第11話 初夏 サマーベリーの呪い樹Ⅳ



 ウィリアムの姿が見えなくなると、少女たちは息を整えて、ゆっくりとした足取りに戻した。

「びっくりしたわ……。自分を村長だなんて言うから」

 先ほどの少年の様子を思い出しながら呟くリーンに、プリムローズは腹立たしげな口調で返した。

「村長しゃんちの一人息子だからね、甘やかされて育ってるの。もうちょっと紳士心を叩き込んでほしいってもんよ」

「でも、面白い子ね。プリムを、妖精プーカだなんて。お伽話が好きなのかしら?」

 プリムローズは肩をすくめて、不服そうな素振りを見せる。

「あたし自身は人間だと思ってるんだけどね、あたしの体内に含まれるマナの数値が高いから、そういう風に感じてるみたいで。あの子もマナを感じ取れる体質みたいなの。あたしたちに比べれば、その感応は大したことないんだけど。普段は声として感知したり、時たま妖精みたいなものとして目に映っているみたい」

「そうなのね……」

 あの少年が、先ほどプリムローズが言い零した、マナの見極めが出来る能力のある者なのだ。微々たる力ではあるようだが。

「そう言えば、私もフラウベリーに来たばかりの頃、風と一緒に可愛らしい声を聴いたわ」

「うんうん、それがマナを感知したってこと。何て聞こえたの?」

「大通り近くの公園でお昼を食べた後に、ちょっとうたた寝してたの。そうしたら、『体が冷えちゃうから、そろそろ起きないと』って、そんなことを……」

「んふふ、お世話焼かれちゃったのね」

 からかいまじりの声で指摘されて、リーンは少し恥ずかしげに顔を俯けた。

「あの時は、妖精の声だと思っちゃった……」

「マナは多く集まると、一つの大きな意味の固まりに、つまり特定の意識を持つ状態になるのね。ここら一帯の土地は、フラウベリーという属性のマナで、その意識が、嬢ちゃまを快く迎え入れたの。んとね、嬢ちゃまの持ってるマナって、キレイなのよ。ここらのマナは純粋で清らかなものが好きだから、嬢ちゃまに親近感持ってくれたのかも。だからきっと囁いてくれたのね」

「マナって、妖精にもなれるのね……」

「逆よ、嬢ちゃま。あたしたちが、彼らを妖精って思い込むだけって話なのよ」

 見たものをどう受け取るかは、その人の思うところ次第なのだ。リーンやウィリアムが妖精だと感じて思うものも、単にマナの性質の一つにすぎないと言えるものなのだ。

「でも、それもあるかもしれないけど、やっぱりお伽話みたいな不思議なものに映るのよ。今だって、私たちの姿が見えないのは解呪符ソーサラーコードのおかげだけれど、種も仕掛けも分からなかったら、妖精かお化けの仕業って思うわ」

「ふーん。まあそうだよね、だから嬢ちゃま、怯えて家を出てっちゃったもんね」

 プリムローズが一人勝手に納得した様子だったので、リーンは聞き直した。

「怯えてって?」

「初めてウチに来た時、ココアの幽霊にびびってたでしょ。あれも解呪符ソーサラーコードを使ったイタズラよ。姿が消えてたり、電話がおっかなかったりしてたのは、そういう種と仕掛けがあったからなのよ」

 しれっと正体を明かしたプリムローズに、呆気に取られつつも安堵したリーンだったが、本当に怖かったんだからと口を尖らせた。




 平原を抜け、林を一つ越えた向こうに目的の森はあった。背の高く細い樹林が幾重も続く、仄暗く、鬱蒼とした領域だった。穏やかな村にあるものだとすら思えない、別の土地から切り取られて縫い付けられた場所だとさえ感じる。

 その入口には道を塞ぐように囲いがしてあるが、プリムローズは背を屈めて、その隙間を潜った。リーンはロングスカートの裾を気にしつつ、何とかよじ登って柵を越える。

 ちらちらと落ちる木漏れ日をわずかな光源として頼りながら、森の中の道を進んだ。そう時間が経つ間もなく、すぐに水の匂いを感じて、リーンは視線を少し遠くへやった。その先に、小さな沼地が見えたのだ。そこだけは、空からの陽光が申し分なく注がれている。

