第17話 夏 天空都市Ⅳ



 頬が掠れるような冷えた空気と、やたら重みのある香木の匂い。芳醇と言えば聞こえは良いが、ここの空気は、やはり馴染めるものではない。青年は密やかにそう思って息を小さく吐く。

 片田舎キャンベル領の領主、ヨークライン・ヴァン・キャンベルは好き嫌いがはっきりしている分、周囲に纏う雰囲気や空気を繊細に感じ取る気質だった。辺りに隈なく広がる瑞々しい草原と、深く覆い茂る森の匂いが、彼の住み慣れた土地にあるものだ。この街に一月もいれば、手指から徐々に干乾びてしまいそうだと感じる。尤も、風土の問題だけではないのだが、と心中でまたひっそり零した。

 回廊を歩くヨークラインに気付いた解呪師たちが、たちまちその目を好奇と侮蔑で混ぜ合わせ、顔を見合わせてヒソヒソと囁いている。

 ――あれが異端のキャンベル。

 ――枢機部に取り入った抜け目のない小僧。

 ――得体の知れない妙技のくせに。

 ――何故、粗忽な田舎者が議会に呼ばれている。

 その不躾な視線を通り過ごし、大会議室へ入室する。部屋の端に近い場所に腰を下ろした。一呼吸間を置いてから、独り言のようにひっそりと声を乗せる。

「……手伝おうか」

「申し出はありがたいが、そんなわけにはいかない。ただの物資調達票だとしても、一応、兵鳥バード内の機密文書だ」

 ヨークラインの座る席の前で、大量の書類とにらめっこする青年が、弱々しい声で答えた。

 精悍な顔つきは疲労でやつれ、がっしりとした体躯は座り続けているためか強ばって、心なしか背筋が丸まっている。

「そんな姿勢のままだと、肩こりがもっと酷くなる。君の業務に支障が出ると思うが、エルダー」

「おっと、それもそうか。身体が資本だから気を付けないとな。忠言、心から感謝する、我が友ヨーク」

 エルダーは、言われるままに背筋をしゃんとさせた。途端に、背丈がヨークラインのそれを優に越える。茜色の瞳に、茶褐色の短髪が小ざっぱりとした印象を与える。素朴な表情で笑いかけてくる友人に、ヨークラインは気難しい表情で疑問を投じた。

兵鳥バードの隊長が、どうしてそんな雑用までこなしているんだ」

「単純な理由――人手不足だよ。ここのところ各都市への緊急召集が多くてね、隊員達の半数以上が外へ出動中。他の隊員達には、街中のパトロールを、いつも以上に負担をかけたシフトで巡回してもらっている。それでもって、外からの報告書も尋常じゃなく舞い込んでくる。屯所で居座っているだけの俺が出来る作業って言ったら、自然とデスクワークになるってものさ」

 エルダーは力ない声でそう告げた。再び背筋が丸まって、頭がうな垂れる。

「隊長なんてガラじゃないんだけどなぁ……。俺も皆みたいにパトロールに行きたい……」

「弱音を吐くな。上がしゃんとしてないと、下が不必要な不安を抱く。柄も何も気にするな。枢機部の推薦なんだろう、君を適任者だと判断したんだ。自信と誇りを大いに持って、己の責を全うしろ」

 役割に厳しい友人からぴしゃりと叱咤され、頭をもたげたエルダーは、苦笑しながらも気楽な色を取り戻す。

「指名に関しての自信はないよ。でも、君の実直な弁は、相変わらず聞いていて気持ちが良い。おかげで元気が出るよ」

 はにかんでそう告げられ、ヨークラインは言い訳じみるように言葉を返す。

「……君がしっかりしてくれないと、皆が困るからな。いつものものも渡しておく。気の休まる程度だが」

 ヨークラインが懐から取り出したのは、小さな薬袋だった。

 エルダーの表情が途端に輝く。

「ありがとう! 君の胃薬が一番良く効くんだ!」

 貰った薬を、エルダーは袋から早速取り出して、小さな丸薬を数粒飲み込んだ。成分としては強い効き目をもたらすものではないのだが、彼にとっては精神安定剤のようなものも兼ねているらしい。今度こそ、安心したようなため息を零した。

