけないでしょうか。


 そうしてくれたら嬉しいです。そうしてくれたら嬉しいです。

 大事な事なので二度いいましたっ。


 コメントをしてくださった方にはもれなく私からの愛を届けますっ。届け~! 愛~!

 え、いらない? そんなこといわないで。

 私の愛は富士山より深く、マリアナ海溝より高いですよっ。

 ん。何か違うけど、まぁいいですねっ。


 さてと、ぐだぐだ長く続けてもあれですので。あとがきはこの辺にしておきます。

 最後までおつきあいくださって、本当にありがとうございましたっ!


                        香澄翔



 追記

 僕にも魔法が使えたらのテーマソング「僕が魔法を使えたら」をいただきました。

 youtubeにアップしていますので、youtubeで「僕にも魔法が使えたら」または「僕が魔法を使えたら」で検索してみてください。素敵な曲が聴けますよ!

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僕にも魔法を使えたら 香澄 翔 @syoukasumi

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