第3章

3-1 サボテン

 窓の外から小学生の声が聞こえる。

 布団から目だけ出すと、閉めきったカーテンが目に入る。遮光ではないから見たくもない光が見える。

 楽しそうな声。聞きたくない。明るい光。見たくない。


 リビングから部屋に近付いてくる足音。ああ、今日も。布団で頭まで完全に覆う。

 部屋の扉が開く音がする。ベッドのすぐ脇に人の気配。お母さんだ。


いのり、今日はどう?」


 無言でこたえる。こういうとき、いつも声が出なくなる。喉が完全に閉まっているような。


「黙ってちゃわからないよ。ちょっと顔見せて。」


 強引に布団を引き剥がされる。布団を握って抵抗するが手に力が入らない。

 光が目に突き刺さる。両手で顔をおおって縮こまる。これ以上小さくなれないほど、体を丸まらせる。


「今日も行かない?」


 小さく、小さく、ゆっくり頭を縦に振る。

 本当に行かない?と、もう一度聞かれたが今度は何も反応することができなかった。

 お母さんは立ち上がり、部屋を出ていく。扉を閉めるとき、ため息が聞こえた。

 それを聞いた瞬間、抑えていた涙が出てきた。

 しばらく、丸まった体勢のまま泣いていた。布団のすぐ横にティッシュ箱があるのにそれを取ることもできなかった。布団にシミが広がる。いつものことだ。


 リビングから母の声が聞こえる。中学校に電話している声。今日も欠席の連絡だ。

 しばらくしてやっと涙がひいてきた頃、また母の足音近付いてきた。

 扉が少し開いて


「仕事行ってくるね。」


 とだけ言って扉が閉じる。リビングのあたりからバタバタと音がした後、玄関の大きな扉が開いて大きな音をたてて閉まる音がした。今、家には私一人だ。


 ずっと顔を覆っていた手を少しずらすと壁にかけてある制服が目に入る。いつから着ていないだろうか。肩の部分は埃をかぶっているかもしれない。


 布団が剥がされて、身体は冷えきっていた。けれど、再び布団をかぶり直すことは何故か気が引ける。自分が図々しいような、ろくでもない人間に思えてしまうから。皆は学校に行っているのに、二度寝するなんて。


 それでもベッドから立ち上がることができない。身体に力が入らない。目は覚めていてもどうしようもできない。

 足元にある布団は動かさないまま冷えた身体だけ動かして、潜り込んで小さくなった。


 いつからだろうか。こんな生活をしているのは。親にも先生にも友人にも、あらゆる人に「なぜ学校に行かないのか。」と問い詰められたが、自分でもわからない。むしろ自分が一番わからないのだ。周りは「疲れがたまっているのでは」「反抗期なのでは」といろいろな理由を付けるが、自分では何もわからなかった。

 




 どれくらい経っただろうか。寝ているか起きているかの狭間でぼんやりしていると、家のインターホンが鳴った。時計を見ると昼が近かった。お父さんやお母さんが帰ってくるにはまだまだ早い。鉛がついたような体を起こして足音を殺しインターホンカメラを見に行く。


「宅配便で~す。よろず宅配便で~す。」


 男性の声がインターホンを通して家の中に響く。宅配便であることは予想していたが、聞いたことのない名前だった。

 私は無言でカメラの向こうの人物を見つめる。親に、誰かが来ても出なくていいよと言われているためだ。そもそも人に会えるような風貌でも精神状態でもない。


「小山田祈(おやまだいのり)さんから、小山田祈さん宛で~す。」


 ……何を言っているのだ? 確かに私の名前だが、送り主まで同じ名前になっている。言い間違いだろうか。


「送り主様から ”印鑑不要で玄関の前に置いてください” と承っておりますのでこちらに置いておきますね~。」


 宅配便屋はインターホンのすぐ下に荷物を置く動作をして、「失礼しま~す」と言い残し走り去って行った。

 閉めきったカーテンの隙間から外をうかがい、宅配便屋が去ったことを確認した。しばし頭をめぐらせる。私が家にいることがわかっているような口ぶりだった。私から私宛? もしくは同姓同名? 誰かの嫌がらせ──?


