27 王女の旅は刺激的です

 朝になって再び汽車に乗りこんだルルとノアは、半日ほどでユーディト地区へ辿り着いた。

 古い駅舎には、主席枢機卿マキャベルの彫像が置かれていて、彼のおかげでこの地区の経済はうるおっている、と褒めたたえる内容の石碑も添えられている。


 道を歩けば、屋台にはマキャベルの名前が刺繍されたハンカチが売っていたり、顔だちが焼き付けられたクッキーがあったりと、地区全体で彼を崇めているようだ。


「まるで王様みたいな扱いね」

「国の政治を動かす立場なので、ある意味、聖王よりも王のようなものでしょう。形骸化していた王座におさまらなかったイシュタッドの存在は、マキャベルにとって邪魔だったと思います」


 駅にあった地図を頼りに、海に向かって通りを歩いて行く。屋台はじょじょに少なくなり、建物がとぎれて視界が開けた。


 立ち入り禁止の看板と長い柵。

 その向こうの広大な草原のなかに、崩れかけた建物が見える。


「ルルーティカ様。あれが元『ユーディト研究所』です」


 建物は、大きなスコップでえぐり取られたように壊れていて、ガラスがはまっていただろう採光窓の類いはすべて抜け落ちていた。

 爆発の威力がいかに大きかったか忍ばせる。


 ジクリと額が痛んで、ルルは傷跡に手を当てた。

 ここで負った怪我が悲鳴を上げているようだ。忘れたことはない。あの日のことは、昨日のことのように思い出せた。


 事故の恐ろしさをこらえながら、ルルは目を凝らす。

 辺りの光景は、魔晶石を通して見た映像とそっくりだ。


 兄イシュタッドはここに来ていた。

 しかも、ルルが立っている場所よりも、さらに研究所跡の廃墟近く。崖から海を見下ろせるような位置に。


(どこにいるの、お兄様)

「そこは入っちゃだめだよ」


 ぎゅうっと柵をつかむルルに、観光協会のたすきを掛けたおばさんが話しかけてきた。


「向こうに見えるのは、人工魔晶石の研究をしてた施設でね。爆発事故が起きてから、魔力の良くない影響があるってんで、誰も立ち入れないようになってるのさ。無視して入っちまうと『二角獣バイコーン』に追っかけられるって噂もある」

「二角獣、ですか?」


 二角獣は幻の存在だ。たまに目撃例があがるものの、木の枝と一角獣ユニコーンが重なって見えたんだろうと片付けられる、幽霊みたいなものである。


 おばさんは、ユーディト地区の地図を差し出して言う。


「なんでもあそこは、二角獣を捕獲して、人工魔晶石に魔力を込める実験をしていたらしいよ。事故で研究者はみんな死んじまって、二角獣も見つからなかったから、作り話だと思うけどね。あんたら、宿が決まってなかったらうちにおいでよ。二つ通りの向こうで、海の幸を使った飯が自慢の民宿をやってんだ。ユーディトの昔話もたくさんしてあげるよ」


 宣伝を終えたおばさんは、大きなお尻をふって去って行く。

 ルルは、再び研究所跡に視線を戻した。


「お兄様はあそこにいるかもしれないわ。こっそり中に入れないかしら?」

「昼間は人目があります。夜に行ってみますか?」

「そうね。でも、その前に」

 

 ルルは、町側に向き直った。ユーディト地区の街並みから飛び出した尖塔を見上げる。


「あそこに行かなくちゃ。マキャベルの後援をしている、ユーディト地区の教会よ。私は、修道院にいた頃、あちらこちらに手紙を出していたんだけど、あそこからは一度もお返事が来なかったの」


 兄イシュタッドのすすめもあり、慈善訪問できない各地の教会へのお詫び状を送ると、たいていの教会はお礼文と近況を添えた返信をくれた。

 だが、ユーディト地区の教会からは、返事が返ってくることはなかった。


 ノアは、手袋をはめた手を顎に当てて考える。


「聖教国フィロソフィーの王女殿下への礼節を欠くとは、教会らしくありません。教会ぐるみで王族への反発心がありそうですね。マキャベルがジュリオを推している状況とも繋がります」

「そうなのよ。だから、思いきって前に出てみようかと思って」

「前に、とは?」

「私が『ルルーティカ王女です』って出て行ったら、相手の反応が露骨に分かるわ。王族への反発心があるんだったら、その理由はなんなのか確かめておきたいの」


 アンジェラが一角獣保護法によってイシュタッドや王族を憎まなければならなったように、ユーディト地区の教会の行いにも理由があるはずだ。

 どこに不満を持っているか、なにを改善してほしいか、現地でしか聞けない意見に耳をかたむける義務がルルにはある。 


「教会関係者に身分を明かせば、また危険な目にあうかもしれません。この場で暗殺される危険性もあるかと」

「心配はいらないわ。ユーディト地区で王女が襲撃されるのは、城下のカントで誰の手先か分からない暴漢に襲われるのとはわけが違うの。教会関係者は――マキャベル枢機卿も含めて、地元に悪評がつくのを嫌がるはずよ」


 ルルが危惧していたのは、道行きで襲われることだった。誰にも知られずに始末されて、聖王候補がジュリオしか残っていないとなれば、それこそ彼らの思うつぼだ。


 アンジェラとキルケゴールのおかげで追っ手を回避して、ユーディト地区に辿り着けたらば、あとはもう自分の立場をもって立ち向かうしかない。


「ここまできたら、身分を明かして正々堂々と王女として振る舞った方が危険は少ないの。ただの旅行者として行動して、秘密裏に殺されでもしたら、行方不明になっているお兄様の二の舞よ。二人きりだからこそ、先手を打たなきゃ」


 覚悟を決めたルルの背はピンと伸びている。

 巣ごもり成分を感じさせない立派な王女の姿に、ノアは瞳を揺らして一礼した。


「ルルーティカ王女殿下。聖騎士ノワールが貴方をお守りします」

「ええ、よろしくね。ノア」

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