「天空都市でも処方してくれるんだけど、いまいち調子が良くないんだ。君の家がここにあれば、毎週通うんだけどな」

「そんなもののために勘弁してくれ。只でさえ我がキャンベル家は忙しいんだ。これ以上、患者の数を無駄に増やしてたまるか」

「ああ、そうだった。悪い、つい甘えてしまって。ついでに持って来てくれるだけで、ありがたいと思っているさ。今日の議会だって、君には不本意な招集の筈だしな」

 エルダーの申し訳なさそうな視線を受け止め、ヨークラインはしかめ面のまま、否と首を振る。

「……不本意だとは思っていない。ここのところの不穏な状況をいち早く把握出来るのは、俺にとっても意義が大きい」

 続けて、確かに妙ではあるがな、とためらいながら密やかに呟く。

 青年を召致するのは、本来であれば彼の支援者であるスノーレット枢機卿だけだ。天空都市の顧問官の一人で、枢機部内では唯一ヨークラインを高く買う人物である。けれど、今回の招集は、枢機部直属からの発令となっており、つまりそれは最高法師アークォン枢機卿の目が通っていることになる。

 キャンベルの解呪法とは、疑わしき面妖な技術である。それが天空都市の大方の見解であり、周知の事実、という名目になっている。警戒心からか異端呼ばわりする解呪師も珍しくない。全解呪師の頂点である最高法師という立場では、言わずもがなであろう。その姿勢を改めたかのような、異端技術キャンベル家への助力要請は、全くの異例であり初めてのことなのだ。

 公然の立場で枢機部に参上出来るのは、ヨークラインにとっても疑念の強い変動なのだ。胡散臭い、行きたくないと、ごねたマーガレットの主張も当然納得している。

「……猊下のお考えが翻ることなど、ありはしないと思っていたのだがな……。余程、枢機部内は切羽詰まっているということだろうか」

 渋面でぼやくヨークラインに、エルダーは明るい言葉をかける。

「君の実力がついに実を結んだんじゃないか? 喜ばしいことじゃないか。君の力を内心では大いに認めているくせに、否定しようとしてくる姿勢は、端から見ていて気持ちの良いものではなかったからな。俺が誇らしい気分だ」

「君が誇りに思うのは勝手だが、あまり浮かれてくれるなよ。どの道、その手の内は大概に碌なものではないのだからな」

「はは、君がそうやって悲観的だから、代わりに舞い上がっていると言えばいいかい?」

「俺が悲観的であるならば、君はいたく楽観的だな……」

 気兼ねない応酬をする二人の背後に、カツン、と靴音が甲高く響いた。

「――己のことばかり気に出来る、能天気な若造共。枢機部内で雑談が交わせるような身分だと思って?」

 深紅のルージュが引かれた唇からは、圧のある冷淡な声。編み込まれた銀髪をきっちりと高くまとめ上げ、金糸で細やかに彩られた白衣を身に付けた女性のものだった。

 エルダーやヨークラインの二回りは年齢を重ねているが、それだけ目鼻の整った面差しは貫禄が見て取れ、誰もがたじろいでしまう気迫があった。睫毛の長い雨空色の眼差しは、侮蔑を明け透けに浮かべている。

