待っててね(標準語ver.)

 今年は珍しく、雪がたくさん降って、高校まで電車通学のあたしは久しぶりに死んだ。

 地吹雪はあっても、大雪はそんなにない庄内に、何でこんなに降るんだろうって、みんなで駅舎で電車を待って、


「あ、今日はもしかして、運休かな」


無人駅だけどボランティアできているたばこ屋のじいさんが、


「電車来ないってよ、バスだ、バス」


 象潟駅から伝言が来たのを聞くと、妙にテンションが上がったものだ。

 庄内の冬で、電車運休は別に珍しくもない、大抵一冬何回かは止まる。何年前だったか、特急の横転事故があってからは、特にスピードと風に気を遣っているらしく、超ノロノロ運転、下手したら、自転車レベルじゃないのってくらいゆっくり走る。冬場は特に、日本海のある西側から突風が吹いて、歩くのさえ大変だ。小学校中学校の頃はよく、通学途中で田んぼに飛ばされるヤツが何人かいて、そのたびに、


「あいつまた落ちたんだぜ」


 って、みんなで笑ったのを思い出す。

 去年は暖冬で、そんなことはまず無かったんだけど、今年は一晩で三〇センチ積もる日もあるから、父ちゃんは朝、日も出ないうちから雪かきしなくちゃいけないし、あたしはあたしで、電車が来るか来ないかわからないけど、駅に二〇分は早く向かう。夏場はチャリでサッと行ける道も、冬場になると歩くしかない、なんてったって滑るんだもん、いつだったかな、丁字路で転んで危うく車に轢かれてしまいそうになった。あれ以来、余裕もって、とにかく早く行く。

 そんなこんなで、久々に晴れ間が覗いた日曜日、あたしは電車に乗って一人、酒田に向かった。一両編成の鈍行は、乗る人もまばらだ。一週間降り積もった雪で一面真っ白、凹凸のない田んぼの上を、白鳥が群れて最上川の方向に飛んでいく。ふうっと、白い息を吐いて、あたしはいつもの気に入りの、運転席の真後ろに立った。

 部活、遊び、いや違う。私服で買い物、それも違う。

 長靴ババシャツホッカイロ腹巻き、軍手におやつを持って、友達と待ち合わせ。汗かくよって、由子言ってたっけ。タオルも持った。ちり紙も。

 駅に着くと、案の定、由子が改札の奥から、普段は嫌がって履かない長靴で、ぴょんぴょん跳ねて合図した。赤い毛糸の帽子から、長いストレートの茶髪がはみ出て、ジャンプする度に、顔に当たる。


「ごめん、史乃。みんな呼んだんだけど、時間になっても来ないんだよね」


「なんなのぉ。根性、ないなぁ」


 言いながら改札口から出て、すぐに見えた自販機で缶コーヒーを買おうとするあたしに、


「馬鹿、タカ、もう来てるんだよ」


 由子は急かして、あたしの手を無理矢理引いた。

 駅の正面出入り口から右に出て、駅裏に通じる地下道を潜る。昼間でも薄暗い道、長靴のカポカポする音がやたらと響いた。


「タカ、かなり早く来てたの」


「十分くらい前かな。電車、微妙に遅れたよね」


「そうかも。鉄橋のあたりゆっくりだったし」


 地下道を抜けて駅裏に来ると、ロータリーの隅に人影が。こっちの声に気がついて、


「史乃、遅ぇぞ」


 低い声で、無愛想に手を振ってくる。タカ、高田哲治だ。黒いダウンジャケットにニット帽に黒長靴、積もった雪の中では結構目立つ。如何にもこれから出動って感じだ。


「ごめんごめん。わざとじゃないってば」


 両手こすり合わせて頭を下げ、


「電車のせいだからね」


 二人そろって言い訳すると、


「それより、お前ら美術部は。まさか、これで終わりじゃないだろうな」


 タカはギロリこっちを睨んだ。

 由子と二人顔を見合わせて、実はねって詫びる。


「来ないヤツ待ってても仕方ないな。ヤスたち先に行ったから早く交流するぞ」


 シャーベット状の雪の上を、タカの後を、のっそのっそと歩いて行く。

 あまり駅裏には来ないのもあって、これだけ積もってしまうと、どこがどこだかわからなくなる。どの家の屋根にもいっぱい雪が覆い被さって、あたしんちもだけど、庭も道路も区別がつかない。車道はきれいに除雪してあっても、小道や歩道は除雪車の残した雪が山になってしまっている。

