番外編Ⅱ 銀のかけら




「ほほほほほほ、大漁大漁ッ!!」

 マーガレットが生き生きとした声を高らかに発した。その伸びやかな両腕には、服飾品を包む上品な紙袋。足回りにも、同じような包装が抱えきれないままで街路に鎮座している。

「す、すごい荷物になっちゃったわね……」

 リーンが瞬きしながら言葉を寄せると、マーガレットはいっそ誇らしげな笑みを浮かべる。

「買い物はね、極上の道楽なのよ」


 天空都市の大騒動が収束してから間もなく、不慣れな疲労のためかリーンは熱を出してしまった。少女の体調が回復するまではと、都市での滞在期間を延ばすことになった。数日も経てば熱は下がり、食欲も戻ると、当初の目的である街中観光へ連れ出される。

 噴水広場のカフェでは、ジェラートとフルーツがてんこ盛りのパフェをプリムローズと一緒につつき合う。

 空中庭園では、ジョシュアとまったり日向ぼっこ。

 グランモールでは、マーガレットとウィンドウショッピング。もっとも、ウィンドウ越しで見つめるのはリーンだけだったのだが。

 立ち並ぶブティックを、さ迷うような控えめな目線で通るリーンとは打って変わって、マーガレットの視線は獲物を一発で仕留めるハンターのそれである。ショーウィンドウに目ぼしいものがあれば、すぐさま店内に入り、すぐに試着し、満足そうな笑みを浮かべたものだけを購入していく。

 どうしてそんなに即決出来るのか訊ねてみれば、迷うものはそもそも欲しいものじゃないのよと、あっさり明快な答えが返ってくる。

(……それもそうかもしれない)

 リーンは少しばかりのため息をついた。何か欲しいものがあれば遠慮なく言えと、マーガレットからは景気の良い文句を頂戴している。けれど、きらびやかに彩られた店内を見渡してみて思うことは、綺麗、素敵、といった感銘ばかりで、決して『欲しい』ではない。

 キャンベル家に来てからは貰ってばかりだからだろうか。今身に着けている白いコットンドレス――ピンタックとレースであしらわれた可憐な装い――も、フラウベリーに来てから仕立ててもらった大切な一着だ。他にも沢山仕立ててもらってしまい、着るに困るものはない。

 だからといって大きな宝石の嵌めこまれたペンダントやブローチを眺めてみても、やはり同じような感想しか出てこない。

「……欲しいものがないなんて、何だかちょっと寂しいわ」

 しょんぼりと下がってしまった頭を、マーガレットは苦笑しつつ優しく撫でた。

「お気に入りを見つける一番の方法はね、焦らないことよ」

 そう言って気を取り直すように、ぐるりと辺りを見回した。周りを囲むのは、戦利品である紙袋の大群だった。

「……さすがに道楽しすぎたわ。抱えて歩くには、ちょいとばかし重労働ね」

 渋面のマーガレットは、先程立ち寄ったブティックの出入り口に視線を合わせた。

「ここで少し待っていて頂戴。ホテルに諸々運び込むようにお願いしてくるわ」

 リーンが頷くと、マーガレットは足を数歩進めた後で、途端に身を翻した。

「勝手にウロチョロしちゃダメよ。ちょっとでも何かに巻き込まれて御覧なさい、今度こそ、その細首に可愛い可愛い首輪を付けてあげるから」

 麗しい微笑みから放たれた言葉の不穏さに、背筋の凍ったリーンは何度も首を縦に振ってみせたのだった。


 マーガレットが店内のスタッフと話し込むのを窓越しに見つめながら、リーンは再び小さなため息をつく。

 何日にも渡って街中を巡り歩いたが、結局手に取ったものは、ジョシュアに連れ立って入った店で見かけた小さな紅茶缶一つ。それも店員からやたらに勧められて、おずおずと手にしたものにすぎない。

 結局、自分一人で決められていないのだ。

 ――君は、誰かに何かを言われければ、何も出来ないのかね。

 不意に、記憶の底から浮かび上がってくるのは青年の低い声。まだキャンベル家に来て間もない頃に、呆れ気味に放られた言葉だった。目の前に何かがあっても選び取れないのだから、そう思われても仕方ないのかもしれない。