 エルダーは素早く立ち上がると、気品ある所作で女性に深々と頭を下げた。

「これはアルテミシア候。不愉快な思いをさせてしまったこと、深くお詫びいたします」

 アルテミシアと呼ばれた女性は、エルダーを不遜に見下ろす視線を僅かに和らげ、静かに諫める。

「お前の友好関係に口を出す気はないけれど、枢機部内は特に作法や品格を重んじる傾向にある。節度ある距離を保つべきと、忠告だけしておくわ」

「は、肝に銘じますよ」

 エルダーは頭を掻きつつ、やんわりと受け応えた。

 説教を終えたアルテミシアは、次にその視線をヨークラインへ移動させ、一際に嫌悪の眼差しでねめつけた。

「キャンベル、何故お前がこんなところまでのうのうと居座っているの」

 座ったまま頭を傾け、敬礼の所作をするヨークラインは、淡々と問いに答える。

「……枢機部からの要請で馳せ参じたまでです」

「ふん、キャンベルの顔を今日で二度も見るとはね。小娘たちを解呪師局へやったのは、お前の指図ね?」

 アルテミシアは天空都市の顧問官の一人であり、解呪師たちの総括でもある。どうやら枢機部へ参上する前に、自分の仕事場である学徒区にいたようだ。

「なれば、マーガレットからの報告書は無事に受け取りましたか、局長」

 ヨークラインが確認を求めれば、アルテミシアはうんざりした表情を浮かべた。

「ええ。珍しい顔が来るものだから、局内が浮付いて仕方なかったわ。悪目立ちがすぎるわ、小娘共も、お前も」

「……ここへ赴いたのは、定例報告と、此度の騒動に関する情報収集が主な理由です。枢機部の御方々にお力添え出来るなどと、そのような心驕りは、微塵も」

「当然のことね。言われるまでもないその言葉、ゆめゆめ忘れるでないわよ。異端は異端らしく、その役割から逸脱すべきでないのだから」

 高圧的に言い放ち、顔をつんと背けたアルテミシアは、速い足取りで議席の中心へと向かっていった。

 その気配が遠くなると、しばしの沈黙の後にエルダーは友人へとひっそり耳打ちした。

「相変わらず君には手厳しいね、アルテミシア候は」

「慣れている。君はそれ程気にしなくていい」

 ヨークラインがあまりに無関心の体で受け答えるので、エルダーは苦笑いで肩をすくめてみせる。

「まったく、そうやって言えてしまう君の鉄の武装心が羨ましいよ。……それにしても、君の妹たちも一緒に来ていたんだね。今は何処にいるんだい?」

「彼女たちは、すでに観光区へ戻ってしまっている。ここには近寄りもしないだろうな」

 少女たちの姿を一目でも見たかったエルダーは、明らかに気落ちした様子を見せた。

「そうか、残念だな……。解呪師局の皆には、後で自慢されるだろうなあ。兵鳥バードにも密かなファンは多いんだよ。二人共、とても目立つからね。特にマーガレット嬢は、いつも素敵な笑顔をふりまいてくれるから。彼女、とっても美人だよね……」

 頬を少し染め、もじもじと両指を絡ませるエルダーに、ヨークラインは密かな忠言を差し入れた。

「彼女の好みは胸板の薄い男だぞ」

「っ、俺とは正反対じゃないか!」



 エルダーが嘆いた直後に、議会の開始を告げるブザーが鳴り渡った。青年二人は目配せして別れを手短に告げ、定められた席に向かう。五、六十名の領主、都市の総代、高官の解呪師で満たされ、ざわめき溢れる室内だったが、やがて自然と静寂が訪れる。

 それに手招かれたように、最後の出席者が姿を見せる。天空都市の最高法師、アークォン枢機卿だった。重い礼服を引きずりながらゆっくりと歩き、高い場所に作られた議席に腰を据える。流れるような動作で両手を掲げ、重厚な声を伸びやかに発していく。

「――物悲しい時の運びが続いておる。世界を悲愴な色に塗れさせ、重々しい風が纏わりついておる。全ての憂いを取り除くは神のみぞと知れど、その秘をお借りすることで我々は今日も生き長らえている。神の慈悲に感謝を。その御業みわざに喜びを。苦難を神に倣いて、解き綻ばせようぞ」

 続いて、議長が硬い口調で言葉を発する。

「本日お集りいただいたのは、他でもない緊急案件。数ヶ月前から徐々に蔓延る重篤な呪い――何者かの陰謀により、全国にあまねく広がっている。その打開策ならびに対抗策が今回の議題である。まず、皆の者より上げてもらった情報を開示させよう。兵鳥バードから説明をよろしく頼む」

 発言を請われ、エルダーが、堂々とした立ち居振る舞いで腰を上げた。部屋全体に響き渡るよう、明朗な声を強く張り上げる。

兵鳥バード隊長、エルダー・C・ベネディクトだ。此度、急務にもかかわらず各地方から来訪いただき、全兵鳥バードを代表してお礼を申し上げる。報告は、全て確認させていただいた。ここ数ヶ月で集計した犠牲者の数は、三千を越えている。その中で失われた尊き命は、報告上では三百名。全国的な割合としては、どの地方も万遍なく、ほぼ同値。七大都市は人口が多く、それだけ重体になった者の数も比例して増えるが、どの地方の重体者も、死者も、ほぼ均一的な数値である。この結果には、我が天空都市から派遣された解呪師の器量が大きく影響しているのだろう。解呪師局の采配に感謝します、アルテミシア候」