 いつもならインターホンを見に行きもしない。しかし今日は宅配荷物がとても気になる。

 家のあらゆる窓から外を確認する。あの怪しい宅配便屋ももちろんだが、ご近所さんがいないことも確認した。平日のこの時間に家にいることを見られたくない。ましてや声をかけられてしまったら。


 誰もいないことを確認し、玄関の扉を開ける。すぐにインターホン下の荷物を回収し、扉を閉め鍵をかける。五秒もかからなかった。

 荷物の伝票を見る。確かに、送り主は私の名前だ。言い間違いではなかった。


 嫌がらせなら、何が入っていてもおかしくない。今さら荷物を家に入れたことを後悔した。どうしよう、刃物とか動物の死骸とか。なぜ学校に来ないのか、学校に来いという手紙でも入っていたら……。


 親が帰ってくるまで待とうか。そう思った時、荷物の一部のガムテープが破れてしまった。他の部分はしっかりと梱包されているのに、その破れた部分だけ貼り方が甘かったようだ。几帳面なのかポンコツなのかわからない送り主だ。


 中身が少しだけ見える。物騒なものは入っていない。ここまで開いてしまったら腹をくくるしかない。


 完全に荷物を開封すると、写真が一枚入っていた。大きな箱にそれだけ。


 写真はサボテンの写真だった。サボテンの鉢植えを支えるように誰かの手が写っている。おそらく、この荷物の送り主だ。

 特に裏を見ても何か書かれているわけでもなく、なんの変哲もない。わけがわからない。


 しかし、写真のなかのサボテンにとても興味を惹かれた。トゲだらけで、オシャレとか華があるとはいえないのに、送り主はとても優しい手で慈しむようにサボテンを支えている。長い時間、写真を見つめていた。




 

 その夜、母に話してみた。


「ここらへんで、植物見られるところあったっけ? ……サボテンとか。」


 母は目を丸くした。


「お花とか興味あるの?」


「いや……ちょっと。」


 宅配便のことは何故か言わなかった。自分でも理由はわからない。


「う~ん。小さめの植物園があったかな。でも、ここからちょっと遠いよ?」


「どこらへん?」


 植物園の名前と場所を教えてもらった。自分にとっては遠い方が都合が良い。クラスメイトや同級生にばったり会うことだけは避けたい。 

 どうやって行こうか黙って思案していると、父が次の休日に車で行くことを提案してくれた。しかし父の休日は仕事の都合上、平日だ。自分は学校にも行っていないのに、外出することに何か言われるかと思ったが真逆の反応であった。


 植物園に行く日。久しぶりに外に出た。支度の仕方も忘れていてずいぶん時間がかかった。

 母は留守番をし、父と車で目的地に向かう。車の中は無言だった。

 植物園は確かに少し遠かった。車じゃないと来るのは難しい距離だ。



 車を降りて植物園に入る。一面、緑だ。独特の香りがする。来ている人は少なく、いたとしても私より年代が上の人がほとんどだった。

 色とりどりの植物に見とれていると、父がいつのまにかいなくなっていた。ふと見ると、離れた場所の花を見ていた。少し気が楽になって植物園の中を歩き回る。


 歩きながら例の写真をカバンから取り出す。こっそり持ってきていた。写真のようなサボテンはないだろうかと探して回る。

 サボテンのエリアは見つけたものの何かピンとこなくて、ウーンと唸った。すると、植物の中から作業着のおじさんが顔を出した。


「探し物かい?」


 そこに人がいると思わず、驚いて肩がはねてしまった。それに気付いたおじさんは「ごめんごめん」と陽気に謝る。どうやらこの植物園のお世話係さんのようだ。


「何を探してる?」


 モゴモゴと「サボテンです…」と答えると、おじさんはさっきまで私が見ていたサボテンを指差す。


「こういうのじゃなくて?」


 少し悩んだが、知らない人だし、と思いきって写真を見せた。


「あ~これね!」


 おじさんはすぐに理解した様子で、植物のお世話をしていた手を止めごそごそ出てきて歩き出した。あわてて後をついていく。




 着いた場所は、植物を売っているエリアだった。植物園ではあるが、販売もしているようだ。

 その中のすみっこの一画。自分が求めていたサボテンだ。


「見た感じ、これと同じ品種だと思うよ。」


 おじさんは小さなサボテンの鉢植えを手に取って私に渡す。まじまじとサボテンに見いっていると、


「サボテンいいよねえ。いい趣味してるね!」


 おじさんはニカっと笑う。これはもう買わないといけない流れだと悟った。しかし、おじさんのおかげで買う踏ん切りもついた。




 

 その日から、サボテンとの暮らしが始まった。植物の知識はほとんど無かったため、月に何回か植物園に行って、おじさんに育て方を教えてもらった。平日に植物園に来ているのに、おじさんは学校について何も聞かなかった。