「……ヨッカはどうやって欲しいものを決めるのかしら」

 陽の傾き始めた空へ向けてひとりごちた言葉は、存外寂しさを纏っていた。

 事件が終わった後も、ヨークラインは解呪師局に呼び出されていた。後処理があるらしく、皆が観光している合間もずっと別行動を取っている。仕事の邪魔をするのは気が引けたが、少しの間だけでも一緒に街を見て回りたかったというのが小さな本音だった。

 もし難しくても、彼の代わりに買い物を請け負ってみればどうだろうか。そうひらめいてみれば、塞ぎ込んだ心が僅かに軽くなっていくのが分かる。

「戻ったら、ヨッカに欲しいものを訊かなくちゃね」

 拳を握る視界の片隅より、ちらりと光が走る。何かが反射して訴えかけるものは、通りの反対側にある小さなショーウィンドウにあった。

 真っ直ぐ視線を向けると、その瞳の澄んだアイスブルーが大きく見開かれる。

「わぁ……」

 無意識に零れる言葉と共に、足がふらりと吸い寄せられるように向かってしまう。

 窓際のトルソーに飾られるのは、純銀の柔らかなヘッドドレスだった。

 透かし彫りの銀細工が頭全体を覆う作りで、繊細なティアラとしても映る。後ろ部分にも細身の細工で半円を描くようにぐるりと囲まれ、そこに繋がれるのは紺青鮮やかなサファイアと、純白の形よい真珠。髪を彩るためなのか、幾筋も真下へと垂れ下がっている。

 セット品の白蝶貝の耳飾りは、乳白に浮かぶ虹の光沢が美しく、淡い華やかさを添えている。

「……いいなあ」

 うっとりと呟かれた声音が自分のものだったと気付き、リーンは戸惑った。

 心が躍るように、胸奥の大事な部分へとじんわりと染み渡っていく――これが、きっとこれが、『欲しい』というものなのだろうか。

 そしてこれは、自分には途方もなく高望みなものではないのだろうか。

 小さく添えられた値札に恐る恐る視線を合わせ、一瞬、思考が沈黙する。

(…………桁が数えられない)

