第9話 初夏 サマーベリーの呪い樹Ⅱ


「はい、この前と一緒のスコーンに、メレンゲクッキーと、サンドイッチケーキ、チェリーパイも作ってみたよ」

 ジョシュアから焼き菓子の沢山詰まった大きなバスケットを持たされて、リーンは少し困りながら礼を言う。

「ジョシュア、ありがとう、こんなにも……。食べきれるか不安だわ」

「大丈夫だよ、プリムがいるからね」

「そうよ。食べるのは任せて、嬢ちゃま!」

 プリムローズも自分の持ち物袋とは別に、菓子がぎっしり入った小ぶりのバスケットを持っている。

「余ったら、リコリスさんに全部あげていいかしら?」

「勿論。全快祝いでもあるんだからね」


 昨日の今日で、早速リコリスと会う約束を取り付けた。外出するのは久しぶりだった。重みのあるバスケットを落とさないように抱え直しながら、リーンは微笑みを止められない。

 最近は、屋敷の中で慣れない内容の本ばかり読んでいるので、気持ちが少々塞いでいたのかもしれない。久々に晴れやかなわくわくした心地に浸っていると、リーンの背後から、ヨークラインが声をかけてきた。

「出かけるのか?」

 帽子を被り、外出用の薄手のショールを纏うリーンは、うきうきとした声音で答える。

「うん、リコリスさんの家に遊びに行ってくるの」

「そうか、ミセス・カムデンのところか。……ミセスは本調子に戻りつつあるが、あまり長居して迷惑のならないように」

「はあい。分かりました。じゃあヨッカ、行ってきます!」

「にいちゃま、行ってきます!」

 二人の少女は軽やかに笑い合いながら、玄関ホールから外へと駆け出していく。ヨークラインは少し気にかかるように呟いた。

「リーン=リリーはともかく、プリムローズまで?」

 隣のジョシュアが、のんびりと口を挟む。

「ああ、メグから定期診察をお願いされたみたいでね。今週の分の薬を持っていくからって、一緒に引っ付いていくみたいなんだ。解呪のアフターケアの仕方も見せられるから、丁度いいって。珍しく張り切っていたよ」

「プリムローズが、意外にも彼女の面倒見がいいな」

 姉妹には、解呪師の講師としてリーンの面倒を見るように言い渡してあった。少女の登用に乗り気なマーガレットは、言われるでもなく、きちんと役目を果たしているようだ。けれどプリムローズの方まで意欲的なのは、ヨークラインには少々予想外だった。

「レディたちにしてみれば、もう一人の妹が出来たみたいで嬉しいんじゃないかな」

「妹? プリムローズの方が年下だが?」

「でも、キャンベル家では新入りさんだよ。それに、彼女は何でも素直に頷いてしまいそうなタイプだし、おちょくり好きのプリムには、たまらないんじゃないかなあ」

 からかい交じりの言葉は、案外的を射ていることをヨークラインは知っている。遠く、小さくなっていく二人の後ろ姿を見送りつつ、幾ばくの不安に駆られた。

「あることないこと、吹き込まれていないといいが……」


 

 フラウベリーの中心街へ進む道中は、春の時分よりも緑の瑞々しい匂いが一層立ち込めていた。淡い新緑は、深みのある青々しい彩りへと変化していて、けれど花々だけは変わらぬ体のまま、可愛らしく咲き零れる。

 飛び跳ねるように歩くプリムローズは、にんまりと含んだ笑顔で、ヨークラインにまつわる話を繰り広げる。

「それでね、嬢ちゃま。ヨークにいちゃまの好物は、オムライスなの」

「そうなんだ…! ちょっと意外だったわ」

「意外でしょ。たまに小腹が空いた時に自分で作って、ひとり黙々と食べてるの」

「ジョシュアが作らないの?」

「ジョシュアちゃんが作るのは、卵がふわふわだからイヤなんだって。ぺらぺらの薄焼きが好ましいって、譲らないの」

 リーンは肩を震わせ、くすくすと笑う。可愛らしげにさえ映るヨークラインの一面は、とても新鮮で楽しかった。

「ふふ、ヨッカって、自分のこだわりをきちんと持っているのね」

「こだわりが強い方だと思うの。自分の決めたことから外れるの、すごく嫌がるし、マナーにはうるさいし、門限は早いし、あたしのやることがちょっとおちゃめすぎたら、すぐ怒るの。そういう時のにいちゃまは、とってもこわいから、ちょっと苦手」