 休日なのもあって、あっちでもこっちでも、大人たちが雪かきしている。かいたかかいていないかで、歩き具合や運転のし具合が違ってくるので、せっせせっせとやるわけだ。

 ト一屋の横を、それこそ、よじ登るようにして歩道の雪山を越えて、公園の方に向かうと、話し声と一緒に雪かきする音が聞こえてきた。

 シャリ、シャリ、シャリ、リズムよく動かしたスコップ。ギュッギュ、ググッ、スノーダンプが雪を運ぶ音。

 あっちこっちでタカの友達、漕艇ボート部のヤツらが十人くらいせっせと働いている。


「うわぁ、すごいね」


 予想以上の光景に、ちょっとびっくりしてしまったけど、やるって言ったからにはやるしかない。ビビって強張った顔がバレないように、毛糸の帽子を目深に被って、両手に持ってきた軍手をはめる。


「ホラ、史乃、由っち。スコップ」


 タカがこっちに二つ、投げて寄越す。アルミのスコップは雪かきに丁度いいのだ。


「働けよ、お前らがやるって言い出したんだからな」


「あ、当たり前でしょ! 美術部の底力見せてやるわよ」


 そもそも、事の発端は学校の帰り道、暇だ暇だと彷徨いてるところを、タカに見られてしまったことだった。電車の発車時間までどうやって過ごそうか、悩みまくった挙げ句、結局やることもなく、ロックタウンのあたりをウロチョロしているのを見られてしまったのだ。


「お前ら帰宅部は暇でいいな」


 馬鹿にされて、それから先、売り言葉に買い言葉、


「あんたたち漕艇部だって、寒くなったら川に入れないんだもん、暇でしょ」


「何言ってんだよ。俺たちが、何やってるかも知らないクセに」


 言い争っているうちに、なぜだか、漕艇部がやっている冬期トレーニング兼ボランティアに、同行することになってしまった。

 当然、無駄に巻き込んでしまった美術部仲間は来る気配もない。唯一親友の由子だけは、あたしに同情する形で無理矢理来てくれたんだけど、


「なんでこうなってしまったのか説明してくれないと困るんだけど」


 それが出来るんだったら何にも困らない。

 第一、体力勝負の漕艇部と違って、集中力とセンスで油絵ばっかり描いている美術部女子が、男子に混じって雪かきするってのはどうなのよ。普通に考えても無理がある。だけど、言い争いながら、


「ボランティアぐらい、美術部のあたしたちにだって出来るから!」


 そんな感じで啖呵切ってしまった手前、体力云々関係なく、行くしかなかったのだ。

 タカたち漕艇部の男子共の真似をして、雪をかいてはフタを開けた側溝に流し、側溝に流ししたり、除雪車の作った雪山に更に雪を重ねたりした。雪はいくらがんばっても、一向に無くならない。

 最初は寒くてかじかんでいた手も、そのうちだんだん熱を帯びてくる。十分も経つと、身体全体が汗ばんできた。背中に貼ったホッカイロもだんだん邪魔になってきて、剥がしたいなとは思ったけど、周囲はみんな男子ばっかり、流石にやめた。軍手で汗を拭いて何とか頑張っているうちに、また汗が滲んで、シャツが濡れる。あたしは完全防備を後悔してきていた。


「あれ、史乃、顔赤いよ。またババシャツ着てるんでしょ」


由子が手を止めて、こっそり耳打ち、


「うん。まさか、こんなに暑くなると思わなかったんだもん」


 ぽろっと本音。

 それにしても、こんなに身体を動かすのは、久しぶりだ。体育だって、汗かくほど、動かないし。啖呵切ったとはいえ、真面目にするのも嫌だなって、思いつつも、意外なくらい黙々と雪かきする漕艇部のヤツらに、馬鹿にされたくない一心で、あたしはとにかく、黙々とスコップを動かした。

 そんなことを考えながら雪かきしているのを、タカはどうやら察したらしく、こっち見てニヤッと笑った。そうしらた、何だかムカムカしてきて、あたしの顔はますます赤くなる。これ以上、恥ずかしい顔見られてたまるか!