「サボテンは水をやり過ぎたらダメだよ。砂漠で強く生きるやつだからね!」


「休眠期ってのがあるんだよ。サボテンも休みがいるんだよね。」


「日当たりの良い場所に置きな! 日向ぼっこはサボテンにも良いもんだよ。」


 おじさんはいつも帰り際に「いつでも来な!」と言ってくれた。





 どれくらいそんな生活をしただろうか。学校には相変わらず行かなかったが、植物園には気が向いたとき顔を出した。毎回、父が車で連れていってくれた。

 最初は無言だったのが、回数を重ねるにつれて植物についての会話をするようになった。植物園に行くようになってから、親のため息を聞く回数が減った気がする。



 月日が経ち、卒業式の日になった。

 今まで何度か保健室登校を試みたが上手くいかなかった。

 卒業式だけは学校に行こうと決めていて、久しぶりに制服も着た。かぶっていた埃もとった。だけど玄関で靴を履いたとたん、立ち上がれなくなった。血の気が引くような感覚がした。何故なのか、やはりわからない。父と母は今日のために仕事を休んでくれたのに。




 諦めて、自分の部屋に戻る。部屋着に着替える力も出ず、座り込む。薄暗い部屋、最近はカーテンを閉めたままだ。卒業式が近づくにつれて気持ちも沈んで、カーテンを開ける気にもなれなかった。

 カーテンの隙間から太陽の光が射し込んでいる。最近はサボテンの様子も見ることができていなかった。窓とカーテンの間にサボテンを置いているからだ。



 誰かが送ってきたサボテンの写真。それがきっかけで外に出られるようになって。家族以外でお喋りできる人ができて、でも、最後はやっぱりダメだった。



 のろのろと窓に近づいてカーテンをゆっくりと開ける。太陽の光が目にささる。光に目が慣れてサボテンの姿を視界にとらえた──。



 サボテンから、小さな小さな花が咲いている。色あざやかなピンクの花だ。小さいけれど、しっかりと力強く咲いている。陽があたって眩しく輝いていた。



 そこからは大騒ぎだった。サボテンに花が咲くことを知らなかったためだ。サボテンを持って部屋を飛び出し、両親にトゲが刺さりそうな距離で見せた。両親も数分前まで落ち込んでいただろうに、私の大騒ぎに巻き込まれて卒業式のことは頭から吹っ飛んだようだ。


 父に頼んで車をだしてもらい植物園に向かう。おじさんにも見せなければ。今日は母も一緒だ。

 車中、私があまりにもサボテンを握りしめて凝視しているために「トゲが刺さるよ」と両親に苦笑いされた。

 



 植物園に着くと、真っ先におじさんを探す。最初に会った場所で、いつものように作業していた。


「おっ、どうしたどうした。そんなにあわてて。」


 少し走っただけで息切れしていた。


「見ておじさん! サボテンに花が咲いた!」


 サボテンを突きだして花を見せる。


「お~! 咲いたか! おめでとう!」


「なんで花咲くって教えてくれなかったの!?」


 おじさんは頭をぽりぽりかいて困ったように笑う。


「咲くっていって咲かなかったら悲しいしなあ。……知ってるとおもってたし。まあ! サプライズってもんよ! 上手く育てたな!」


 おじさんがわしわしと私の頭をなでる。「土がつく!」と私が言うと「おっと! スマン!」とおじさんはなでるのを止める。


「ところで、最初に見せてくれた写真は誰のサボテンなんだ?」


 おじさんが言ったことで思い出す。そうだ、あの写真は。ごそごそとカバンをあさり写真を引っ張り出す。



 写真を引っ張りだすと、何かがひらりと落ちた。拾い上げると、同じ大きさの──写真だった。


 二枚目の写真は、一枚目のサボテンと同じものに見えた。ただ違うのは、花が咲いていることだった。それも、今、目の前にある自分のサボテンと同じ色、同じ形の花だ。


「そっちの一枚目の写真、裏に何か書いてあるぞ。」


 言われて一枚目の写真を裏返す。今まで二枚重なっていたために気づかなかったようだ。





『かつての私、頑張ってくれてありがとう。そしておめでとう。』





 おじさんと顔を見合わせる。──かつての、私?



 もう一度表を見る。手が写っている。サボテンを支える手が──。


「ほくろの位置が一緒だ……。」


 写真を持つ自分の手と、写真の中の自分の手。ほくろのある場所が完全に一致している。


「面白いこともあるもんだなあ。」


 しみじみとおじさんが呟く。


「おめでとうってのは、花が咲いておめでとうってことか?」


「それもある。」


 卒業式に行けなかった自分に、学校に行けなかった自分に、未来の私から、祝辞だ。


 花の咲いたサボテンと二枚の写真を抱えて、おじさんに言った。





「また来るね! また花咲かせないといけないから!」





 おじさんは今までで一番良い笑顔でうなずいた。


 

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そのお荷物、承ります。 麦野 夕陽 @mugino

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