〈第27話〉 聞こえてきたのは、衝撃的な話でした

 ――アメリア。父様は再婚することにしたよ。


 久しぶりに領地に帰ってきた父は、十歳になるアメリアにヴィクトリアを紹介した。

 出張先で運命的な出会いをしたのだと嬉しそうに語る父は、母を喪ってから見ることのなかった心からの笑みを浮かべていた。

 だから、アメリアはヴィクトリアを歓迎した。詮索もしなかった。

 父が幸せになれるのならそれでいい、と。

 そして、アメリアは辛くても一人で我慢することを覚えた。

 自分のことは自分でなんとかしなければ――アメリアの考え方が変わったのはきっとこの頃からだ。

 甘えてはいけない。我儘を言ってはいけない。頼ってはいけない。

 素直に言うことを聞いていれば、きっと好きになってくれる。受け入れてもらえる。

 男爵家の使用人たちがヴィクトリアの悪口を言っていた時も、アメリアはヴィクトリアを庇った。

 使用人たちは何故か悲しそうな目をしていたけれど、アメリアにとってヴィクトリアはようやく父に幸せを与えてくれる人だったのだ。

 社交界でもうまく立ち回り、慈善活動にも力を入れて、ヴィクトリアは外聞的にはとても評判がよかった。

 屋敷にいる時が素なのだとしても、男爵家のために社交の場に出てくれている彼女に感謝するべきだとさえ思っていた。

 アメリアは社交界デビューさせてもらえないくらい、醜い男爵家の恥さらしだから。

 ヴィクトリアは、父が愛する女性で、社交界でも評判が良くて、とても美しい人。

 暴力や暴言に逆らう気なんて最初からなかった。

 それでも、これまで男爵家を支えてくれた使用人たちを全員クビにした時はさすがにアメリアも声を上げた。

 当然、生意気だと鞭を打たれてしまったけれど。

 そして、屋敷の仕事はすべてアメリアがこなすようになった。

 令嬢としての教養よりも、メイド仕事の方が板につくようになってしまった。

 アメリアのことが嫌いであるはずなのに、アメリアと二人で屋敷に暮らしていた。

 父がいる王都に移り住まないのをとても不思議に思っていた。

 でも、アメリアは毎日の仕事をこなすだけで精一杯で、余計なことなどもう考えられなくなっていたのだ。

 苦しいことも、悲しいことも、痛いことも、気にしないように。

 半年前まで、アメリアはずっとそうして生きてきた。


 アメリアは、ヴィクトリアの手のひらの上でこの屋敷で過ごした日々を思い返していた。


 クラウドにたくさんの優しさと愛情をもらって、今のアメリアは幸せを知ってしまった。

 過去の自分がどれだけ感情を殺してきたのか。

 どれだけの痛みに蓋をしてきたのか。

 痛い辛いと叫びたいのをどれだけ我慢してきたのか。

 今まで鈍感なふりをしてやりすごしていたそれらが、今はうまくできそうにない。

 甘えてもいい。頼ってもいい。無理はしなくてもいい。

 そう言ってくれる場所ができたから。


「それにしても、あんた。誰にも見られなかっただろうね?」


 ヴィクトリアは、男を睨みつける。


「ガキには見られましたが、問題ないでしょう」

「はあ。まったく。お前みたいな粗野な男が屋敷にいることが知られたら、ディーナス男爵夫人のイメージが崩れるだろう」

「すいやせん」

「まあいい。どうせ男爵夫人としての役割ももう終わるからね」


 ヴィクトリアはふっと鼻で笑う。

 男爵夫人としての役割が終わる、とはどういうことなのか。

 本来の彼女はどういう人物なのか。

 「お頭」とはどういうことなのか。

 アメリアは緊張しながらも話に耳を傾ける。


「ようやくですね」

「あぁ、本当に長かったよ。好きでもない男と結婚して、身を隠すためとはいえ、あちこちに愛想ふりまかなきゃならなかったんだ。まあ、それなりに贅沢もさせてもらったし、お貴族様の暮らしを体験できたのは面白かったけどねぇ」

「お頭はこの世でもっとも美しく、恐ろしいお方ですね。命の恩人までも利用して、今日まで男爵夫人として生きてきたんですから」

「ふふっ、そうだろう?」


 命の恩人とは、父であるハロウドのことだ。

 父は、怪我をしたヴィクトリアを介抱したのが、二人の出会いだったと語っていた。


(この方たちは、一体何の話をしているのでしょう)


 好きでもない男?