「いやぁ、いいダイエットになってるみたいだねぇ」


 顔を上げると、それはタカではなく、すぐそこの家に住んでいる七十くらいのじいさんだった。


「今年は女の子もいるじゃないか。凄いねぇ」


 おもしろがって、白髪のじいさんは、わざわざこっちに向かってきた。


「女の子の力じゃ、大変だろ。ありがとうね」


 ハッハと、顔中に、たくさんのシワを作って笑いながら、じいさんはすっと、あたしと由子の前に、コンビニのビニル袋を差し出してきた。


「疲れただろ、少し休みなさい」


 中身は、ほかほかの肉まんだった。

 手を止めて、軍手をとりながら、「ありがとうございます」軽く頭を下げる。疲れ切っていたあたしにとっては、正直、本当にありがたかった。

 やっと雪の中から出たばっかりの縁石に座って、あたしと由子は無我夢中で肉まんを口に突っ込んだ。温かくて、慌てて食べたら、肉汁がヨダレみたいにはみ出して、でも、そんなの気にしてる場合じゃないくらい、おいしかった。


「きみたちも漕艇部なのかい」


 じいさんもよいしょと声を出して一緒に腰をかけると、あたしたちのことを、改めて覗き込んだ。


「いいや、美術部。今日は手伝いに来ただけだよ」


 言ったのは、タカだった。ザクッと、スコップを雪の山に刺して、ふうっと大きく息を吐く。


「今日だけだし。来週からは今まで通り俺たちだけで」


 その、『今日だけ』が、妙にカチンときた。

 じいさんが、


「ほら、きみたちも」


タカたちに肉まんあげるのを横目で見ながら、最後のひとかけらをパクッと口に突っ込んで、ギロッとタカを睨み付けた。


「何、まさか来週も来る気か」


 ケラケラッとタカはこっちを見下してくる。

 だからって、すぐに反応することも出来ない、プイッとそっぽ向いて、あたしはしばらくタカのことを見ないようにした。

 雪が降ったり、みぞれが降ったり、かと思えば、ビカッと今日みたいに晴れたり、そうやって、だんだん春が近づいてくる。東北の冬はとても長くて、早ければ十一月下旬、遅くとも十二月半ばには雪のシーズンが到来、三月末、四月はじめまで雪は消えない。この長い長い季節、お年より世帯が増加した地方では、こういうボランティアが一番必要とされてることは、もちろん知ってた。でも、自分の知らないところで、あの、普段脳天気なタカが、部活のトレーニングがてらボランティアを真面目にやっていたことは、あたしにとって、かなりショックだった。

 あの、ロックタウンをふらふらしていた日、いや、ホントはあの日だけじゃなくて、いつもふらふらしてたんだけど、ムキになって突っかかってしまって、こんなところを見せられた挙げ句、『今日だけ』『まさか来週も』なんて言われて、ムカムカするったらありゃしない。結局、あたしは次の週も次の週も、懲りずにボランティアに来ていた。


「また来たのかよ」


 タカは何週目かには、とうとう呆れたような顔をして、肩を落とした。


「うるさいな。ほら、やるならやろうよ」


 反省して、ホッカイロはやめた。ババシャツもやめて、薄着になった。

 今週は一丁目、次二丁目……って、少しずつ場所が変わっても、あたしは懲りずについて行った。毎週顔を出しているうちに、肉まんのじいさんだけじゃなく、その辺のじいさんばあさんとも顔見知りになって、ホラ、温かいコーヒーだの、おにぎりだの、貰ってはありがとうと、これもまた、楽しみだった。

 由子は最初の日以来、来なくなった。元々、無理言って来て貰ったのに、強制は出来ないし。


「いつまでやるつもりよ」


 期末テストが終わって、もうすぐ卒業式だって頃になっても、まだボランティア通いしてるあたしに、由子はとうとうそんなことを言い出した。


「そうだなぁ、いつまでしようかなぁ」


 放課後、美術部の部室で課題やりながら、まだ寒い窓の外を眺めた。二月下旬、ボランティアを始めて二ヶ月近く。絵を描くより、雪かきする方にやりがいを感じ始めた頃だった。


「まぁ、雪が消えれば、やらなくたっていいわけだし。とりあえず、今年は最後までやろうかなぁ」


 絵の具とシンナーの臭いが充満した教室で、作業用の机いっぱいに広げた課題は、思ったほど進まなかった。毎週末の雪かきで、あちこち筋肉痛、急に言われた『いつまで』って言葉は、意外にずっしりきた。