「――解呪師として大義を務め上げたまでのこと。礼を言われるものではないわ」

 アルテミシアは素っ気なく淡々と述べたが、すぐにその目を苛烈さで滲ませ、議席を見渡して問いかける。

「……まだ一人、出席していない者がいるけれど、今日の日程をちゃんと伝えているのかしら?」

 議長の隣に控える補佐と思われる若者が、手短に答える。

「ノーム・スノーレット枢機卿は、本日所用にて欠席なさると連絡が来ております」

「所用ですって? この議会より重要だとでも? ふざけているわね、いつもいつも何かと理由を付けて、顔も出さずのらりくらりと……」

 アルテミシアは憤りに肩を振わせ、忌々しく吐き捨てた。エルダーが気まずそうにだが、話を続けていく。

「えーと……お気付きだろうが、各々総代の要望通り、すでに兵鳥バードは各地方、都市へ巡回警固に当たらせていただいている。兇徒の捜査は今もなお継続中だが、その名前も、複数犯であるかも未だ不明確だ。ただ、その姿だけは簡潔明瞭に目撃されている。――黒いローブを全身に纏う、まるで古の魔法使い、もしくは死神のようである、と」

 都市の総代の一人が手を上げて問う。

「それは我々も報告で聞いている。その者に関する繋がりも、意図も、まだ何も見えないと言うのか」

「申し訳ないが、依然捜索中とだけしかお答え出来ない。しかし、我々兵鳥バードが目を光らせている今、これ以上の暴虐たる真似は起こさせない。不穏な動きをする者がいれば直ちに捕縛し、天空都市で刑罰を下す」

「幾年か前に検挙された、解呪の私設機関があっただろう。その裏では呪いをかける依頼もこなしていたと……。その残党の可能性は?」

 エルダーは己の資料に目を落としながら簡素に答えた。

「『フォリー』のことだろうか。その可能性は低いと判断している。支援元の貴族共々、我々天空都市の手で粛清を行っており、逃亡者がいたという報告は上がっていない」

 また他の総代が、おずおずと問う。

「……専門外の我々が口出すべきでないことは重々承知だが、呪いを未然に防ぐ方法はないのだろうか」

 議長が手元の資料にちらりと目を傾け、手短に告げる。

「解呪師アルテミシア候より、ご説明いただきます」

 エルダーが座り直し、それに代わってアルテミシアが席から立ち上がった。気位高く、言葉を発する。

「解呪師局長、ミルクシスル・ホーリー・アルテミシアですわ。……大方の『呪い』とは、分かりやすく申し上げますと、体質、体調を故意に歪める作法のようなもの、そうお思いくださいませ。外傷や劇毒を含ませるような、即効性の得物ではございません。僅かなれど体内の仕組みをずらし、徐々に歪ませ、最終的に禍患を発露するのです。歪められし身体を再び和らげ、組み直し、浄化させることを、『解呪』と定義しております。なれば、その予防法とは、心身を健やかに、清く正しく美しく日々を過ごすことが、一番の施術でございます」

「……つまり、具体的な方法はないと?」

 総代の当惑を孕んだ問い返しに、アルテミシアは居丈高にさらりと返した。

「具体的でございましょう? 要は、体調を損なわぬよう、己を上手くコントロール出来れば良いのです」

「……恐れながら、アルテミシア候。それが容易く出来れば苦労はないと、万年の肩こりと胃痛に悩む私が、まず申し上げておきます……」

 エルダーが控えめに手を上げて恐る恐る口に出せば、アルテミシアは即座に厳しい顔つきを向けてきた。

兵鳥バードが情けない物言いをするでないわ。――まあ、いいでしょう。万人が等しく、規則正しい善き生活を送るというのは、確かに傲慢な理想ですわね。そのために医師や薬師、そして我々解呪師がいるのです。不調を感ずれば、すぐに医院や薬店へ。そこから天空都市へ症状が伝わります。素人判断で気のせいだと思わずに、ただちに、」

「――だが、即効性の劇毒物のような呪いだとするならば、どう対処すべきでしょうか」

 低くも若々しい声が、女性の高圧的な言葉に被せて問い質してきた。後部の外れに鎮座していた、ヨークラインによるものだった。

 台詞を途中で切られてしまい、アルテミシアは唖然としながらも、きつい眼差しで睨む。

「……キャンベル、お前、わたくしの発言の最中に、何を無礼な」

「良い、構わん。ミスター・キャンベル、発言を許そう」

 アークォン枢機卿が、物々しくもヨークラインに告げた。最高法師が天空都市において絶大な決定権を持ち合わせる中、アルテミシアは歯噛みするしかない。憤慨した表情だったが、大人しく席に座った。

