13 騎士の気持ちは複雑です
ノアがルルを抱き締めて、どれだけの時間が経っただろう。
丸くならずに腕のなかにいた彼女は、たまにもぞもぞと身じろぎしたり、前に回されたノアの袖をきゅうっと掴んだりして、眠れない様子だった。
振り向きはしないので、どんな表情をしているかは見えなかったが、リンゴのように真っ赤に染まる耳朶は、ノアの心を波立たせた。
(ルルーティカ様は、どうしてこうも、かわいい行動ばかりなさるのか)
日用品の買い出しでも、そうだった。
気になるものを見ると大きな瞳を輝かせるし、どんなドレスを着ても美しいし、パンを頬張る口元は無邪気で、無性に抱きしめたくなる気持ちを抑えるのが大変だった。
ころころ変わるルルの表情を見ていると、ノアの顔はしどけなく緩んでしまう。聖騎士養成学校で、さんざん冷たいとか、感情が乏しいとか言われてきたのに。
ノアをこんな風にしてしまうのはルルだけだ。
ルルの笑顔を引き出せるなら、何だってしてあげたい。
アンジェラが言うように、自分がいなければ困ってしまうくらいに、甘やかしてしまいたくなる。
異性なので、身の回りの世話は他人に任せるしかないのが口惜しい。
ノアは、回した腕にきゅっと力を込めて、ルルの髪に額を寄せた。
「貴方のいちばんの従者は、私ですからね?」
「うぅ~? もう、ユニコケーキは十分よ、ノア……」
返事からすると、ようやく眠りに落ちたようだ。しかも、ノアからユニコケーキを食べさせられる夢を見ているらしい。
腕を解けば、ごろんと寝返りしてノアの方を向いた。
健やかな寝顔は、甘いクリームを口に含ませた時のように眉が下がっている。
こんな表情までかわいらしくて困る。
息を吐いて自分を落ち着けたノアは、ルルの崩れた前髪のあいだから、額に走った古傷を見た。
「……今度こそ、お守りします。この身に変えても……」
傷のうえにキスを落として、再び抱きしめる。ルルは目を覚ますことなく、朝までノアの腕のなかで寝息を立てていたのだった。
◇
「ルルーティカ、そろそろ起きろー。って、うわっ!」
紅茶をのせた銀盆をもってルルの部屋に入ったアンジェラは、ベッドを見るなり大声を上げた。
飛び起きたルルは、目をぱちくりさせる。
「なに? まさか侵入者?」
「いやいや違えよ。見てみろ、自分を」
そろりと視線を落とすと、脱力した腕がお腹のあたりにかかっている。ルルを抱き込むような体勢で寝息を立てているのはノアだった。
ルルは、ボンッと赤くなった。
昨晩、自衛のためにわざと熟睡しないようにしていると言い当てられて、あれよあれよという間に抱き締められ、横たわる格好でホールドされたのだ。
(あのまま、朝まで過ごすことになるなんて!)
この場から消えたくなっていると、ノアの目蓋がゆっくりと開いた。
手探りでルルが近くにいるのを確認すると、じっと顔を見つめてくる。
「眠れましたか?」
「えっ、ええ。それはもう、ぐっすりと!」
「そうですか……」
ノアは、ふっと微笑んだ。
「よかった」
「よくねーよ! なんでお前はルルーティカと一緒に寝てんだ。しかも暗殺者が来るかもしれないのに熟睡とかありえねえだろ!!」
アンジェラのお叱りはごもっともだが、起き上がったノアは「寝たのは明け方です」とあくびを噛んだ。
「ルルーティカ様の寝顔を見ていたら、寝るのが惜しくて」
「えっ」
「愉快な夢を見ていらっしゃるらしく、『巨大なユニコケーキの山を発見』とか『キルケゴールにオルゴール機能がついているなんて知らなかったわ』とか『ジュリオ軍から安眠の地を守るのよ』とか、寝言もたいへん面白く」
「ええっ」
「ルルーティカ様観察がはかどる一晩でした」
ノアの瞳が、満足そうにキラリと光った。
一方、ルルの頭からはサーッと血の気が引いていった。
寝顔を見られただけでも大問題だというのに、寝言まで聞かれていた。
もはやこれは、ルルにとって一世一代の恥だ。
「忘れて! わたしが寝ている間に見聞きしたことはぜんぶ消去して!!」
「嫌です。もったいない」
「もったいなくない~~!」
ベッドのうえで騒いでいると、アンジェラに「埃が立つから下りてやれ!」と叱られた。従ったノアは、朝の支度とキルケゴールの世話のために部屋を出た。
ソファで紅茶を飲むルルの髪を梳きながら、アンジェラは忠告する。
「ルルーティカ。ノアにああされそうになったら拒否しないとダメだぞ。結婚相手でもない男とくっついて寝るなんて、王女さまがやっていいことじゃねえ」
「誤解しないで、アンジェラ。あれは、単にわたしを熟睡させようとしてなの。子どもだって親と添い寝すると安心して眠れるでしょう?」
現に、ルルはぐっすり一晩眠れた。頭もはっきりしているし体も軽い。巣ごもり状態では得られない爽快感がある。こんな朝は久しくなかった。
「お前はそうでも、あっちはそう思っているか分からねえだろ。聖王になるってんなら
「ノアは、そんなことしない!」
頬を膨らませると、苛立ったアンジェラに頭突きされた。
「痛っ!」
「しないと思っても、危機感だけは持っとけ! いいな?」
「はーい」
その晩もノアが部屋に現われたので、ルルは昼間のうちに用意した誓約書を取り出した。
「これは?」
「添い寝するときに守ってほしいことよ」
寝顔をじっくり見ない。寝言は忘れる。ぎゅっとする他には何もしない。
三つの約束を、ノアは「嫌です」と拒否していた。
「昼間は私よりアンジェラと過ごしているでしょう。夜のあいだは、私がルルーティカ様を独占する時間なので、寝顔も寝言も私のものです」
「むう。じゃあ、これでどう?」
ルルは、金貨を一枚とりだした。
「この条件をのんでくれるなら、一晩につき一枚あげるわ。三週間したらアンジェラが貴方より多い回数もらったことになるけれど、これを受け取れば貴方の方が上よ」
「…………その条件がなければ、添い寝はさせていただけないのですか?」
「いただけないっていうか。わたしがしてもらってる立場だけど、一応決まりは作っておきたいっていうか」
「そうですか」
ノアは、金貨を受け取らずにルルを抱き締めて、ベッドに横たわった。
「ひゃっ」
「金貨はいりません。約束は守ります。だから、こうさせてください」
「約束を守ってくれるならいいけど……。本当に金貨はいらないの?」
ドキドキしながら尋ねるルルに、ノアは即答する。
「いりません」
ノアにとっては、対価など問題ではなかった。
それがルルのためになるのなら、自分のなかでくすぶる熱も我慢しようと思える。本当は、ルルのことを考えるだけで、胸が切なくなるくらい彼女を求めて止まないのだけれど。
(この気持ちを、ルルーティカ様はご存じなのだろうか)
知っていてほしいとも思うし、知らないでいてほしいとも思う。
ノアの複雑な夜は過ぎていった。
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