 買い物経験が乏しいリーンには、とりあえずとんでもなく高い、ということだけは分かった。マーガレットに遠慮なく望めるものではないことも。

 それでも、手に入らないものだと知ってしまっても、少女の瞳は美しい銀細工に囚われたままだ。

 いいなあ、とまたしてもひっそり呟いてしまう。

「欲しいのか?」

 突如隣から低い声が降りてきて、思わず肩を跳ね上げた。無機質な表情のヨークラインがリーンを見下ろしていた。

「よ、ヨッカ……!?」

「素っ頓狂な声を出すな。驚かせたみたいで悪かったが」

「う、ううん、私こそごめんなさい。こんなところでヨッカに会えるとは思わなかったから」

「先方とようやく話がついたからな、その帰り道だ。君の体調も戻ったようだし、明日にはここを発つ」

「……そう」

 どうやら一緒に街中を巡る機会もなさそうだと、リーンはひっそり落ち込んだ。

「それで、君はこれが欲しいのか?」

 躊躇なく話題を戻されて、少女は首を強く振り回した。

「と、とんでもないわ! そんなに高いもの、私には必要ないもの」

「高いとか安いとか、君が考えるものではないだろう」

「あの、どうしたって考えると思うわ……」

 そもそも手が出る金額ではないし、今後働いて得られる稼ぎで手に入れられるかどうかも分からない。そこまでして欲しいものなのかも分からない。

「とにかく、分不相応っていうものよ。お姫様ならともかく、なんにもすごくない私には相応しくないわ」

 何故こんなに言い募っているのかも分からない。回らない思考で必死になるリーンを見てなのか、ヨークラインは不可解そうに眉を寄せた。

「……君は自分の立場をちっとも分かっていない」

「え……?」

「ガーランド家は、王家に連なる一族だ。言わば君も姫君のようなものだぞ」

「あの、でも、それって私の生まれた家の話でしょう? 私とは関係ないものじゃないかしら……」

「一理あるが、関係はある」

 事もなげに言い切るヨークラインの視線が、ますます鋭くなるようだった。その冴え冴えした硬い瞳にたじろぎながらも、リーンは打ち切るように声を大きくした。

「とにかく、高望みだし、雲の上の話だし、ちょっといいなって思っただけなの! あまり真剣に聞かないでほしいわ」

「……まあ、分かった。君がそう言うのなら」

 ヨークラインは釈然としないようだったが、小さく息をついてそれ以上言うことはなかった。

 ホッとしたリーンは明るく言葉をかけ直す。

「それより、ヨッカの欲しいものはないの? 忙しそうだったから、代わりに買い物を手伝えないかと思っていたの」

「特に必要ないな。食材関係はジョシュアに、日用品はマーガレットに事づけてある」

「そうじゃなくて、ヨッカが好きなものなんだけど……」

「……俺の好きなもの?」

 意外だったのか、ヨークラインが目を丸くして繰り返す。

「メグはお洋服、プリムは特大パフェ。ジョシュアは異国の食材を色々買ってたわ。ヨッカだって、たまにはそういうお楽しみがあってもいいんじゃない?」

 自分のことは棚に上げて強く説得を試みるのは、彼の買い物をしてみたいというささやかな願いのためだ。

 ヨークラインはしばし考え込んでいたが、やがて逃げるように視線が逸れた。その様子が珍しくて、リーンはきょとんとしながらも問いかける。

「……もしかして、ヨッカも好きなものを探すのが苦手なの?」

「そう言われると何やら癪だが、……物欲が薄い方なのは自覚している」

「物欲……。ふふ、そっか……そうなのね」

 堪えきれずにくすくすと笑ってしまうと、ヨークラインは決まり悪そうな仏頂面で睨んでくる。けれど、先程の鋭利な眼差しはまるでなくなっていた。

「君も俺のこと言えたものではないんだぞ、分かってるのか」

「うん、分かってるわ。私も好きなものを探すのがへたくそなの」

 それでも少女は心軽く笑ってみせる。自分だけじゃなかったのだと、そんな小さな重なり合いがたまらなく嬉しかった。

「この街には色んな素敵なものがあるのに、何が欲しいのかちっとも分からなくて落ち込んでたの。でもね、欲しいものはなかったけれど、ヨッカと街中を巡れればいいなあと思ったの。欲しいものはそれだったの。私だって、ちゃんとしたいことがあるって気付けたの。だから私にはそれで充分なの」

 それだって紛れもない欲の一つなのだから。選び取れたことが小さな自信となって、リーンは堂々とした気分でヨークラインと向き合える。

 片やヨークラインは一瞬途方に暮れたような表情をしたが、やがてため息に似た小さな呟きが零れた。

「……本当に、君には困ったものだな」


「そこの言うこと聞かないお嬢様、どちらの首輪をお求めでしょうか?」

 馴染みある麗しい声が聞こえ、さっと青ざめたリーンは真後ろへ振り向いた。腕を組んだマーガレットが、穏やかな微笑みを浮かべている。

「メ、メグ……。ごめんなさい、その、このお店のが、綺麗でうっかり」

「うっかりホイホイ餌につられちゃ世話ないの。勝手に動かないでって言ったでしょうに。じっとしてられないわんぱく令嬢には、名札がどうしたって必要よね」

 あくまで微笑みだけは上っ面に貼り付いていたが、言葉の響きは決して穏やかでなかった。念押しされたばかりの言い付けが全く身になっていないことを証明してしまったのだ。

「本当にごめんなさい! お、お願いだから首輪だけは……」

 事情が分からずとも、怯えるリーンを見過ごす訳にはいかないヨークラインはつい口を挟む。

「首輪だの名札だの動物飼育のような口振りは慎め、マーガレット。……そういえば彼女のことで報告があったように思うが、それと関係があるのか?」

 後半何気なしに訊ねられた文句は、マーガレットも分が悪かった。咳払いをして、けろりと口調を変えて話をずらす。

「ま、首輪は冗談だけど、リーンの装飾具はどの道決めなきゃいけないの。祭りが始まる前にはね」

 ヨークラインも思い出したのか、真面目に頷いた。

「確かにそうだな。特に冬至祭は伯領全体に渡る神聖な儀式だ。それに見合った盛装をしてもらわねば」

 そしてちらりと飾り棚へ視線を移した。マーガレットも図ったようにそれに倣う。

「……あら、手頃なのがあるわね」

「手頃!?」

「手頃かはさておき、彼女が欲しそうにしていた。利害が一致する」

「一致かしら!?」

 素っ頓狂な声を上げ続けるリーンに構わず、ヨークラインとマーガレットは話を進めようとする。

「まずはサイズの確認だな。このモデル品は少し大型だから、頭回りと全長を計って、……祭りまで間に合うか?」

「冬至祭になら間に合うんじゃないかしら。ついでに細工にも宝石いくつか散りばめて、もっと華やかにしてもらいましょ」

 まさか一から作らせるつもりなのか。つまりは一点ものだ。買い物に慣れていなくても、更なる桁外れの価値あるものだとは理解している。

「い、いらない! 本当にいらないから! 私には過ぎたものだから……!」

 