 代わるように青年が席を立ち、その涼やかな面持ちのまま、平静の声で高らかに告げる。

「キャンベル領領主、ヨークライン・ヴァン・キャンベルでございます。我がキャンベル領の情報が開示されていないようなので、ここで皆様にお伝え申し上げます。我がキャンベルの領民が見舞われた呪いは、そんな悠長な施術で治るものではございませんでした。その呪いは、件の黒き者からもたらされた、おぞましい悪種。そして、体内に埋め込まれたその数時間後には、患者を瀕死状態にまで追い込みました」

 室内が一気にざわついた。喧噪に掻き消されないよう、ヨークラインは大きな声を張り上げる。

「元来、呪いというのは確かに悠長な技。しかし、今回の事変だけは、その悠長さが約束されていない。明らかに異常なのです。殺人者が特定されておらず、これだけの死者が出ている中で迅速な対処法が練られていないのは、無頓着に下手を打つようなもの。辺遇の身で出過ぎた弁ではございますが、天空都市ならびに七大都市の総代皆様のお力添えで、一刻も早く、黒き者を捕らえていただくよう切望しております」

 ――キャンベル? あの古都近くの片田舎か?

 ――若造が何を抜け抜けと。

 ――七大都市にまで便宜を図ろうとするか、何処までも頭の高い。

 ――しかし、具体的な打開策のない現状は、極めて深刻であることは間違いない。

 ――何故、そのような重大な報告が我々に降りてこない?

 議会内の全ての人間が、各々の立場の下で動揺と不安の声を漏らし続けていく。

 エルダーは頭を抱えて、遠くの席にいるヨークラインをはらはらと見やった。行動は間違っていないが、色々と触発しすぎだ、我が友よ。

「静粛に」

 アークォンの一声で、室内全体が静まり返った。

「……ミスター・キャンベル、その呪いは、これまでの類とは全く別の対処が必要されると、お主は考えているのだな?」

 ヨークラインは敬礼の所作をすると、冷静ながらも張り詰めた声でアークォンに言葉を返す。

「……浅学の身ではありますが、猊下のお言葉通りの考えを、お持ちしております」

 アークォンは満足したような微笑みを浮かべる。

「であるか。――良い、兵鳥バードには、兇徒を必ず仕留めさせるよう、重々言い渡しておく。それには、皆の者の協力も要する。天空都市のアークォンより願い出る。七大都市の、更なる強き連携を。そして、ミスター・キャンベル。お主にも、是非力添えを願おうぞ」

 ヨークラインが、この場で初めて表情を少し不可解なものに変えた。

「……天空都市の御方々は、我がキャンベルの技に懐疑的だと伺っております。なのにどうして、今その助力を?」

 アークォンは微笑んだまま、ヨークラインに柔らかな声を発する。

「どうしてと申すか。枢機部内にも様々な考えを持つ者がいるのは、確かな事実。アルテミシア候のような、務めを真っ当に果たす誇り高き解呪師は、お主の技を不審に思うのは当然のこと。対して、解呪の新たなる貴重な可能性であると、お主を重用せんとする者。ノーム・スノーレット卿がその代表であるな」

 アルテミシアが嫌味を込めつつ、釈明の弁を述べる。

「支援している割には、キャンベルに対してはっきりとした後ろ盾を見せないのだから、対応にいささか困っているのですわ。今日とて顧問官としての責を果たさず、一人何処ぞへと向かわれて。あの方の動機は、わたくしにも理解しかねる部分はあります、とだけ」

 アークォンは少しだけ愉快そうに笑った。

「であるか。アルテミシア候、貴殿の実直な気質を逆撫でる、困った御仁ではあるからな。――スノーレット卿は此度のことも予測していたのかもしれぬな。だからこそ、ミスター・キャンベル、お主の支援を買って出たのだろう。であるからして、その運びが、今回の事変で僥倖と結びついたのであろう」

「僥倖、と仰いますか。我がキャンベルの助力を?」

 当惑たる固い響きでヨークラインが問い返せば、アークォンは穏やかな響きで続ける。

兵鳥バードや我々がいくら優秀であったとしても、恐らくまた犠牲者が現れるであろう。その数を、一人でも減らしたいと願うのは当然至極。手遅れる前に、先手を打っておきたいのだ。お主の持つすべは、どうやら我々には見えぬところを見ている。それは、今日の解呪の在り方として、隠匿すべきでない」