 波紋の一つも生まれない澱んだ水源の周りには、サマーベリーがぶら下がっていた。リコリスが採ってきたものより遥かに大ぶりの実が、一際妖しくきらめいている。

「ここはマナが多く集まる場所なの。だから実も自然とでかくなってるの。呪われてなきゃ、持ち帰ってジョシュアちゃんに美味しいジャムを作ってもらうんだけど」

 残念そうな口振りで説明を挟むプリムローズが、リーンの袖の裾を引っ張った。沼へと目を釘付けにする少女を、奥へと促す。

「樹は、もっと向こうにあるの。そっちに行こう、嬢ちゃま」

「……ううん」

 リーンは静かに首を横に振った。

「ここ。『ここ』が、サマーベリーの急所」

 実直な視線を、青黒い沼地から一切逸らさないままで呟けば、訝しげな声が隣から返ってくる。

「この沼なの? 樹の中じゃないの?」

「違う。急所は――なら、そこじゃないの」

 いつになくきっぱりと言い切るので、プリムローズが物珍しげな表情で見上げてきた。リーンはハッと我に返り、元の少し気弱そうな言葉で付け加える。

「あ、あのね……、樹は、きっとこの水源を頼りにしているし、根っこの部分がここに繋がっていると思うし……。ほら、根っこって植物には重要なところでしょう? だから、『ここ』かなって……」

「……そう。嬢ちゃまがそう言うんなら、絶対に『ここ』なのね」

「う、うん」

「おっけ、分かった。じゃあ、後はあたしに任せて」

 プリムローズは、改めて沼地に向き直った。じっと水面を見つめるが、扱いづらいものを目にしたように眉を寄せる。手を差し伸べ、直接沼の水に触れてみるが、少し指先が水面をかすっただけですぐに持ち上げてしまった。

「毒素が随分溜まってる……。何があるのか全然見えない」

 巾着袋から解呪符ソーサラーコードを取り出して、早口で言い放つ。

「其は蛇の道より生まれし禁忌の秘草――エンコード:『ワームウッド』!」

 出現した光の泡が水面を撫でるように舞い、降り注がれた。禍々しい色をした濁り水が、浄化されるように透明度を上げていく。

 背を屈め、沼の変化していく様を興味深そうに見続けるリーンの隣で、プリムローズが得意そうにふんぞり返った。

「強い解毒効果のあるコードなの。とりあえず、これで沼の底まで見渡せる筈なの」

「すごい……――あっ!」

 感心したようにため息をつくリーンだったが、程なくして落胆したように小さく声を上げた。すぐに水底から濁りが立ち込めてきて、元の状態に戻ってしまったのだ。

 むっとするプリムローズが、冷やかな色を加えて口を開く。

「……解毒のコードだけじゃあ、沼の毒素を取り除けない。この沼地自体が、もう随分な毒素で根深くやられているのかも」

「じゃあ、この前のヨッカみたいに解呪のコードを?」

「ううん、だめ。あれは、にいちゃまだけの特別だから、あたしたちでは使えない。それに、にいちゃまのコードは悪種自体を破壊するものでね、毒素に対しては上手く効果が出ないの」

「ええっ、じゃあどうすればいいの?」

「まあ見てて。こんなこともあるかと思ってたのよ」

 再び、別の一枚の解呪符ソーサラーコードを手に取った。

「これは、メグねえちゃまからのとっておき。……其は久遠の苦痛を授けし魔弓――エンコード:『ユー』!」

 カードから放たれた光線が、沼地中心を目がけて飛び込んだ。一瞬、地震のような揺れを感じて、リーンは心細そうに身を縮み込ませる。

「見て、嬢ちゃま」

 沼地を囲むようにして実っていたサマーベリーが、その赤々とした実を腐らせ萎んでいく。地面に落ちると、みるみると黒ずんでしまった。

「これは植物毒の解呪符ソーサラーコードなの。毒素で侵された部分を、違う毒素でやっつけたのね」

「……ど、毒素、なの?」

 ぎょっとしながら口を挟むが、プリムローズは平然としている。

「発案はメグねえちゃまなの。ねえちゃま曰く、『毒をもって毒を制す』」

 水の濁りが薄れていく傍らで、沼地を囲っていた他の植物も、どんどんと萎れ、瑞々しい姿が失われていく。全てが真っ黒に枯れていく様子を不安げに見続けながら、リーンは投げかける。