 結局、何とか必死に説得したことで、特注は見送りとなった。代わりに、少女の腕には小さな銀のブレスレットが下がっている。頑なに引き下がらない二人を折らせるには、どうしても何かを選ぶ必要があった。

 飾り棚の片隅に置かれていたもので、草花をモチーフにした控えめなデザインだ。ヘッドドレスの装飾と似通っており、同じ職人が作ったのであろうと思わせた。

「そんなちっぽけなものでいいの?」

 夕焼けに急かされながらホテルへの道中を歩きつつ、未だ不服そうなマーガレットが訊ねてきた。リーンは満開の笑みで頷いてみせる。

「私には充分すぎるくらいよ。本当にありがとう」

 左手首にぶらさがる銀色をゆるりと撫でてみた。色素の薄い肌に良く馴染んでいて、まるで昔からそこにあったようにしっくりきている。間違いなく自分に見合うものだったと、リーンは心を綻ばす。憧れのひとかけらだけでも、手に取れた気がしていた。




 

「あの子の綺麗な髪にきっと映えるのに」

 心なし弾んだ足どりで進むリーンの少し後方で、マーガレットは口を尖らせてぼやいた。その隣を歩くヨークラインもじっと前を見据えている。背に真っ直ぐ流れる滑らかな黒髪が、少女の動きに合わせて軽やかに揺れ動いている。

「……無駄な欲がないのは美徳かもしれないが、彼女は少々謙虚がすぎるだろう」

 面白くなさそうな声音は、明らかに不満であることを告げていた。そろそろ隠し切れてないと、マーガレットは思わず笑いを噛み殺してしまう。

「そりゃあ、ねだるにしたって勇気のある品だもの。あの子ったら、お目が高くて結構なこと」

 きらびやかな頭飾りはマーガレットも目を奪われた。何も手に取らなかった少女の唯一お気に召したのが、凛と輝く女神が見初めてくれる領域のものだなんて。審美眼の高さは、やはり家筋から来ているのかもしれない。たとえ廃れたとしてもガーランド家の血を引く少女なのだ。生まれた場所で目に触れるものは、たとえ目立たなくとも影響を残すのだろうか。

「兄さんがえらくノリがいいからついつい合わせちゃったけど、いつにも増して大盤振る舞いなのはどうしてなのかしら」

 含んだ笑みで投げかける妹へ、ヨークラインは懐から小切手一枚を取り出してみせた。金額に目を通したマーガレットは思わず何度も瞬きを繰り返す。

「先方からのお達しでな、此度の騒動で箝口令かんこうれいを敷くことになった。後日の公式通知が我々の知るところとし、その口裏合わせの見返り……と言ったところか」

「うわーお、予想外の臨時収入だったと」

 口止めの意図が不可解だったが、ヨークラインの苦い表情からも同じ胸中が伝わってきた。

「気は進まなかったがな。かと言って、あちらの面子を潰す訳にもいかん。ならばあっさり貰って、あっさり使い切ってしまった方がお互い気分が良かろう」

「そ。じゃあ、あたしとプリムの分もこさえてもらおうかしら。そのついでという名目でなら、あの子も納得するかも」

「好きにしろ。お前に任せる」

「ヨーク兄さんの思い切りのいいとこ、嫌いじゃないわ」

 マーガレットは小切手を口元に添えて、満足そうにくすくす笑う。

「それと、明日の出発は取りやめだ。一日ずらす」

「あら、どうして……って、訊くまでもないのかしら」

 笑いを噛み殺せないと言わんばかりのマーガレットを尻目に、ヨークラインは内心苦々しくため息をついた。一人だけで今にも駆け出してしまいそうな、心躍るような足取りのリーンを今一度見つめながら。

 何処までも控えめな願いにすぎないのに、まるで宝物のように語った少女の声がいつまでも耳に残っている。優しくやわらかな残響は煩わしい程で、だからこそさっさと拭い取ってしまいたい。そう心で言い訳をしつつ理由を述べた。

「欲しいものを買うためだ」




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る