「まぁ、いいけどね。あんたのことだし。でも、いくらなんでも、のめりこみ過ぎじゃないかな。最初はただの意地だったみたいだけど、近頃はそっちの方ばっかりだし。あたしが誘わなかったら、部室だって来ないじゃん。一応部長でしょ。四月になれば今みたいに、余所の部のことに突っ込んでるわけにはいかなくなるよ。絵だって、そろそろ真面目に描かなきゃならないだろうし」


 秋の文化祭が終わる前までは、一応、文化部は三年でも活動はある。県美展には出品することになってるから、そのための一枚は油絵を仕上げなければならない。技量はどうせ大したことないし、入選はあり得ないとしても、形として、キッチリやらなきゃならないことぐらいは、あたしにだってわかってるんだけど。

 油絵は、ホントはあんまり好きじゃないんだ。やりたいことがなくて、とりあえず入ったような部活だ。普段は帰宅部。タカが言ってた通りだ。部長だって、無理矢理押し付けられただけだし。だらだらした雰囲気が好きで、そりゃ偶にはピリッとなる時もあるけど、イラスト描いてみたり、練習って言ってカンバスに自由に色乗せてみたり、みんなでワイワイ言いながら、ああでもない、こうでもないってやるのは、他の部にはない面白さだし、いいんだけど。

 漕艇部のヤツらみたいに、集団で合致してやる……なんてこと、あるわけがない、美術部なんて個人競技みたいなもんだし。それが何だか虚しいっていうか、何ていうか、自分が高校でやりたかったことって、こんなもんだったのかなって。

 思ったところで、由子に言っても、どうにもならない。あたしはただ、


「だよねぇ……」


 中身の抜けたような声を出して、ぼんやり、窓の外、北に帰る白鳥を眺めることしか出来なかった。

 毎朝教室に行ったら、タカはタカで、


「筋肉痛は治ったのかよ。で、何キロぐらい体重減った?」


 挨拶代わりにそんなことを言い、肩をバシバシ叩いてくる。


「うるさいなぁ。身体中痛いんだから、触んないでよね」


 ボランティアの時とは違って、ムカつくぐらいのアホ面だ。髪は寝癖なんだかカッコつけてるんだかわからないようなもしゃもしゃだし、口元は緩みっぱなしでシャキッとしないし、詰め襟の制服はボタン止める気すらない。リーダーぶって指示出したり、黙々とスコップ動かしたりしている日曜日とは、全然違う。


「次の日曜日、最後だぜ。来るのか」


 クラスのみんなの前で、タカはいきなり、大声を出した。

 ザワッと声が立って、目線が集中する。


「何、何してるの」


「何が、最後だって」


 興味本位で口を突っ込んでくるヤツも。


「行くよ」


 ボソッと答えると、


「え、デート? お前ら、付き合ってんの」


 野次を飛ばすヤツまで。


「雪かきだよ、雪かき。漕艇部の。史乃、あんたよくやるよね」


 由子のフォローがなかったら、完璧、付き合ってることにされるところだ。ありがとう、耳元でお礼を言って頭を下げると、由子は呆れたような顔をして、ゆっくり息を吐いた。

 それでも、『雪かき』の言葉を聞きそびれた何人かは、『タカと史乃は付き合っているらしい』というわけのわからない噂を信じてか、真相はどうなんだと何度かわざわざ確かめに来る始末、終いには、


「あんたたちは『付き合ってる』ってどういう状況かわかって喋ってんの」


 逆ギレしてアゴ突き上げて、蹴飛ばしてやっても、


「あれは恥ずかしいんだよ」


 そう捉えられて、面倒くさくなって、もうどうにでもなれと、放っておくことにした。

 ボランティア最後の日曜は、三月、啓蟄も過ぎたのに、雪だった。生憎の天気だったけど、気温は高くなったこともあって、地面につく頃には、雪はすっと解けて見えなくなる。二月と違って、地吹雪になるほど降ったりはしない。ただ、風は冷たくて、久々にホッカイロを腰に貼った。

 毎週毎週となると、だんだんそれが当たり前になってくるもので、『最後』ってのは、やっぱり寂しい気がした。最初はたくさんあった雪も、今はすっかり無くなって、あとは、家や塀の陰にある固くなった雪、かいた雪を積んでいた角の辺りだけ。平日の晴れた日にだいぶ解けてしまったらしく、雪かきらしいことはほとんどしないうちに終わってしまった。