 アルテミシアが立ち上がり、高圧的な声で異議を唱える。

「猊下、わたくしは反対いたします。未熟で異端の技術が混じり合えば、解呪師内に余計な混乱を生じさせますわ」

 アークォンは悲しげに頷き、優しい声で労るように返す。

「アルテミシア候の憂慮を嬉しく思う。貴殿の思いやりであろう? 余計な動揺を招かぬよう、キャンベル領の呪いの情報をあえて伏せていたのは」

 また室内が動揺に蠢いた。その様子に歯噛みしつつ、アルテミシアが顔を赤らめて反発する。

「猊下! 侮辱と取りますよ。わたくしの采配は、思いやりなどと言う情動のみで判断した行為ではございません!」

 たまらず自席から出て、議会の中心部へ一人歩いていき、そこから明朗な声を大きく張り上げる。

「我々が手をこまねいているのは事実! ですが、現時点では公開すべきでない情報でございました。対処の練られていない現状において、国内を混乱と不安に陥れるのだけは避けたいのですわ! 心が絶望すれば、招かざる更なる悲劇を生み出しましょう。――ですので、皆々様もこの不明瞭な呪いに関しては、この場限りの話、口外無用といたします。領民たちのあどけない笑顔を望むのであれば、どうか、今はまだ内密に――」