「でも、これじゃあ、サマーベリーやこの森自体が、その別の毒に侵されてしまわないかしら?」

「うん、だからね、もう一個のとっておきがあるの」

 沼地はようやく澄み切った水質に成り替わった。くっきりと見渡せるその水底には、一つだけ異物が取り残されていた。鈍く黒光りする悪種が栓のように鎮座している。

「――見ぃつけた!」

 深い喜色の声音を口から零し、攻撃的な笑みを浮かべたプリムローズは、巾着袋から最後の一枚を取り出した。ぎらぎらと輝く紅眼が、標的に向けて瞬きもなく食い入る。

「……随分探した。とうとう突き止めた。お前をぶっ倒す時を、ずっとずっと心待ちにしてたのよ!」

 解呪符ソーサラーコードを空に向かって掲げ、揚々と言い放つ。

「其は万理一空を殲滅せし誓言――エンコード:『グラウンド・ゼロ』!!」

 幼くも明瞭な声が響くや否や、空気が固定されたように止まった。泉の底の黒い一点より、引き裂かれるような光がちらりと見え、次の瞬間、爆風と轟音が空へと向かって立ち昇った。

 すさまじい風圧で、プリムローズの身体が浮いて飛ばされそうになるが、背後のリーンが悲鳴を上げながらもとっさに抱え込んだ。二人揃って後方へとへたり込む。枯れ果てた草木が周囲を舞い、泉より迸る閃光が膨張し始める。リーンはぎゅっと目をつむり、プリムローズを強く抱き締め続けながら、惨禍の終息を祈った。

 暴風に圧されながらも、プリムローズは沼地から眼を逸らさず、歯を食いしばって必死に解呪符ソーサラーコードを掲げ続けた。膨れ上がる目映い光は沼地全体まで覆い被さり、少女たちは己の姿も何もかも見えなくなってしまった。




「――嬢ちゃま、起きて。嬢ちゃまってば」

 愛らしい囁きが耳元に落ちる。遠のいていた意識がゆっくりと戻り、リーンは目を開けた。すぐ傍らで、プリムローズが小さく微笑んでいる。ゆっくり身を起こし、不安そうに辺りを見回した。

「……ど、どうなったの? 悪種は、破壊出来たの?」

「うん。悪種は勿論、毒素もマナも、全部消滅させちゃったの」

「ぜ、全部……? うそ……」

 呆けて呟きながら、リーンは沼地であったところを見下ろした。水源は全て干乾び、くぼみの一番底の部分から新たな湧き水がちょろちょろと出始めている。そこにあった禍々しい悪種は、跡形もない。

 プリムローズは大層に満足げだった。一仕事終えたような、力の抜けた清々しい顔をしている。

「『全て、初期化させるグラウンド・ゼロ』――それがこのコードのとっておきで、とってもおっかないところ。メグねえちゃまが、『やっつけるんなら、悪いものも良いものも、まとめて構わず全部消し飛ばしちゃいなさい』って」

 その言葉通り、泉の周りの地面も、枯渇した土地のように生気が失われてしまっている。リーンは引きつった笑みを浮かべ、どうにか言葉を選んで口を開いた。

「メグって……、その……、発想が大胆ね……」

 言いあぐねるリーンの気持ちを汲み取るように、プリムローズは肩をすくめた。

「行動姿勢だけは斬り込み特攻隊長なの。ねえちゃまが、引きこもりで本当に良かった」

 そう言ってその場にしゃがみ、土くれを手に持った。穏やかな声で告げる。

「後は、フラウベリーの土地の力でゆっくり癒えていくのを待つのよ。少し時間はかかるけど、ちゃんと確実に、元の状態へ戻っていく」

「そう……良かった……。早く見てみたいわ」

 その時には、綺麗な泉の傍に、サマーベリーがいくつもきらめいて実る光景があるのだろう。想像したら安心し、リーンは自然と穏やかな笑みを零していた。

 しゃがんだままでじっとしていたプリムローズの身体が、ぐらりと傾いた。地面に伏す前に、慌ててリーンが支えて呼びかける。

「プリム! 大丈夫!?」

 瞬きを数度繰り返し、目を回すプリムローズはさすがに弱った声を出した。

「ううううう、ちょっと無茶したかも……。あたしの中のマナ、からっからのすかっすかなの」

「ど、どうしよう。すぐに誰か呼んでこなきゃ……。――ヨッカ……っ、ヨッカ……!」

 ヨークラインに縋ろうと立ち上がったリーンの服の裾を、プリムローズが意外と強い力で掴んだ。しかめっ面で面白くなさそうにぼやく。

「にいちゃまなんか呼ばなくていいの。どうせ自分の許可なく無謀な真似したなって、お説教垂れるからめんどうなのよ」

「もう、そんなこと言っている場合じゃあないでしょうっ」

 必死なリーンとは裏腹に、幼い少女は何処までものんきな声で応じた。

「少し休めば歩けるくらいにはなるから、問題なしなしよ。ねえ、それより、せっかくなんだから、サマーベリーの樹を見ていこうよ。嬢ちゃまに、見せたいって思ってたの」




 プリムローズの身体を自分の方へ預けさせながら、リーンは森の奥へとゆっくり歩いていった。獣道のような道なき道を、プリムローズが指し示す通りに進んでいく。穏やかな風が頬を撫で、服の隙間を涼しげに通る。濁ったような蒸し暑い空気は、いつの間にか失せてしまっていた。悪種を破壊したことで、滞っていたマナの巡りが正常化したということなのだろう。

