テレパス奈々子

朝倉亜空

第1話

 奈々子はテレパスだった。この能力のおかげで、人生かなり楽に生きてこられたように思う。

勿論、人の心の声なんて生々しく醜い時もある。いや、多くがそうであろう。そんな時は声を拾わなければいいのだ。良い声だけを拾う。奈々子はすぐにそのコツを掴んだ。

 テスト問題を考える先生の声や、ひそかに思いを寄せている男子クラスメートの隠された本心。奈々子はテレパシーを上手に使い、その時、その場をふるまってきた。

 学校卒業後も奈々子はこの力を最大限に生かせる仕事に就こうと考えていた。事務系OL、ケーキ屋さん、家政婦、どれも特にテレパシーを活かしているとはいい難い。何かないか。辿り着いたのが将棋指し。奈々子は女流プロ棋士になった。  

 何せ、相手の考えていることがまるわかりだから、当然のように連戦連勝だった。そのことが評判となり、奈々子は新人としては異例の、女王決定大会「さくら杯トーナメント」への出場が特別に認められた。

 ここでも奈々子の快進撃は続く。一回戦から準決勝まで無類の強さで勝ち上がった。

 決勝戦の相手は篠原京子五段。通称「睨みのお京」だ。終始、対戦相手を睨み付け、気迫あふれる指し手で、常に相手の先手先手を攻めていく。長髪を無造作に頭の後ろで輪ゴムで束ね、顔は一切ノーメイク、いつもヨレたTシャツにくすんだジーパン一丁で会場に現れる。まさに勝負の鬼女そのもの。 

 この強敵を前に、奈々子は一つ手を打った。まあ、手を打ったと言える程のことかどうか、実は奈々子は幼少時よりかなりの乱視で、ものが満足に見えない、二重にボヤけていたのだが、大一番に備えて、眼鏡を買うことにしたのだ。駒も盤面もはっきり見えるに越したことがないと思ったからである。

「あら可愛い。とても良くお似合いですよ、お客さん」販売員がそう言いながら、奈々子に向けて卓上鏡を置いた。

自分でもまんざら悪くもないなと奈々子は思った。今までは目のピントが合わないので、四六時中、細くすぼめるような目つきでいたのだが、鏡の中のフチなし眼鏡越しに見る自分の目は、パッチリ大きく見開かれ、確かに随分と可愛く映っていた。

 周りの人の反響もすこぶるよく、「綺麗になった」「眼鏡美人だね」等と言われることも多くなり、こんな事ならもっと早くから眼鏡を掛けていれば良かったと奈々子は思った。

 一旦、美を求め始めれば、更にもっとと欲が出るのが女の性で、奈々子もヘアスタイルや化粧にも気を遣い始め、すっかりおしゃれ好きな普通の女の子になっていた。 

 あまりにも皆が褒めすぎるものだから、本心ではどう思っているのか知りたくなり、奈々子はテレパシーを使った。のだが、使えなかった。使えなくなってしまったのだ。

 これは一体なぜ? 奈々子なりに考えた。

 犬は視力が弱いが、その分、嗅覚を発達させ補っている。コウモリも目がほとんど見えないが、超音波で障害物の位置を図って、目の代わりを果たしている。自分のテレパシーも、生活に支障をきたさないための、視力の弱さを補うものではないか。眼鏡によって視力が回復した今、必要がなくなり、能力が消えてしまった。試しに一度、眼鏡を外し、以前の不細工なショボ目おんなに戻ったら、あっさりと他人の心が読めた。やっぱり……。

「困ったな、どうしよう」奈々子は悩んだ。

 奈々子の素の実力では、その辺の将棋好きの爺さんにも敵わない。篠原京子にはバッコバコに叩き潰されるのみである。さりとて、眼鏡を外すという手段は、今の奈々子には非常に取り難い。折角、思いがけずに手に入れた美しさなのだ。眼鏡か、それとも、外すか。まさに究極の選択を迫られた。

そして遂に、トーナメント決勝の日を迎えた。対局の場、将棋盤を前に奈々子は静かに正座していた。将棋雑誌の記者たちは初めて見る奈々子の可愛らしさにざわめいた。白いフリルのついた清楚なライトグリーンのワンピースに、目一杯のお化粧を決め、今や最大のチャームアイテムであるお似合いのフチなし眼鏡を掛けて。

 そこへ、対局場の障子が開き、篠原京子が入ってきた。だが、彼女は奈々子がいつも将棋雑誌で見ていた姿ではなかった。記者たちのざわめきも更に1オクターブ上がった。

「ま、まさか? 京子さん……!」奈々子は思わず声が出た。

何時ものヨレたTシャツ姿はどこへやら、今日の京子のいでたちは、エレガントな黒いレースのドレスを身にまとい、伸びっ放しの長髪は美しくウェーブされ、素っ気ないすっぴんは大人びたメイクで色気を醸し出し、何より、おしゃれなピンクの眼鏡が見開かれた瞳の魅力を最大限に引き出していた。「睨みのお京」はただ目が悪いが故、睨んでいるように見えていただけだったのだ。

 京子は奈々子の前に正座し、言った。

「ふふ。一度手にした美しさを手放すことは、女にとって最大の罪、でしょ。でもまさか、あなたもテレパスだったとはね。今日は大型新人にボロ負けする覚悟で来たんだけど、いい勝負になりそうね」

 言われて奈々子は、薄く笑みを返した。

 ほどなくして決勝戦は始まった。奈々子は盤に集中しているかにように、深く頭を下げた。京子からは自分の顔が見えないその姿勢で、奈々子は眼鏡の奥の両眼をそっと閉じた。

 これだけで、奈々子には京子の思考がはっきりと見えてきた。ものが見えにくいどころか、まったく見えないのだから。

(京子さん、今日のところはまだこのことに気づいてないみたい。わたしの勝ちね、ふふ)





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