29 言えなくても大好きです

 司教の前進を止めたのはノアだった。

 険しい顔で、相手の胸に鞘を押し当てている。


「この方に不躾に触れようものなら、その汚い手を切り落とす。ルルーティカ様、馬鹿騒ぎに付き合う必要はありません。行きましょう」


 ノアに手を引かれて立ち上がったルルは、食堂を後にした。

 司教たちが追ってこないか心配だったが、彼らはノアの全身から発せられる殺気に怯え、大司教までも気圧されて動けずにいた。


 足早に宿へ辿りつく。「おかえり」という女将に生返事をして、階段を駆け上がって部屋に入ったノアは、閉めたドアに押しつけるようにして、ルルを抱きしめた。


「ノア?」

「……腹が立ちました。貴方をうばおうとした、あの男たちに」


 ルルを抱きしめる力が、きゅうっと強くなった。まるで人に盗られそうになった宝物を抱える子どもだ。

 いたいけな独占欲を感じて、ルルの胸もまた、きゅうと切なく締めつけられる。

 

(ノアは、どうして、わたしを、とられたくないの?)


 聞きたいけれど聞けない。

 王位継承者としてジュリオを制すため、また兄イシュタッドを探す使命を担うために、そば仕えの騎士ノアはぜったいに必要だ。


 王女と騎士の関係性を越えてしまえば、ルルは何もかもを放り出してノアに甘えてしまう。


 彼の腕のなかは温かくて、毛布に包まれているよりもずっと居心地がいい。

 抱きしめられていると安心して、日向に置いた砂糖菓子みたいに、とろとろに溶けてしまいそうになる。


(ノア、大好きよ)


 でも言えない。もどかしくて、ルルはノアの胸に自分の顔を押しつけた。



◇ ◇ ◇



 教会訪問で疲れた体をお湯で清めてネグリジェに着替え、ノアの腕のなかで眠っていたルルは、真夜中に目を覚ました。

 どこからか、自分を呼ぶ声が聞こえた気がしたのだ。


「……だあれ?」


 小声で呼びかけるが返事はない。灯りの落とされた部屋にはしっとりした闇が下りていて、となりで眠るノアの小さな寝息しか聞こえない。


(――こっち)


 またも声がした。耳ではなく、頭のなかに。

 ルルは、魔力を通じて、この声を受信しているようだ。


 こっそりベッドから下りたルルは、肩にストールをかけて部屋を抜け出した。

 声に導かれるように歩いて行くと、例の研究所跡が見える広場へ辿りついた。


 草原には、一角獣ユニコーンがポツポツと飛来している。昼間はいなかったのにと目を凝らして、こんな真夜中に、草原を見渡せるはずがないと気づいた。


「これも、魔晶石を通じてみたお兄様の映像と同じく、過去の光景なんだわ」


 声は、映像は、ルルに何を伝えようとしているのだろう。


 ルルは、柵を乗り越えて草原に足を踏み入れた。

 伸び放題になっている草を踏み締めながら、海に向かって進んでいく。

 一角獣の幻影は、ルルがそばを通りすぎると、役目を終えたとばかりに消えていった。


 やがてルルは、崩れて風化した元研究所の前に到着した。


「この辺りには、爆発事故によって良くない魔力が溜まっているっていうけれど、そんな感じはしないわ……」


 正面玄関をくぐると、額の傷跡がツキリと痛む。


 思い出すのは、事故が起きた日の研究所のことだ。


 ルルは、幼いながらも王女として、ここを表敬訪問していた。

 ノアの父親であるキルケシュタイン博士に施設のなかを案内されて、人工魔晶石がどういうものなのか説明を受けた。


 人工魔晶石は、宝石に魔力を人為的に封じ込めることで、その魔力が尽きるまで天然の魔晶石と同じように使える、博士独自の発明だという。


 ――その魔力は、どこから持ってくるのですか?


 ルルの無邪気な質問に、博士は微笑んで答えた。


 ――無尽蔵の魔力を持つ『一角獣の王』が協力してくれているのです。


 休憩時間に出されたユニコケーキに舌鼓を打っていると、どこからともなく泣き声が聞こえた。


「今のはなに?」


 従者が席を外していたので、ルルは一人きりで部屋を出た。

 声の主を探していくと、研究所の最奥にあった立ち入り禁止の部屋で、真っ黒な二角獣バイコーンの子どもを見つけた。


「わぁ……!」


 生まれて初めて見る二角獣に、ルルは魅了された。


 頑丈そうな檻に入れられた二角獣は、片方の角が折れていて可哀想だ。

 檻の上部には、蛇腹パイプがつながれていて、ボコンボコンと奇怪な音を立てながら魔力を吸い上げている。


 博士の説明をつなぎあわせて考えると、人工魔晶石に封じ込められているのは、この魔力だろう。


「あなた、無理やり捕えられているの?」


 ルルが話しかけると、二角獣は赤い瞳から涙をこぼした。

 黒い体はぐしょぐしょに濡れている。

 ずっと前から、ひとりきりで泣いていたのだと思った。


「待っていて!」


 ルルは、檻がある部屋を見回した。どこかに鍵があるのではないかと思ったが、高い天井も、磨き上げられた石の壁にも、そういった類いのものは見つからない。


 ぐるりと檻の周りを走ったルルは、部屋の入り口近くにレバーを見つけた。誰も手も触れないように、半球状のガラスカバーで覆われている。


 これは魔法だ。普通の人間ならば太刀打ちできない。

 だが、王女であるルルには魔力があった。

 王族のなかでも、特に強いと称賛される、とっておきの力が。


 ルルは、自分の魔力でガラスカバーを壊し、レバーに手をかけた。


(これで、あの子を助けられる!)

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