第24話 疾走。


 やっとの思いで家にたどり着いた私は、先にメイドたちに下がって湯の支度をしてもらうよう頼んだ。


 これから私が顔を合わせるであろう両親や兄に何を言われても、その傷が癒されるように。


 そして私を待っていたのは、叱責でも、もちろん慰めでもなかった。


「お帰り。」


「お帰りなさい。」


 家族仲は、悪い方ではない。それなりに話はするし、笑いだってあった。


 男兄弟を贔屓にする母が味方になってくれないのは知っていた。

 

 けれど、ここはどこだろうか。


 他人行儀な挨拶に、私は固まる。


 コール家とは遠くはないので、メイドから知らせなら届いているはずと口を開閉させる。

 それを察してか父が言った。


「コールからの連絡は既に聞いている。もう上で休め。」


 眉間を揉むのは、父の疲れた時の癖だ。


「……疲れたでしょう。いいわ。」


 追いやるように母に距離を縮められ、そのまま逃げるように寝室へ向かう。


 どうしよう。


 私の頭の中はそれでいっぱいだった。


 それでも、まだきっと詳細が届いていないからあんな態度をされただけよと縋りつく。

 そうでないと、簡単に足元をすくわれてしまいそうで。


「…やっちまったな。」


 部屋に入る前、嫌味な兄の声が聞こえた。


 私が、悪いのだろうか。


 途端に足元が見えなくなった。

 ひとりきりになった部屋は酷く寒く、思考はどんどん暗闇に引き込まれていく。


 もっと上手くできなかったから。

 コール家とは今後どんな関係になるのだろう。

 私のせいだ。

 きっとそうなのだ。

 カレンはああ言ってくれたが、私が友人だから肩入れしてくれているだけで本当は皆、私ができなかったから。


 ひゅ、と呼吸が詰まった。


 私は、役立たずなのだろうか。


 幼い頃から、ずっと、そのままなのだろうか。兄や弟より秀でるものはなく、女として生まれ、婚約者すら繋ぎ止めておけなかった私は、父の人脈のひとつを潰してしまった私は。


「お嬢様。お湯の支度が整いました。」


 扉越しに聞こえた声に、小さく応える。


「いら…ない、わ…」


 抑えていた衝動が解き放たれる。


 兄や弟のように、男に生まれて、この家の柱として必要とされたかった。

 必要とされたかった。

 でも。


「要らない。」


 ポツリと出た言葉が心に穴を開ける。刃のように、鈍器のように。何度も重複して襲ってくる。けれどそれが嫌になるほどしっくりと響いた。


 女として生まれていずれ家を出るはずだった私は、今、役立たずになってしまった。

 お荷物でしかなくなってしまった。


 どうしよう。


 涙でぐちゃぐちゃになった顔は、さぞかし醜悪なことだろう。


 色香なんていらない。望んでいない。


 ただ認めて欲しかった。その一心で頑張っていただけなのに。


「ああ……」


 壊れたような声と同時に、喉が熱を持つ。


 このままではこの家にいてはいけない気がした。


 それは自己防衛のためか、自暴自棄になっていたのか分からない。

 とにかく急いで紙とペンを取り出し、壁を支えにして文字を綴った。


 申し訳ありませんでした。出て行きます。


 これで良い。


 いや。


 どこか冷静な私は考え直す。

 

 こんな書置きをして出て行った方が不名誉になるのではないのか?


 一瞬よぎったその思考を受け入れ、私はその紙を何度も裂いて風に散らした。


 そして窓から顔を出してまた思い付く。

 

 出よう、ここを。

 窮屈で仕方がない。

 行く当てはない。

 領地を離れ、教会へ行こう。

 そして修道女として、役立たずに生まれたこの身を懺悔しながら過ごそう。


 そこまで考えると、急に体が軽くなった気がした。

 ここは二階。飛び降りれない高さではない。けれど、それなりに距離がある。


 死んでしまっても――


 そんな考えが浮かんだが、庭が汚れるだけだ。

 メイドを驚かせてしまっても申し訳ない。


 臆病なのか冷静なのか、判断はもう正常とは言えなかった。


 下町へ出かける用に仕立てた簡素な服に袖を通し、ゆっくりとバルコニーから身を乗り出す。シーツをバルコニーに引っ掛けて、勢いよく飛び降りた。

 二重にしていたからか上等なものだからか。

 破れずにそのまま飛び降りても怪我のない高さになり地に足を着ける。


 そこから屋敷を出て、人の目を掻い潜りつつ走るのは気が楽で楽しかった。


 自由になった気でいた。


 そこを、横から殴られたのだ。


 その時の気分は鮮明に覚えている。


 どうか私に、安らかな死を。


 そう、確かにそう思っていたのに。


 ゴブリンから捨てられた場所で生を認識してしまった私は貪欲に渇望してしまった。


 生きることを。


「シェリーちゃん?大丈夫!?シェリーちゃんっ!」


 私を呼んでくれる声がとても心配そうで、私は強く閉じていたまぶたを開け、覆っていた耳から手を離す。


「メリィ、さ…」


 ああ。ここは大丈夫。

 

 強張っていた心がゆっくりと解けていく。

 荒くなっていた呼吸がゆっくりと落ち着いていく。


「大丈夫、大丈夫よ…ありがとう。」


 そばで支えてくれているメリィさんとトットちゃんの柔らかい手を握って、何度も何度も頷いた。

 その度に零れ落ちる涙が膝を濡らしていく。


「いくらなんでも酷いです、魔王様!!」


 トットちゃんが怒ったように言う。


 私はその言葉に後ろを振り向いた。


「まおう、さま…?」


 真っ黒な瞳は確かにあの時を思い出させるが、それ以外はいつもお店へ来てくれるあのひとと変わりない。


 どうして。

 何故。

 双子?


 色々な憶測が私の脳内を駆け巡るが、メリィさんが目を見開いて驚いたようにトットちゃんの口を押さえる。


「…………いや、良い。済まない。私に非がある…」


 少し落ち込んだように低く小さくなった声と共に、彼は扉の外まで下がって半分だけ顔を覗かせる。


「強い精神分裂が起きていたようだから、崩壊しないよう引き戻しただけだ。」


 そのままの状態で説明してくれる彼を見て、私は口角が引きつった。


 笑顔なのか分からないが、確かに私は微笑んだ。


「…ありがとう、ございます…」


 感情がぐちゃぐちゃだ。

 整理のつけようがない程に。


 もう手遅れで、私は壊れてしまったのかもしれないわ。


 そう思うくらいに、感情や思考が手放されて制御が利かない。

 感謝、憎悪、喜び、嘆き。全てがちぐはぐに合わさったままだ。

 まるで、噛み合わないネジを無理やり押し込んでいるような。


「要らない、って…」


 乾いた心と唇が、確かめたいと、まだ抉り足りないと言うように言葉を紡ぐ。

 まるで人形のように一点に定まった視点は、真っ黒な瞳へと向いた。


 胸の奥にある古傷を何度もひっかくような痛みが止まらない。


「私、やっぱり…要らない…ですよね?」


 元々異質な人間。魔族に紛れて暮らすなど、私でさえ不可能だと思っていた。

 でもやはり、無理なのだろう。

 

 彼はそれを告げに来てくれたのだ。


 否定して欲しい。

 肯定して欲しい。

 今度こそ立ち直れないくらい、突き放して、傷付けて、いっそ――

 ―――潔く、この命を、散らして欲しい。


 私の命運を断ち切る刃を振り下ろすのがその黒ならば、後悔や未練は、きっと無い。


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