9 聖女ときどき毛玉

 高らかに意思表明をしたルルは、聖王城の東塔へ入るなりヘロヘロと縮んだ。


「疲れた……」


 修道院で寝て起きて寝るだけの巣ごもり生活を送ってきた身には、たとえ十五分であろうと『ご立派なルルーティカ王女殿下』を演じるのは大変だった。


 背すじをまっすぐ保つのも、お腹の底から声を出すのも、体力がいる。

 丸くなって眠るときには使わない筋肉がさっそく悲鳴をあげていた。

 

「もう無理……お昼寝する……。ノア、毛布を……」

「新しく買ったものと、ルルーティカ様お気に入りのばっちいのがありますが」

「ばっちいって言わないでくれる。ちゃんとお洗濯してるんだから!」


 ルルは、お気に入りの方を受け取ると、ベールとティアラを外してソファの上で包まった。頭まですっぽりと毛布を被って丸くなると心が安らぐ。


「ほっとする……。やっぱりわたしには真人間なんて無理」

「そうしていると毛玉にしか見えません。寝るなら横になってはいかがですか?」


「この体勢が楽なの。表からは毛玉に見えるでしょうけど、ただの毛玉じゃないんだから。閉ざされた毛布のなかで、無理やり形作られた『ご立派なルルーティカ王女殿下』がドロドロに溶けて、いつものルルーティカに作り直されていくのよ……」


「貴方はサナギですか。くだらない冗談を言ってないで、顔くらいお出しになってください。掃除係に粗大ゴミに出されたら困ります」


 それは大変だ。ルルが頭をぴょこんと出すと、ベールを抱えてソファの前にしゃがみこんでいたノアと目が合った。ノアは、思わずといった様子で笑う。


「御髪がぐちゃぐちゃですよ」


 そう言って、指でルルの髪をすいた。表情は、大聖堂に乗り込むときとは打って変わって柔らかい。

 すわった目は何を考えているか読めないけれど、幻滅や失望の色はなかった。だからこそ、ノアの前でだけは『いつものルルーティカ』でいられる。


「ぐちゃぐちゃでも誰も気にしないわ。ノアも休憩したら。ここはわたしが使っていた部屋だから、ベッドでも椅子でも自由に使って」


 この塔は、ルルが修道院に入れられる前に暮らしていた場所だ。

 繊細なレースがふんだんにあしらわれたベッドや猫脚の家具は、子どもサイズながら上質な品なので大人が使っても問題ない。


「ルルーティカ様こそ、ベッドを使われてはいかがですか?」

「ううん。ここでいい……」


 部屋の様子は、ルルが出て行く前と少しも変わらない。だからだろうか、部屋のあちこちに、幼い頃の自分が息づいているように感じた。


 この塔は、魔力があった頃の、父にも母にも大切にされていた『ルルーティカ王女』が生きていた証だ。

 無能になってしまった現在のルルは、それを上書きしたくなかった。


 ノアは「ルルーティカ様の物は使えません」と立って、窓から中庭を見下ろした。手綱を解いたキルケゴールが噴水の周りを散歩している。


「聖王城だけあって、一角獣ユニコーンに手を出す者はいませんね」

「彼らは聖教国フィロソフィーの守り神みたいなものだもの。枢機卿団はあまり重要視していないけれど、王族は昔から大切にしているの。お兄様がつくった『保護法案』からも分かるはずよ」

「枢機卿団が反発していた、一角獣を守る新法ですね」


 枢機卿団は、各地の有力な教会を治める司教たちで構成されている。他国でいうところの貴族である。

 他国に貴族議会があるように、フィロソフィーでは古くから枢機卿団が国政を動かしてきた。聖王は、その政治に承認を与える存在だ。


 だが、聖王イシュタッドは違った。彼は、自ら率先して国をめぐっては政を見直して、改案を枢機卿団に叩きつけていた。

 枢機卿団も、聖王からの要請は無視できず、いくつかの時代遅れのルールが見直された。


 イシュタッドの功績で、もっとも有名なのが『一角獣保護法案』だろう。


 角の加工品である『魔晶石』は、魔力を増幅させる高価なアイテムになる。そのせいで一角獣は乱獲されてしまい、飛来する数が減っていた。

 捕獲と輸出を禁じるルールを徹底したことで、一角獣は多く飛来することになり、フィロソフィーの主要産業だった観光業が盛り返している。


 だが、このままイシュタッドが見つからず、ジュリオが新たな聖王になったら、彼の功績である新法は、枢機卿団の指示で撤廃されてもおかしくない。


「はやくお兄様を見つけないと……」

「――ここをあけろっ!」


 部屋の扉がドンドンと凄まじい音を立てたので、ルルはビクリとした。ノアは、腰に下げた剣に手を当てて扉に近づき、向こうに問いかける。


「何者だ」

「なにものだっ、じゃねえぞ。さっさと開けろ、この放蕩団員がっ!」


 それで相手が分かったのか、ノアはすんなり扉を開けた。


 扉を叩いていたのは、聖王城を守る第一聖騎士団の団長ヴォーヴナルグだった。白い騎士服の上からでも、筋骨隆々とした体型なのが分かる大男だ。


 ヴォーヴナルグは、ノアを見るなり太い腕で掴みかかろうとした。


「仕事をほっぽって、今までどこに行ってやがった、コラーーー!」


 ノアは、ヴォーヴナルグの手を掴んで反論した。


「騎士団を抜けるという置き手紙は残したでしょう。たまには素直に部下の意見ぐらい聞いてください。あと、声がうるさいです」

「普段から聞くようにしてるわ! だが、退団は承服しかねる! お前ほど優秀な聖騎士に抜けられたら困るんじゃボケーー!」

「うるさいって言ってるのが聞こえないんですか?」


 ギリギリと取っ組み合う二人を、ルルは衝立の影からハラハラと見守っていた。


 ノアは将来を期待されていたようだ。そのため、ヴォーヴナルグ団長自身が退団を撤回するようよう説得にきたのだろう。

 置き手紙一つで自由になれると思ったノアも相当に変わっている。


 騒々しい団長の後ろから、フリルキャップを被ったメイドが現われた。


「お取り込み中、失礼致します。王女殿下にお茶をお持ちしました」

「ルルーティカ様は部屋の中におられます。私は、この人の相手をしなければならないので、給仕をお願いします」

「かしこまりました」


 話が聞こえたルルは、慌てて毛玉を解いてソファに座った。毛布はラグのように足下に敷いて、だらけた痕跡をなくす。

 いつでも真人間のフリはできるようにしておくのが、巣ごもり上級者なのである。


 若いメイドは、ルルーティカをじろじろ見ることなくティーポットからお茶を注ぎ、カップを手渡してくる。


「どうぞ――」

「ありがとう」


 大聖堂で声を張り上げて喉が渇いていたので、飲み物はありがたかった。

 ルルがカップに口を付けようとすると、ノアが「毒見は?」と指摘した。


 そういえば、城の中では毒見された食べ物や飲み物しか口にしてはならないのだった。はっとしたルルがカップを下ろすと、メイドはチッと舌打ちした。


 彼女は、エプロンの下に手を突っ込むと、銀色のナイフを取り出してルルーティカに突進してくる。


「死ね、ルルーティカ王女!」

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