「お疲れ様」


「疲れたね」


「ありがとうね」


 最後だと予告していたこともあってか、近所のじいさんばあさんたちが、手土産を用意してくれていたようだ。一人に一つずつ、アイラップに入れたお菓子と缶ジュース。あたしにまで。


「今日はこちらこそ、お土産までいただきましてありがとうございました。また来年、雪が積もったら来ますから。元気に待っててくださいね」


 代表で、漕艇部の顧問が挨拶、車通りのない小路で、漕艇部の面々と近所の人たち、合わせて三十人ばかり、割れんばかりに拍手した。

 年寄り世帯、一人暮らしが増えたこの界隈では、若い人がほとんどいないもんだから、ただ漕艇部の連中が来てくれるだけでも、相当嬉しいことだったらしい。肉まんのじいさんも、行く度に昔話をしてくれた。話相手になって欲しかったのだ。


「打ち上げ、『ぽんぽこぽん』でやるんだ。ちょっと遠いけど、史乃、お前も来るか」


「行く行く」


 歩きで三十分位かかる、ゆたかのお好み焼き屋に、団体で歩いて行った。だらだらと列を崩しながら、くだらない話をして進む。二ヶ月以上、日曜だけだけど、一緒に働いて仲間みたいになった漕艇部の男子共とは、どうでもいい話が出来るほど仲良くなった。大抵はテレビの話、学校の先生の悪口、たまに自分のこと。

 漕艇部の顧問の先生も、初めは美術部の部長……肩書きだけだけど、あたしが加わることを、あんまり良くは思ってなかったみたいだったけど、ひと月過ぎた頃からは、美術部の先生にも事情を話してくれるようになって、「仕方ないな」と受け入れてくれた。


「史乃もよく働いたもんな」


 夏の日焼けが一年中とれないその先生が、最後にねぎらいの言葉をかけてくれたのは、やっぱり嬉しかった。

 あの、雪かきを始めた頃とは打って変わって、街から雪が消えた。どこを見ても、真っ白で、灰色がかっていた風景にも、少しずつだけど、色が付き始めた。道路も歩道もすっかりアスファルトのグレーが見えてきたし、街路樹にも、よく見ればつぼみがある。車だって、以前は雪を被ったまま走っていたのが、すっかり車体を出して、赤やら青やら、グレー、白、シルバーと、いろんな色が飛び込んでくる。どこまで庭なのか道なのか境目もなかったあの雪山が、どのくらいだったかさえわからないくらい、今はすっかり雪が消えてしまった。土の色、解けた水の匂い、しんしんと降る雪の間から、僅かに子供たちのはしゃぐ声も聞こえてきた。

 ゆたかのロックタウンにあるお好み焼き屋は、タカたちが予約していたらしく、いつもの「いらっしゃいませ~ぽんぽこぽーん」の声で迎えてくれる。奥の座敷に行って、テーブル三つ占拠して、コースだかなんだかを注文し、届いたジュースで乾杯した。


「今年もご苦労さま。史乃も」


 顧問の先生は、一人、ノンアルコールビールだ。

 女子はあたし一人だけだったけど、お好み焼きは全部男子が焼いてくれた。ご丁寧に切り分けて皿に載せてくれる。次から次へと、皿が空になる度に、


「ほら史乃、もっと食え」


「腹減っただろ」


 つくづく、楽ちんだ。

 別のテーブルについていたタカも、面白がってやって来て、あたしと別の男子との間に割り込んだ。


「よぉ、食ってるか」


「食ってるよ。お腹いっぱいになってきた」


「ダイエットも意味なかったな。今日で元に戻ったんじゃね」


 横腹を指で突いて、嫌がらせ。


「うるさいなぁ。今日は特別だって」


 気分は上々だ。なんてったって、お姫様扱いの如く、みんなが何でもしてくれる。香ばしいソースの匂い、ジュウジュウと耳に響くお好み焼きが焼ける音、鰹節は踊るし、ジュースは飲み放題、パクンと口に入れる度、身体中を旨さが駆け巡る。

 こういうのは、まず美術部にはないな、と、急にそんなことを思い浮かべた。絵が描けたからって、打ち上げするかって言ったら、そんなことはない。誰かが賞をとっても、おめでとうの一言ぐらいで、これといってお祝いもなかった。競争するようなものでもないし、技術、センス、そんなのばっか。


