第34話 もうひとりの自分

ひろし、洋。こっちにおいで』


 声はどこからともなく響いてくる。


「俺を呼ぶのは誰……だ」


 洋はどこか定まらない声で答えると、ハタと気が付いて辺りを見回した。


 真っ暗で何も見えない。そもそも自分がどこにいるのかもわからない。何も無い空間にぼんやり浮かんでいるような、不可思議な感覚に包まれていて。それでも洋はしっかりと地面に立っている。


『僕は君だよ』


 声は確かに答えた。聞こえてくるのだから、この声が洋のものであるはずがないのに。


「俺は……俺だ」


『そう。君は君、そして僕は僕だよ。でも、僕は君の一部でもある』


 つぶやいた言葉に、声はうなづく。

 こいつは何が言いたいのだろう。思わず首を傾けそうになって、ふと思い出す。


「それより結愛ゆあは。ここは!?」


『ここは君の心の中。深い場所。そして霊力の源。僕は君を助けにきた』


 その声はやがてゆっくりと姿を現し、一人の男を象っていた。


「誰……だ。お前が今の声の主か」


「そう。僕が君を呼んだんだ。存在が失われようとしてる君を」


「……?」


 男の言葉に洋は首をひねらざるを得ない。何を言っているのか全くわからなかった。


「かつて僕は、いや僕を生み出した『僕』は君の記憶を封じた」


 男はただ淡々と語り続ける。


「もういちど君は結愛と出会って記憶を刺激されて思い出し始めた。だから僕は君達を確かめに現れた。僕は君の中に、ずっと眠っていたんだ」


「何を言ってるんだ」


 洋はふと口を挟んでいたが、しかし男は気にも止めようとはしない。


「僕は君を認めるよ。君と結愛の二人が、確かに繋がっているって、今の君達なら届くかもしれない」


 男は洋へと手を伸ばす。慌てて避けようと思うが、身体がうまく動かない。


「無理をしないで。君はもはや殆ど力を無くしているんだ。でも安心していい。いまから僕が君の中に還る。もともと僕は君の一部だったから、君は失っていた力を取り戻す。でも君と分かれて暮らした時間は、とても楽しかった。殆ど喋られなかったけど、意識を通じる事は出来たよね」


「お前、まさか」


 やっと理解していた。取り戻した記憶と、今起きようとしている事実を知って。


「そう。僕はみゅうだよ。いまは君の心の中にいるから、こうして話す事が出来る」


 みゅうはにこやかに微笑みながら、ゆっくりと告げる。


「僕はもともとは雪人ゆきとの意識の欠片なんだ。君達が確かに心をつなげているかを確かめる為に、君と結愛くんが看取った猫の姿を借りて現れた。すこしばかり成長はしていたけどね」


 みゅうは静かに告げると、にこやかに微笑みかける。


「君達は僕が思っていたよりも、ずっと深く結びついていた。だから僕は君を認めてる。そしてね、雪人は僕を作る際に君の力の一部を使った。いつでも君をみていられるように。だから僕は君でもある。


 君はでも今、全ての力を失いつつある。だからいまから僕の力を全て君に還すよ。そうしたら君は帰るんだ。結愛くんの元に」


「それって。みゅう。そんな事したらお前は」


 洋が驚きの声を上げるが、みゅうは全く気にもしていない様子でゆっくりと手を伸ばした。その手の先が洋に触れると、そのまま洋の中に溶け込んでいく。


「いっただろ。僕は元々、君の一部だったんだ。ただ君の中に還るだけ。それに僕はあくまで雪人により生み出された存在に過ぎない。僕が消えても雪人が消える訳じゃない。何の問題もないさ」


「ばかな、お前はお前だろ」


 殆ど姿が消えかけていたみゅうに向かって、それでも洋は叫んで。だけど。


『洋さん。戻ってきて……帰ってきて欲しい』


 その瞬間。強い感情が洋の中に飛び込んでくる。それは確かに結愛の、想い。


「ほら、結愛が君を呼んでる。君と結愛の心は深く結びついていた。消えなかった記憶の中で。だから」


 みゅうはゆっくりと告げて、にこりと微笑み。そして。


「……結愛を頼むよ」


 みゅうは小さな声で言う。

 そして、消えた。洋の中へ。


「みゅうーっ!」


 叫ばずにはいられなかった。







「勝負あったわね」


 綾音あやねの声が遠くから聞こえてくる。

 勝ち誇るでもなく、威張るでもなく、ただ淡々と事実を告げる声。


「綾ちん」


 結愛が綾音の名前を呼ぶ。洋の前から一歩も動こうとはせずに。


「結愛。私はね、貴方が現れた時すごく嬉しかった。天才、天才って騒がれて別格視されて、いつでも特別扱いされてきて、誰も私には敵わなくて、張り合う相手もいなくてつまらなかった」


