7 登壇には魔法と準備が必要です

 顔に薄く化粧をほどこしたルルは、ドレッサーに向かって髪を梳いていた。

 晴れ着である婚礼衣装を身につけたせいか、しゃんと背が伸びている。


 鏡に映る大人びた自分は、お気に入りの毛布にくるまってお昼寝しているときとは別人みたいだ。


 花の種からとれるオイルで整えた銀髪は、ダイヤモンドのようにつやめく。

 黄色やピンクや水色をふくんで乱反射する輝きは、ルルをまっとうな王族であるかのように見せた。


(実際は、魔力がこれっぽっちもないダメ王族なんだけど)


「ルルーティカ様。ベールをお持ちしまし、た……」

「ノア、入ってくるときはノックしてって言ってるじゃない」


 体を反転させると、ノアがこちらを見たまま固まっている。


「どうしたの?」

「いえ、その……」


 ノアは、手で口元をおおって視線を下げた。


「ルルーティカ様が、お綺麗だったものですから」


 白状するノアの顔は赤い。クールで、ともすれば無表情な彼に照れられると、ルルまで恥ずかしくなってくる。


「褒めてくれてありがとう。でもこれ、ドレスが綺麗なだけよ。馬子にも衣装っていうでしょう。いつものわたしを思い出して?」


 ルルは、昼夜問わずにネグリジェを愛用している。

 日常着のワンピースも届いていたが、ごろごろするには窮屈きゅうくつだし、お昼寝のたびに着替えるのも億劫おっくうで、結局いつもの服に落ちついてしまうのだ。


「それにしても、本当に婚礼衣装が必要になるだなんて思ってもみなかった。ノアが無理やり店に連れて行ってくれなかったら、今ごろ困っていたわ」

「着せ替え人形になった甲斐がありましたね」


 ノアは、リボンボックスから取り出したベールをルルーティカの頭に被せて、その上から小ぶりなティアラをさし込んで固定した。


「今のルルーティカ様は、誰が見てもご立派な聖教国フィロソフィーの第一王女殿下です」

「そう? わたしは、ちょっと物足りない気がする」


 ルルは鏡の自分とにらめっこした。

 薄く透けるベールも、ほんのりと赤い頬も、首と耳につけた宝石も、どこをとっても完璧なのに、『王女殿下』を気取るには何かが足りない。


(観衆が『さすがルルーティカ王女!!』ってなるような迫力を出したいのよね)


 はったりでもいい。

 たとえ、ルルの素が巣ごもり大好きで、日がな一日まどろんでいるのが何より幸せなものぐさだとしても、人前に出ている間だけそれっぽく見えれば十分だ。


 ルルが眉間にしわを寄せて鏡を見ているので、ノアは「見づらいなら照明を点けます」と手の平をドレッサーに置かれたランプに向けた。

 ノアの持つ魔力によって、花びらの形をしたランプには温かな光が宿る。


「キルケシュタイン家は王族ではないのに、どうしてノアには魔力があるの?」

「博士は王侯貴族の非嫡出子ひちゃくしゅつしだったんです」


 非嫡出子というのは、婚姻していない両親から生まれた子どものことだ。

 やんごとなき家柄では珍しくない。政略結婚で好きでもない相手と結婚しなければならなくて、恋人や愛人を家のそとに持つ人がいるためだ。


 正式に結婚していない相手との子どもには家を継がせることができないが、流れる血は王侯貴族のものなので、多かれ少なかれ魔力を持っているのが普通だ。


「私が魔力を持っているのもそのせいかと。魔力と言ってもひ弱です。灯りを点けたり消したり、光を呼んで夜道を照らすくらいしかできません」

「光を呼ぶ? そこのところ、詳しく教えて!」


 お買い得情報に飛びつくようにルルーティカは目を輝かせた。

 ノアは、それを不思議そうに見返す。


「昼間のようには明るくできません。夜空の星のような光の粒を辺りに出現させる、それだけです」

「その星って、昼間でも見える?」

「うっすらとなら見えます。キラキラと輝いている風に」

「うってつけよ!」


 ルルは、ノアの大きな手を、両手でがしりと挟んだ。


「ノアの魔力で、わたしをキラキラ輝かせてほしいの! 『修道院にお籠もりだった王女が、新たな聖王にふさわしい神聖さをたたえて戻ってきた! いかにも聡明そうで、怠けなさそうで、政治も外交も積極的にやりそう! これなら国を任せても安泰だ!』って思われるために!」


「聡明で、怠けなくて、何でも積極的にやるルルーティカ様……大嘘ではないですか」

「大嘘でもいいの。お兄様が帰ってくるまで、王位継承問題を長引かせられればいんだから。ね、お願い」


 ルルは上目づかいでノアを見た。可愛らしくすれば言うことを聞いてくれるかと思ったが、素っ気なく手を引き抜かれる。


「ルルーティカ様はそのままで十分に王女らしいです。魔力でキラキラさせる演出は必要ありません」

「そう思ってるのはノアだけよ。あ、そうだ」


 ルルーティカは、チェストの引き出しを開けると、中にぎっしり収められていた金貨を一枚つまんだ。

 それをノアの鼻に、ちょんっと押しつける。


「これは?」

「ノアにあげる。『金貨があれば愛すら買える』んだから、これで魔力を貸してもらうことだってできるはずよね?」


 養成学校でノアが叩きこまれた座右の銘をふりだすと、彼はしばし沈黙した。

 表情に変わりはないが、困った様子で赤い瞳を揺らしている。


 嫌なら断ってもいいのに。

 ルルが告げようとすると、聞こえるかどうかといった小さな声で「対価があれば許されるか」とつぶやいた。


「……分かりました。ただし、これ一枚分の魔力しかお貸ししません」


 金貨を受け取ったノアは、ルルの手をつかむとその場にひざまずく。


「我が力を、ルルーティカ様へ捧げます――」

「っ!」


 騎士が忠誠を誓うときのポーズで、白い指先にキスが落とされた。

 柔らかな感触に、ルルの心臓はドキリと鳴る。


 口付けされた場所から魔力が電流のように体をほとばしる。空っぽの体が満たされていくような、甘やかで懐かしい感覚を、ルルは目をとじて味わった。


 魔力が長い髪の端までいきわたるや否や、ノアはルルを横抱きにしてバルコニーに出た。


「行くぞ、キルケゴール」


 ノアが声を掛けると、相棒である一角獣ユニコーンは、前脚を高くあげて答えた。

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