 父は、ずっと利用されていたというのか。

 アメリアはその言葉を理解したくなくて、耳を塞いでしまいたくなる。

 しかし、姿を変えている今、そんなことはできない。

 聞きたくもない話が続いていく。


「だが、許せないのは、この七年の努力が無駄になったことだよ。心臓を患ってあと数年の命だと聞いていたから、あたしは男爵夫人をやることにしたんだ。すべての遺産をいただくためにね。それをあの男、七年も生きて。挙句、遺産はすべて娘にやるなんて……っ!」


 ヴィクトリアは歯噛みしながら、怒りを吐き出す。

 父が心臓を患っていたなんて、アメリアは知らなかった。


「そういえば、あの娘はまだ見つからないのかい?」

「人を雇って探してはいるんですが、まだ」

「ったく、あの娘も大人しく殺されていればよかったものを。でも、どうやって逃げたんだろうね」

「もう一度、ローレンスに話を聞きますか」

「あぁ。魔法騎士団も動いているようだし、早くしないとね」


 そう言って、ヴィクトリアは外出の準備を始めた。

 ダイヤモンドとなっているアメリアは、布に包まれる。

 これから、ローレンスのところへアメリアの行方を聞きに行くのだろう。

 ローレンスは、やはりアメリアを助ける気などなかったのだ。

 あの時、クラウドと出会わなければどうなっていたのだろう。

 きっと、人間の姿に戻った瞬間に殺されていたに違いない。

 クラウドは、魔獣からだけでなく、そういった殺意からも、悪意からもアメリアを救ってくれた命の恩人だ。


『アメリア、大丈夫か? 無事でいるのか?』


 アメリアの耳に、心配そうな声が届いた。

 クラウドだ。

 彼からもらったイヤリングを通して、アメリアだけに聞こえる声。


(……クラウド様)


 声を聞いただけで、泣きそうになった。

 ヴィクトリアの話は、アメリアの心を傷だらけにした。

 今すぐクラウドに泣きつきたい。

 そして、優しく抱きしめて欲しい。

 彼に思いを返すこともできない自分が、何を甘えたことを考えているのか。

 命の恩人である彼を利用するようなことはしたくない。

 父を利用した、ヴィクトリアのようになりたくないのだ。

 そして、アメリアは自分の内に芽生えた初めての感情に戸惑う。

 初めて、人を許せないと思った。

 初めて、人を憎いと思った。

 こんな黒くて、醜い感情を持ってしまったアメリアは、もうクラウドが好きになってくれた自分ではなくなっている。

 それが悲しくて、辛くて、苦しい。 

 しかし、アメリアが黙っているうちに、クラウドの声が必死なものに変わっていく。


『何かあったんだな!? 今すぐ助けに行く!』

『……クラウド様、私は、大丈夫です』

『本当か? どこも傷ついていないか? 何もされていないか?』

『はい。宝石である私を傷つけようとする人は誰もいませんから』


 クラウドがほっと息を吐いたのを感じた。

 アメリアからの情報を待ちながらも、騎士団でも独自に動いてくれている。

 それが分かっているから、アメリアの個人的な話なんてできない。


(何の成果も得られずに、逃げ帰りたくはありません)


 これは、アメリアの我儘で無理やり参加させてもらった作戦なのだ。

 自分の感情に振り回されているようでは駄目だ。


(お母様、どうか力を貸してください)


 母のように、魔法騎士団の力になりたい。

 何の訓練も受けていない、素人のアメリアだけれど。

 負けそうになる心を奮い立たせるために願う。

 そして、アメリアはクラウドに状況を報告する。


『クラウド様、これからローレンスのもとへ向かうようです』

 

 彼らがアンポクスと関わりがあるかどうかはまだ分からない。

 しかし、魔法騎士団に嗅ぎまわられては困ることがあることは確かだ。


『ローレンスの姿を確認したら、すぐに俺を呼んでくれ。これ以上待つのは、心臓が持ちそうにない』

『分かりました』


 ローレンスを見つけるだけでなく、最大の目的であるアンポクスの情報も手に入れたい。

 そんな思いを抱きながら、アメリアはヴィクトリアの荷物の中で息をひそめていた。

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