15 聖女のおしごと

 カントの外れにある古びた教会に、黒い一角獣ユニコーンに引かれた客車が乗りつけた。


 馭者をしていた黒髪の青年が昇降口をひらくと、淡い水色のドレスを身につけた美しい少女が下りてくる。

 その後ろには、同乗していたショートヘアの女性が連なる。青年と女性は同じデザインの黒い騎士服を身につけていて、ほほえむ少女の左右で目を光らせた。


 少女は、王位継承者として注目されているルルーティカ・イル・フィロソフィー王女殿下。二人の若者は、まだ聖王になっていないにもかかわらず、彼女に忠誠を誓った近衛だという――。


 この日、王女が教会を慈善訪問するという情報をつかんだ新聞記者は、魔晶石を入れたライトを照射して、淑やかに歩く姿を激写したのだった。


「――ぷはっ! 窒息するかと思った」


 石造りの門扉をくぐって物陰に入ったルルは、大きく息を吸い込んだ。

 みんなが期待する『王女ルルーティカ』――毛布に包まって毛玉になるようなことは一切ない――を体現するため、息すら忘れて歩くことに集中していた。


 苦しそうにゼーゼーするルルの背を、付き添ったアンジェラがさする。


「ルルーティカ、歩きながらでも息ぐらい吸っていいんだぞ」

「息をしながらシャンとするなんて、器用な真似はわたしには無理! いつなんどき、巣ごもり生活のうちに体に染みついたカーブが、表に出てきてしまうか分からないもの!」


 一歩踏み出すごとに、ぐにゃんと丸くなっていく王女。

 その姿を写真に撮られると思うと、想像するだけで冷や汗がでる。


 ルルの体には、一度折り曲げた紙のように毛玉状になる癖がついているのだ。

 ジュリオの対抗馬になりうるご立派な王女に、そんなだらしないイメージを付けて、国民を失望させるわけにはいかない。


 理想は、背筋をシャンと伸ばし、目は斜め四十五度の角度で伏せ、口元は微笑みをたたえて、しずしず無言で歩くこと。これが以外と難しいのだ。


「市場づてに流した情報でしたが、記者が食いついてよかったですね」


 ノアは、閉じた門扉の隙間から表をのぞき見ている。

『第一回ルルをどうにかして王女っぽく見せる会議』のあと、すぐさま仕立屋に注文した騎士服を着こなす彼は、どこぞの国の王子様のようだ。


 金の飾り紐を横に渡したジャケットと膝上のロングブーツは黒く、左肩から下がるマントと留め具につけた宝石は、ルルーティカの瞳と同じ青色。

 聖騎士団の制服だった白より、ずっと彼に馴染んでいる。


 似合っているのはアンジェラも同じだ。正々堂々とした剣士としての風格は、とても前職が暗殺者だとは思えない。


 たった二名の騎士団だが、王城から借りた客車とルルの体当たり演技の効果もあり、ルルーティカ王女が強固に守られている印象は与えられたはずだ。


(イメージ戦略は大成功ね)


「記者は立ち去りませんね。帰り際にも写真を撮るつもりなのでしょう。訪問はどうだったか、感想を聞かれるかもしれません」

「いい答えを考えておくわ」


 教会の奥から、壮齢のシスターが現われた。


「ようこそおいでくださいました、ルルーティカ王女殿下。わたくし、こちらの教会でシスター長を勤めているベスでございます。ご訪問いただけて光栄です」

「私も訪問できて嬉しく思いますわ。イシュタッド陛下が修道院に送ってくださるお手紙に、よくこの教会の話題が出てきていましたのよ」


 兄イシュタッドは、人が来にくい場所にあったり、枢機卿団との繋がりが弱かったりする教会を、積極的に引き立てていた。


 拝礼者や観光客が少ないと、枢機卿がばらまく助成金の対象から漏れてしまう。すると、とたんに教会の運営は厳しくなるのだ。

 そういう場を訪問して、困ったことがないか聞き出し、相応の援助をしていた。


 ルルを入れる修道院も、イシュタッドが決めた。

 条件は、枢機卿団に踏み荒らされない男子禁制で、昔ながらの神聖なる祈りを重要視しており、商売っ気がないために運営費に困っているところ。

 そういうところなら、持参金と毎年の生活費を国から送られる王女の身柄を、丁重に扱ってくれるだろうという打算で。


「年に数回イシュタッド陛下がご来訪され、気遣ってくださるおかげでこの教会は成り立っているのです。心から感謝しております」


 シスター・ベスの説明で、聖教国フィロソフィーが建国した一千年前に作られたという一角獣像を見学したルルは、中庭へと案内された。


 春の野花が咲いている原っぱでは、よちよち歩きの子どもから、もうじき十五才の成人間近と思われる少年少女まで、二十人ほどが遊んでいる。


「あの子ども達は?」

「教会で預かっている孤児です。あの子たちに寝る場所と食べる物を与えられるのも陛下の援助のおかげですわ」


 子どもはルル達に気づいて近づいてくると、クリクリした目で見上げてくる。


「お姉ちゃん、だあれ?」

「みんな。この方はルルーティカ王女殿下ですよ。いつも来てくださっているイシュタッド陛下の妹君です」

「はじめまして。みなさん」


 ルルは膝を折ってしゃがむと、集まった孤児一人一人に視線を合わせた。


「今日はイシュタッドお兄様に代わって、みなさんに会いに来ました」

「じゃあ、お姉ちゃんがかわりに遊んでくれるんだ!」


 イシュタッドは訪問ついでに孤児との遊び相手もしていたらしい。

 ルルも遊んであげたいが、着てきた外出用のドレスと靴は動きづらいので、土のうえを走ったり隠れたりはできない。それを察したノアが前に出る。 


「ルルーティカ様、私がやります」

「大丈夫よ。この格好でも花摘みくらいならできるわ」


 ルルは、孤児のなかでも特に幼い二人に左右の手を引かれて、中庭に出た。

 ノアとアンジェラも引っ張られていき、かけっこや鬼ごっこに興じた。


 子ども達のキャッキャと楽しげな声を聞いていると、心が安らぐ。

 政治的な争いの渦中にいることを忘れてしまいそうだ。


(お兄様もそうだったのかもしれないわね)


 ルルは、幼い二人といっしょに、白いかすみ草を摘んでブーケを作っていく。


「イシュお兄ちゃんはどうして来られないのかな」

「きっと風邪ひーたんだよ。一角獣みたいに」

「……一角獣が、風邪を?」


 ルルが聞き返すと、二人はこっくりと頷いた。


「さいきん元気ないのよ。ねー」

「ねー。イシュお兄ちゃんも気にして、よく教会の裏に行ってたの」

「教会の裏……」


 ルルは小さな建物を振り返った。この裏に何があるというのだろう。


「教えてくれてありがとう。帰りに寄って、一角獣さんが元気か確かめて、イシュお兄様にお知らせするわね」

 

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