「いいなぁ、漕艇部は。試合の後なんかも、やっぱり、こんなことするの?」


「まぁね」


 タカは言いながら、あたしの皿にお好み焼きを追加した。


「毎回とは言わないけど、結構やるよ。カラオケに行ったりね」


「へぇ」


「美術部は、ないの」


「ないなぁ。去年はお花見スケッチやったけど、それだけだったな」


「物足りないってか」


「まぁね。羨ましいよ」


 だからって、美術部の部長が、漕艇部のマネージャーに鞍替えするわけにもいかない。今日でホントに最後なんだ。


「部活だけが全てじゃないぜ、史乃。部活は学校のついで、だと思うしかないだろ。役付いてる分、ある程度責任はあるんだろうけど。あと半年、部長の役割果たしたら、受験地獄待ってるんだ。そっちが一番大事なんだから」


「あんたは気楽でいいよね。六月で引退でしょ。こっちはまだ、進路もあやふやなのに」


 タカがくれたお好み焼きは、既に皿からなくなっていた。もぐもぐと口を動かしながらため息吐くのを、タカは隣でハハンと笑った。


「美術部は嫌だ、進路は決まらない、お前はつくづく面白いな」


「何よ、喧嘩売ってんの」


「いやいや。たださ、こんな話、聞いたことあるか。『客が欲しい商品は売るな』ってやつ」


「は、何それ」


「客が『これください』ってきた品物は、本当にその客が欲しいものなのか、客本人は、実はわかってない、そういうことらしい。実際、別の商品を勧められれば、そっちの方が欲しくなることもある。本当に欲しいかどうかは、商品を勧められてみないとわからないって、そういうことらしいんだ。つまりな、お前は美術部に入った。それは自分で選んだはずなのに、面白くなかった。部長までしてるくせにだろ。ところが、漕艇部のボランティアに来たら、そっちの方が面白かった。端から見ただけじゃ、ホントに自分がやりたいことかどうかなんて、わからないわけ。やってみて、初めて面白いとか、面白くないとか、わかるわけだろ。進路悩むぐらいなら、誰だって出来る。やってみなきゃ、自分に合ってるかどうか、わからないわけだから、合わないと思ったらそこでやり直そうぐらい、気楽に考えてみればいいんじゃないの」


「……あんた、偶には良いこと言うね」


 長い台詞最後まで聞いて、ま、そうだなと、あたしは目の前のオレンジジュース手にとって、ゴクリゴクリと飲み干した。すかさず、別の男子が、


「史乃、おかわりもオレンジでいい?」


 グラスを持ってってくれる。


「偶にはじゃなくて、いっつも良いこと言ってるんだぜ。で、話は変わるんだけど、どう、ものの試しに付き合ってみないか、俺と」


 有線の音楽と、周囲のガヤガヤでよく聞こえなかったんだけど、確かにタカはそう言った。サラッと、大事なことを。

 あたしは思わず、誰もその台詞に気がついてないことを確認しようと、目をキョロキョロさせた。


「付き合おうぜ。教室で『付き合ってんのか』って言われたとき、ふと思ったわけよ、それも悪くないなって。どうだ、いっぺん」


 ポカンとなった。

 ホッカイロのせいでも、お好み焼きの鉄板のせいでもない、身体の芯から、火が出て、耳まで真っ赤になった。

 この、大勢の前で、しかも、サラッと、こんな大事なこと言いやがって……!


「史乃、オレンジおかわりどーぞー」


 届いたグラスぶんどって、あたしはグビグビ飲み干した。


「おかわり!」


 持ってきてくれた男子に、もう一回グラスを突きつけて、あたしはタカをガンと睨んだ。


「こ、この、アホが!」


 ……とまぁ、これがきっかけで、タカとは付き合うことになったわけだけど。世の中、何がなんだかさっぱりだ。

 春になって、あたしは相変わらず、日曜にも電車に乗る。今度は図書室でタカと勉強するためだ。田んぼからすっかり雪も消えて、畦の緑が眩しい。車窓から鳥海山もくっきり見える。気に入りの運転席の後ろに立って、あたしはううっと背伸びした。

 防寒着はやめて、薄手の春色ニットを羽織った。

 日差しは暖かい。桜の季節ももうすぐだ。



<標準語ver.終わり>

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雪解けまで待って 天崎 剣 @amasaki_ken

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