 綾音の声は静かな、あまり抑揚のないどこか一本調子の言葉。だけどその唇が微かに震えている。


「貴方が現れて私に追いつき追い越そうとしていた時、私は初めて焦りと恐怖と。そして喜びを感じたの。なのに、貴方は彼を選んで。力の殆どを失った」


 淡々と告げる声。なのにその中にどこか含まれている感情を確かに感じ取れていた。


「だからあの時、俺をみにきたのか」


 洋はつぶやく。


 いつかこたつでみかんを食べていた二人。あれは結愛が誰を選んだかを見に来たのではなく、結愛の力を抑えている人間を確かめにきたのだろう。


 心の中で思いながら、ゆっくりと洋は立ち上がっていた。


「洋さんっ」


 結愛は大きく叫んで、洋の胸の中に飛び込んでいた。もう半ば泣きかけて、涙がじわとにじんでいる。けれどその涙を必死にこらえていた。


「まだ倒れてはいなかったのね。……そうよ。結愛が力を失った事で、私はまた独りに戻った。初めはその理由もわからなくて、とにかく悲しかった。でも、この子が今回の試練を受けると聞いて驚いて、やっとわかった。貴方の存在を初めて知ったの」


 綾音は洋をじっと見つめていた。まるでどこか嫉妬しているかのように。

 綾音は指先で自身の髪をいじりながら、小さく溜息をつく。


「貴方と結愛は確かに結びついているのね。二人が信じ合えなくて智添ちぞえとして認められなければ昔の結愛に戻るかと思っていたけど。残念ながらそれは無理だったみたいね」


 綾音は静かに、しかしどこか震える声で言葉を紡ぎ出していく。


 ぞく、と洋の背に冷たさが走る。


 何か聞いてはいけないものを聞いているような気がする。


 だが時間は止まらなくて、確かにつながっていた。


「でもあの子を戻すには、まだ一つだけ方法があるの。洋くん、貴方が死ぬ事。智添と天守てんもりのつながりは心だから。死ねば、心がなくなってつながりを失う。ね、そうでしょ?」


 綾音は、にこやかな顔で告げる。

 確かな恐怖に彩られていた。


「貴方がどうしてもういちど立ち上がってこられたかはわからないけど、さっきのは殺すつもりはなかった。今まではあれでも手加減してたもの。でも今度からは本気でいくわ」


 綾音は言い放つと、後ろへと飛んだ。距離を取って印を結ぶ時間を稼ぐつもりだろう。

 洋は無言のまま綾音を追う。だが綾音もそれを手招いてみてはいない。


風矢ふうやっ」


 唱えた言葉と共に、風の塊が洋へと向かう。冴人が使った雷撃の術の風バージョンだろう。

 風には色がない。昔の洋ならば風の動きは掴めなかっただろう。しかし。

 洋は風を右手で払いのける。風の向きが代わり、壁に激突に煙を上げた。


「霊力が元に戻ってる? なら、これはどう」


 再び綾音が風の術を唱える。

 だがその術は洋まで届くことはない。


「何を」


 ばんっと、洋の足元で風が弾ける。

 その瞬間、土煙が一気に上がり、綾音の姿を覆い隠していく。


「目隠しかっ」


 しかし構わず洋は煙を抜けた。


「いきなさい。そん


 綾音の八卦はっけが招来される。風の刃が幾重にも洋へと襲いかかった。


 だがそのことごとくを洋は避け、あるいは打ち落としていく。


 まっすぐに前へと駆け抜けて、あと一歩で届くかというところまで辿り着いた。


 その時。


「いけ、しん


 冴人の声が響く。左手から雷撃が襲う。

 このまま綾音に向かえば雷撃を避けきれない。仕方なく洋は反動を利用して真後ろへと飛ぶ。


 雷撃がそこを通り過ぎていた。それはわずか数秒の出来事だっただろう。


 だがそれだけの時間があれば、綾音には十分な時間だった。


けんしんそんかんごんこんてんたくらいふうすいさん八卦はっけより選ばれし者。互いを合わせ、さらなる力と化せ。いきなさい。風雷益ふうらいえき!」


 あの時使った、大成たいせいとかいう八卦を二重に掛け合わせる術を解き放つ。


 雷と風が一体となって洋を襲う。


 だがいちどはこの術を受けた。なんとか力を振り絞れば耐えきれる。


 洋はそうふんで、全身に力を集めていた。今はみゅうから受け取った力が確かにみなぎっている。簡単にはやられるつもりもない。

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