先延ばしカレンダー

asai

先延ばしカレンダー

男は極度のめんどくさがりだった。


40歳になっても職についておらず、バイトさえしたことがなかった。

本来この類の人間はギャンブルや肉欲に惚けるものだが、

彼は派手な遊びに興ずることもなく、飲み食いや寝ることさえもめんどくさがった。


男の口癖は「今度やる」だった。

面接も買い物も、風呂も戸締りもゴミ捨ても、めんどくさいことは全て先延ばしした。

そしてその“今度“はいつまで経ってもやってくることはなかった。


ゴミだらけの男の部屋には度々家族が掃除にくるだけで、他人との交流は一切なかった。

それをみかねた男の妹は、男にとあるカレンダーを渡した。

 

「先延ばしにするのなら、やる時間を決めたらどう?」

妹が持ってきた手帳型のカレンダーは今後10年間の予定が一時間刻みで書けるようになっていた。男はそれに見向きもしなかった。


唯一の社会との接点である家族が帰った後、見たくない現実が男を襲う。

男は自分の性質が大嫌いだった。


自発的にやってることなんて、生命維持活動ぐらい。

なにも成し遂げていないし、なにも始まっていない。


彼にとってめんどくさいは呼吸による二酸化炭素のように生じるものだったが、呼吸以上に疲れるものだった。

先のばしにする自分の無力さをそのたびに実感するからだ。

こんな人生いつ終えてもいいと思った。

彼は台所にある果物包丁を見つめて死のうと思った。


数秒見つめた後、


「今度やろう」


死ぬことすらめんどくさかった。


その時、妹が置いて行ったカレンダーが目に入った。

男は渋々カレンダーを広げた。

今死にたくないが、長生きもしたくないと思った。

彼はカレンダーに挟まれた鉛筆をとり、50歳になる前の一時間前に「死ぬ」と記入した。

男はこれまで感じたことのない達成感を感じた。

書くだけでこんなにも実感があるなんて。彼は妹を思った。


ふと、彼の目頭にこびりついている目やにが邪魔に感じた。

彼は49歳12ヶ月31日目の23時の行に「目やにをとる」と書いた。

書き終わったと同時に鉛筆をするりと落として、彼は床についた。

テレビがついているが、ボリュームを下げたかった。

彼は手を伸ばしカレンダーに書いた。

ゴミ捨てや、トイレ掃除、掃除はやっぱり家族にやってもらおうと妹を家に呼ぶなど、思いつく限りのことを記入していった。

みるみるうちにカレンダーは埋まっていった。

一年後、そのカレンダーは今日の今以外書く場所がなくなっていた。

男はため息をつきながらも、まず昨日の寝る前に走り書きでカレンダーに追加した「トイレ」を実行した。

次に、昨日の寝る前に書いた「部屋の電気を消す」を愚直に実行した。

続けて、カレンダー通り数年ぶりに風呂に入った。

全てが書かれた通りに実施するだけなので考えることもなく彼には達成感のみが残った。


そこから、彼の人生はアクティブなものになった。

文字通り分刻みのスケジュールで彼はタスクをこなしていった。

できるかできないか関係なく、思いついたら「今度やる」とカレンダーに記入していたので、普通の人はやらないことをたくさんした。

就職、発明、学術論文の執筆、起業。

その全てがうまく行った。

カレンダー通り結婚もして子供も産まれた。

妹も大変喜んだ。


スケジュールを愚直にこなしていく彼は、最後の時間が近づいていることを感じていたが、抗おうとしなかった。

これまでスケジュール通り行なっていたのに、もし空白を生きることになってしまったらどうなるかわからない。またあの頃に戻るのが怖かったし、何よりもカレンダーに新しいことを書き込むことがめんどくさかった。


そして49歳12ヶ月31日目 

彼は自宅に妹を呼んだ。

彼はトイレを掃除し、部屋の家財道具を全て捨て、テレビのボリュームを下げた。

そして濡れた目頭をぬぐい、妹にカレンダーを渡してこう告げた。


「ありがとう」


彼は予定通り自殺した。

とても安らかな顔だった。


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