 大きな鐘の音が高らかに響いた。

 緊急停会を告げる一鳴りだった。室内が一斉に静まり返り、鐘の配置された入口に視線が集中する。

 若い風貌の解呪師が、青ざめた表情で恐る恐る告げる。

「審議中のところ、中断を申し入れ、誠に申し訳ございません……」

 その身体をふらふらとよろめかせて、室内に入って来たと思えばすぐに膝をついてしまう。顔の全面はおびただしい恐怖に塗れていた。

「死神が……死神が出ました……」

 突飛な台詞を聞き、アルテミシアが眉をひそめて問う。

「落ち着いて報告なさい。何があったというの」

「……枢機部内に、黒い装束の得体の知れない輩が現れまして……妙な力をふるって……周りにいた者は全員倒れて……」

 おぼろげにそう告げた後、気力を使い果たしたように崩れ落ちてしまった。

 アルテミシアは目を見張り、エルダーに向けて声を張り上げる。

「警固の兵鳥バードは何をしているの! 崇高たる奥内に不審者を軽々しく入れさせるなど!」

 エルダーがしくじったと言わんばかりに顔をしかめた。

「街の巡回にほぼ数を回してしまっています。まずい、枢機部の中は、自然と手薄になってしまっている……」

遊撃鳥リベラルバードは!?」

「同じく街中で巡回中ですよ!」

「この粗忽者共が! 枢機部を軽んじているのではなくって!?」

 八つ当たりするようにわめくアルテミシアだったが、怒りを鎮めるように頭を一振りすると、昏倒した解呪師の元へ早足で向かう。

「……ともかく、この者も含めて、倒れた者たちをただちに集めなさい。即席で構わないわ、治療の場を今すぐ作って……」

 エルダーが高らかに声を張り上げる。

「皆様、申し訳ありませんが、この場を緊急治療室といたします! 故に、席をお立ちいただけますでしょうか!」

 その声に従い、多くの出席者が席を立ち、隅へ行ったり好奇の目を向けたりとアルテミシアの動向を見守るだけとなる。

 エルダーが簡単にだが議席をずらして、大きめのスペースを作る。アルテミシアは上着である白衣を脱ぐと、シーツのように床に広げ、そこに若き解呪師を寝かせた。

 呻き苦しむ解呪師は、どうかどうかと、何度も呟く。

「アルテ……ミシア様、どうか……お逃げください……皆様も……どうかお逃げください……」

「苦しんでいるお前をこのまま見捨てられるとでも? 愚か極まりを言うでないわ、ともかく容体を見せなさい」

 アルテミシアは、解呪師の閉じる瞼を押し上げた。光の失われたおぼろげな瞳を確認すると、歯を食いしばるように口元を歪めた。

「――呪われたというの。この御許で、このわたくしのいる手前で……」

 憤懣たる声を響かせたが、一呼吸置くと、己の右手をゆっくりと持ち上げた。静かな動作で患者の胸に当てる。

「この手は神に倣いし浄化の御業。苦しみよ、裏返れ。歪みよ、組み直れ。絡まる苦難を解きたまえ」

 手の平全体から、淡く優しい光が零れ出し、患者の身体全体を覆っていく。初めて解呪を目の当たりにする者も多く、感嘆の息がそこかしこから上がった。

――あれが、不朽たる天空都市の真髄。

――全てを善きものに作り直す技術と聞くが、なかなかに美しい。

――まるで奇跡、神の力そのものだ。

 アークォンは、優しい眼差しでヨークラインを見下ろし告げる。

「ミスター・キャンベル。さあ、お主も同様に、他の哀れな者たちへ解呪を。お主の力で皆を助けておくれ」

 ヨークラインは、アルテミシアとアークォンを互いに見やりつつ、ためらいの声を上げる。

「……ですが猊下……」

「出来ぬと申すか? 引け目を感ずることはない。お主の術とて、誇り高き解呪の御業であろう?」

 ヨークラインは、黙ったままだったが、明らかな当惑の眼差しを最高法師に送るしかなかった。

 解呪を施され、若者の苦痛に歪む顔が和らいだ。異変は鎮まったようだが、その身体は青白く血色がない。行く末を悟った若者は穏やかな表情で、己の胸に当てられた女性の手をそっと優しく掴んで剥がす。

「もう良いのです……。それ以上尊きお力を使わぬよう……。どうか早くお逃げください……」

 わななく唇でアルテミシアは呆然と口零す。

「お前……何を言うの……」

「呪いは消えました。けれど、未熟たる私は、もう……。申し訳ありません……アルテミシア様……。誠に……申し訳……ありません……」

 途切れ途切れの切なる声で詫びる解呪師だったが、アルテミシアは僅かに肩を揺らし、首を横に振る。

「謝罪など要らぬわ。……わたくしの無力さが、余計に募る」

 赤らんだその目に悔しさを滲ませて、問い重ねる。

「代わりに聞かせなさい。死神とは何なの。お前は何を受け取ってしまったと言うの。何故この忌まわしき呪いは、お前をいとも簡単に死に追いやろうとしているの!」

「――それはね、私が振りまいたのは、即効性で確実性のある呪いだからさ」

 入口扉付近から、軽快で無邪気な声が簡潔に答えた。真っ黒い影のような姿だった。

 全身を覆う外套より僅かに零れ出るのは、淡色の波打つ髪、長い指爪。まるで、お伽話に出て来る悪い魔法使い――もしくは、命を無残に刈り取る死神そのもの。

 表情は外套に隠れてしまっていて良く見えない。だが、見え隠れする薄い唇から、中性的で安穏たる声が揚々と上がる。

「ごめんね、多少強かったかも。もう少し濃度を薄めないといけなかったよ。そう簡単にくたばってもらっちゃ困るんだけどさ、丁度いい加減って、ぶっつけ本番では結構難しいんだよね」

 その声に聞き覚えのあったアルテミシアは、驚愕に目を見開いて息を飲んだ。ため息のように唇だけわななかせ――魔術師マグス、と呟く。

「次は、もう一段階下げた方がいいのかな。何処で振りまこうかな。人の多い室内が好ましいんだけれどさ、……ねえ、君らはどう思う?」

 軽快な投げかけだったが、室内全体を仰ぎ見てのその口ぶりは、明確な意思表示に等しかった。

 ――死神だ!

 ――逃げろ、呪いをかけられるぞ!

 ――お助けを! 御慈悲を!

 誰しもが畏怖と錯乱に弾け飛んだ。入口を阻まれて逃げることも許されない中、恐怖だけが膨張して渦巻いていく。いっそ窓から飛び降りて逃れようとした者もいるが、その建立する途方もない高さを知るばかりだった。どの道の末路を予感して、絶望する。

「嫌疑者と判断――即刻、捕縛する!」

 唯一エルダーが立ち向かおうとしたが、それを嘲笑うかのように悪逆無道は手際良く、呆気なく行われた。


 漆黒の片袖を、意気揚々と天に掲げる。その切っ先の手の内には、一粒の黒い種。それがぱきんと割れて、眩しい輝きが零れ出る。全てを殲滅させるような明滅が弾けていく。

 死神と称された黒き術師は、フードから見え隠れする口元を愉快そうに曲げた。相も変わらず軽快に語りかけてみせる。

「死神じゃあないよ、失礼しちゃうね。いいかい、私が君たちに捧げるものはね、とびっきりの素敵なおまじない――聖呪アナテマってやつなんだからさ」





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