 そう時が経つ間もなく、暗い茂みが薄れ、空の開ける広場に辿り着いた。そこの中心には、一本の大きな樹が森の主のような風体で根を下ろしていた。

「ここなの。これが、サマーベリーの大樹」

「……これが?」

 目測するに、キャンベル家の屋敷の屋根に到達するほどの高さを誇っているのだろう。雄々しい幹が細々と枝分かれし、その先端に小さな白い花が咲き、柘榴石のように輝く果実がある。

「食べていいのよ。悪種を破壊したから、毒素も消えてる。とっても美味しいの」

 プリムローズはそう言いながら、手の届く場所に実るサマーベリーを次々と口の中へ入れていた。リーンも一つ摘まんで、怖々と口に入れる。ほのかな酸味と強い甘味が舌先に触れて、すぐに喉奥へと消えた。目を輝かせて思わずはしゃいでしまう。

「あっまーい! すっごく美味しい!」

「でしょでしょ? これが食べたくて、この季節を毎年楽しみにしてるの。キャンベル家の秘密の場所だから、村の皆には内緒よ」

「何個でも入っちゃいそうね……!」

 リーンも夢中になって、熟れた木の実を一生懸命探した。うかうかしているとプリムローズが容赦なく、遠慮なく摘んで食べてしまうので、必死にさえなった。裏手まで回って探してみれば、ふと目に入るものがあった。少し離れた場所に、リーンの背丈と同じぐらいの木があり、サマーベリーとは違う小さな果実がいつくか実っている。物珍しさにかられて傍へと近付き、まじまじと見る。初めて見る品種だったのだ。

「なんて綺麗なの……」

 滑らかな光沢の、黄金色の林檎の実だった。リーンの手の平へ簡単に収まるほどの大きさだったが、重厚的な存在感があった。

 宝飾や壁飾りなど、様々な意匠のモチーフに使われているものではあるが、あくまで人の作ったもの、物語上での産物だと捉えていた。目の前のそれは、決して人工的なものには見えないのだが、植物とはまた違う風体だと感じた。それでもその手触りは、普段手にする真っ赤な瑞々しい皮のそれと、何一つ変わらない。

 口周りをベリーの真っ赤な果汁で塗れたままにしながら、プリムローズが言う。

「それはね、ヨークにいちゃまが植えたものよ」

「……ヨッカが?」

「珍しい林檎だよね。こんなの植える、にいちゃまも珍しいけど。ちなみにそれは無害だけど、苦くて渋くて美味しくないの。煮ても焼いても、すり潰して湯がいても、全然美味しくなかった」

「もう手は尽くしたのね……」


 プリムローズは、不味いと評する金色の果実を手に取った。少し力を入れれば、簡単にもげる。

 金細工のようにも容易く見えるきらめきは、サマーベリーと似ていたが、全く食べられないという点では当てはまらない。不思議なそれに目を落としながら、淡々と述べる。

「木の実は、神さまの力。それを食べることで、人は神さまの力を手に入れられる。あたしたちの身体を作り、調子を整え、日々を生き長らえる大事な糧という力になってくれる。……でもね、神さまの力だって、よくないものに蝕まれていれば、呪いになるの。呪われた木の実は、食べてしまえば人の身と運命を歪ませるし、神さまの呪いは、人のすべでは絶対に解けない。ずっとずっと、その身に留まって、永久に在り続けるの」

「それって、サマーベリーも……?」

 リーンが不安そうに零せば、プリムローズはきゃらきゃらと笑った。

「やだな、嬢ちゃま。それは、人がかけた呪いよ。あたしが言っているのは、神さまの呪い」

 人に呪われた美味なベリーと、口に出来れど不味い林檎。そのどちらとも捉え難い、木の実と神の呪いの話。それをきょとんとした表情で聞くリーンに、プリムローズは金の林檎を見せつけるようにして、すぐ傍まで持ち上げた。

 軽く微笑んで、妖精のような無邪気な声音で囁く。

「だからね、絶対に食べちゃだめよ、嬢ちゃま」






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る