第9話 小鬼ふたたび

「で。飯も終わったし、もうすっかりいい時間だ。そろそろ帰らないとな」


「ふぇ?」


 結愛ゆあはよく分からないといった様子で首を傾げている。


 よくもまぁ毎回同じリアクションで飽きないものだと洋は思うが、たぶん結愛は飽きる事など知らないのだろう。


「もうお家いるじゃないですかー」


「ちがうって。お前がだよ。で、こいつどうする? 連れてくか?」


 足元で丸まっていたみゅうの首元をひょいとつまみあげる。小さく「みゅう?」と鳴き声が聞こえた。


「そっか。そうですよね。私も帰らなきゃ。でも大丈夫かな。ひろしさん」


 なにやら思案しているようで、腕を組んで首を傾けたかと思うと、突然動きだして洋の周りをぐるぐるぐると回り出す。そしてぴたりと動きをとめて、くんくんと洋の匂いを嗅ぎだした。


 またか、またなのかと思いつつも洋はもはや何も言わない。変に止めても逆に厄介な事になる事は間違いないしだ。


「うーんうーん。大丈夫、かな。でも、私いたし。有り得ないとは言い切れないかなぁ」


「ああ、お前の住んでる場所がどの辺なのかしらないけど。近くまでは送ってってやるから心配するな」


 時間はちょうど八時を回ったくらいだ。さすがに外は暗い。この辺りは街灯も少ないし女の子の一人歩きは危険がないとは言えない。いくら『まほー』が使えるとはいっても、心配には違いないだろうと洋は思う。


 しかし意外な事に、結愛は洋の言葉に思いっきり首を振っていた。


「ふぇぇ。だめですっ、そんなの。だめですだめですっ。危険すぎますっ」


「なんだ思ったより信用ないんだな、俺は。別にお前を襲ったりしないって」


「そうじゃなくて洋さんが帰り道に一人になっちゃうから」


「はは、バカだな。俺は平気だって」


「ふぇ」


 結愛はしばらくの間、何か思いふけっていたようだが、何か納得したのか小さくうなづく。


「わかりました。洋さんがそう言うのなら。私、帰ります」


 ぺこりと頭を下げる。


 そして二人ゆっくりと帰路についた。





「じゃあ、ここまででいいです。ありがとうございました。……気をつけて帰ってくださいね」


 バス停まで送り届けると、結愛は再び頭を下げる。何でもここからバスでしばらく走ったところに家があるらしい。


 洋の家からバス停までは少し距離があったが、そう離れているという訳でもない。洋にとっては何か心配がある程の距離でもなかったが、こういうのは気持ちだしな、とも思う。微かに嬉しくはあった。


「ああ。お前も気つけろよ。服は今度返してくれればいいから」


「はい! あ、バス来ました」


 私鉄の駅まで向かうバスに乗り込むと、結愛はぶんぶんと手を振って洋を見ていた。と、バスが走り出した瞬間、かくんと転びそうになって慌てて近くをつかんでいるのが目に入る。


「あいかわらず変な奴」


 しばらくはバスの行く先を見つめていたが、やがてバスの姿が見えなくなると、くるりと背を向けて元きた道を帰りだす。


 家までは徒歩で十分ちょいというところだ。閑静な住宅街の中を抜けていく事になる。


「よし、帰るか。みゅう」


「みゅーっ」


 肩に乗せていたみゅうが大きく返事する。本当に返事したのかどうかは定かでないが、タイミング良く鳴いたのは事実だ。


「案外、お前、言葉がわかったりしてな」


「みゅー」


「お、そうか。わかるのか。なかなかすごい奴だな、お前」


「みゅう」


 しかし考えるとくだらない会話だな、と思いつつも洋は軽い笑みを浮かべながら、ゆっくりと歩き出した。


 初め結愛はみゅうを連れて帰るつもりだったのだが、みゅうがどうしても洋から離れようとしなかった。


「ふぇ。よほど洋さんが気に入ったんだね、みゅう」


「みゅーっ」


 なんて会話の後、結局みゅうはとりあえず洋の家で飼う事になった。洋の家は一軒家なので別にペットを飼う事に禁忌はない。


「俺は猫なんて飼った事ないから世話の仕方なんか知らないけど。ま、なんとかなるだろ」


 洋は肩にしがみついているみゅうへと軽く視線を移すと、再び帰り道を歩き出す。


 その瞬間だった。


「ふーーっ」


 突然、みゅうが威嚇の声を上げた。


「どうした、みゅう」


 辺りを見回すが特に変わったものは見あたらない。猫には人に見えないものが見えると言うが、それにしても唐突な唸り声だ。


「何もないぞ」


 洋がそう言って再びみゅうへと目を向けた瞬間だった。


「ファーッ」


 みゅうが突如、目の前に向かって飛びかかる。そこに何かがいるかのように。だが何もないように見えた空間で、確かにみゅうの身体は弾かれていた。


「みゅっ」


 小さな悲鳴を上げて、ごろごろと地面を転がっていく。


「どうした、みゅう」


 洋が叫んだ瞬間には、みゅうは立ち上がりその空間に向けて威嚇を続けていた。どうやら怪我はないらしい。


「何だ、何が……」


 呟いたその時。目の前の一点がぼんやりと白く光る。そしてその真ん中から、黒茶の肌をした小さな鬼が浮かび上がっていた。


「こいつは?」


 家で見たものと同じ、結愛が『ぷちおに』と呼んだそれだった。


 次第にはっきりと姿を現したかと思うと、ニィと口を開けて牙を立てて笑う。


 ぞくり……と洋の背に冷たいものが走る。先程は結愛が一瞬のうちに退治してしまったので実感もなく恐怖も感じはしなかった。


 しかし今、一体一で対峙してみればわかる。人に有らざるもの。その鋭い牙は、洋の喉くらいは簡単に噛みちぎってしまうだろう。


「何か、武器になるもの」


 素手では勝てない。洋は直感で悟っていた。かといって住宅地にそんなものがそうそう落ちているはずもない。


「……みゅう、逃げるぞ」


 威嚇を続けているみゅうをさっと手にとると、まだ動きだそうとはしない小鬼に体当たりするように突っ込む。いま背を見せたらやられる。それだけは何故か分かった。

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