35 窮地からの大脱出です
「君たち。お兄ちゃんの存在をお忘れだな?」
岩場のかげから姿を現わしたイシュタッドは、くっつく二人に面白くなさそうな顔を向けた。
「ルルといちゃいちゃしたいなら、服を着替えて、飯食って、俺様に『妹さんを真剣にお慕いしているんです』って土下座してからにしろ。まずは、崖をのぼって安全にユーディト地区を出るところからだ。ここは敵が多すぎる」
「そうでしたわね」
ルルはノアから身をはなして考えた。
ここから港は遠いので、泳いでいくのはほぼ不可能だ。
沖にいる船に助けを求めるのも避けたい。ジュリオの息が掛かった船員たちに、聖教国フィロソフィーの聖王と王女だと気づかれれば、簀巻きにされて海に落とされるだろう。
助けを待つのは期待薄だ。誰もルルたちがここにいることを知らないのだから。
「八方塞がりね……。お兄様みたいに、サバイバル生活を送るしかないかしら?」
「私がお役に立てると思います――」
ノアは、二角獣へと変化した。片方の角が折れた黒い体躯は、キルケゴールみたいにしなやかで、彼より少し大きい。
『ルルーティカ様をいただいたので、消耗していた魔力が回復しました。ユーディト地区の外に出るくらいまでなら、お二人を乗せて空を飛べます』
「ありがとう、ノア。お願いするわ」
「それくらいしてもらわないと妹をくれてやった甲斐はないよな。よいしょっと」
イシュタッドは、近くの流木に片足をかけて、ノアの上にまたがった。乾いたショールを肩にかけたルルは、引っ張り上げられてイシュタッドの前部に、横向きなって座る。
ノアは、フシュッと不満げな息を吐いた。
『飛んでいる最中に私の機嫌を損ねたら、遠慮なく振り落としますので気を付けてください。イシュタッド陛下』
「ご指名か。口を閉じてりゃいいんだろ?」
『ええ。ルルーティカ様が落ちないように、抱えて差し上げてください。ルルーティカ様は、できるだけ毛玉になっていてください』
「がんばるわ!」
毛布がないので物理的に持ち運びやすい形にはなれない。だが、巣ごもり生活で鍛えた丸くなる筋力はあるので、たてがみに顔を埋めてノアにしがみ付いた。
『行きます』
ノアは翼の性能を確かめるように、バサリバサリと羽ばたくと、軽やかな足どりで海の上へ駆け出した。
スピードが上がっていくのに比例して、ルルの髪は真後ろにたなびいていく。
助走が十分ついたところで翼を広げると、受けた風が揚力となってノアの体を持ち上げた。海面を離れたノアの脚は、空を踏みしめて進んでいく。
内臓が宙に浮くような無重力感に襲われたルルは、顔を上げて感嘆した。
「空を飛んでる……!」
日の光にきらめく海が下方に広がり、荷の上げ下ろし用のクレーンがついた大型船は、地図上の模型のように散らばっていた。
あんなに遠かった空はすぐ側にあり、もくりとしたまばらな雲とすれちがう。
「なんて綺麗なの……」
「身を乗り出すと落ちるぞ。ノワール、ルルのためにゆっくり目に進んでくれ」
『はい』
ノアが速度を緩めてくれたので、ルルは、イシュタッドに支えてもらいながら、大空を堪能した。
石造りの建物が詰め込まれたユーディト地区を回り込んで、黒い煙を上げて走る汽車を追いかける。この先に、カントがある。
城塞が見えてきたところで、前方から黒い一角獣が空を駆けてくるのが見えた。
乗っているのは、黒い騎士服に身を包んだ少女だ。
「アンジェラ!」
ルルが手を振ると、アンジェラは手綱を引いてキルケゴールをなだめた。
「ルルーティカ。無事でよかった! お前まで行方不明になったって号外が出されて、カントが大騒ぎになっちまったんで、探しに行こうと思ったんだ。……そっちの男は?」
「この人は、イシュタッドお兄様よ」
片手を挙げるイシュタッドを、アンジェラは、恨みのこもった瞳で睨んだ。
「とっくに死んでると思ったのに。ノアはどうしたんだよ?」
「後で説明するわ。今は、キルケシュタイン邸に戻って、体制を立て直しましょう」
ルルは屋敷がある方を指さして、天啓を得た聖女のように言い放った。
「そして、ジュリオとマキャベルの悪事を明るみにするのよ!」
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