「そうね、怒ったヨッカは、確かに私も怖いって思うわ……」

 突き刺さるような視線は、再会した時からリーンの背筋を何度もひやりとさせている。昔はあんな怖い顔などしなかった筈だと、面白くない気持ちさえ湧き上がる。記憶の残る限りでは、過去のヨークラインは、リーンにいつも穏やかな微笑みを向け、この上なく優しかったのだ。

「家長だからって、色々とえばりすぎだと思うの」

 頬を膨らませてぷりぷりするプリムローズに、リーンは、そういえばと首を傾げた。

「ヨッカって家長なのに、キャンベル伯の爵位を持っていないのね」

 孤児院側からは『ミスター・キャンベル』として紹介されているし、ヨークライン本人からも伯爵だと名乗られてはいないのだ。

 プリムローズがひとつ頷いて、答えてくれる。

「うん、じじ様がいるから。じじ様がキャンベル伯なの」

「お祖父様がいるのね!」

「玄関ホールにかかっている絵、じじ様のよ」

「そうだったの……」

 リーンは目を丸くして、ホールの壁にかけられた肖像画を思い出す。少し厳めしい顔つきで、睨むように見据えている初老の男の上半身姿が描かれたものだ。あれがヨークラインたちの祖父にあたる、キャンベル伯爵。鋭利な眼差しは、少しヨークラインに似ていた。

 リーンは不安げな顔つきになる。

「私、まだご挨拶が出来ていないわ。大丈夫かしら……」

「大丈夫大丈夫。じじ様は遠くでお仕事ばっかしてるし、ヨークにいちゃまの方からきちんとお知らせしてるだろうから、問題なしなしよ」

「だといいのだけれど……」



 フラウベリーの大通りにまでやって来ると、リーンは奇妙でわずかな違和感を覚えた。

 店が並び立つにぎやかな風景は、以前来た時と変わらないし、人々の表情も明るく楽しげだ。けれど、体に纏わりつくものが重たく、空気によどみを感じるのだ。

「少し、蒸し暑いかしら?」

 パタパタと手で仰いでみる。リーンの様子をこっそり窺うプリムローズは、気にしないようなふりをして明るく呼びかけた。

「嬢ちゃま、リコリスしゃんのジャム屋さんの道のり、ちゃんと覚えてる?」

「あ、うん。確か、この通りの横道を入って……」

「リーンちゃーん!」

 リーンが指し示した通りの奥から、一人の女性が手を大きく振って呼びかけた。ブラウンの髪を、今日はひとまとめにして肩に垂らしているリコリスだった。朗らかな笑顔でリーンの前まで走ってやって来る。手には長い柄の箒があり、自分でもそれに気付くと恥ずかしそうに背の後ろへ隠した。

「外の掃除しながら、今か今かと待ってたの。姿が見えたから、つい」

 リコリスの笑みにつられ、リーンも満開の笑顔で挨拶をする。

「こんにちは、リコリスさん! お身体、本当に大丈夫ですか?」

「ええ、もうすっかり元気でピンピンしてるわ! さあさあ、どうぞ入って。遠慮しないでくつろいでちょうだい」

 弾むように足を動かすリコリスに連れられて、少女たちはジャム屋への道を進んでいった。


 ジャム屋『トゥッティフルッティ』のドアには、臨時休業と言う看板が下がっていた。

 お茶会の準備はすでに整っていたらしく、テーブルの上には淡いグリーンのグラスと、そのお揃いのピッチャーにはたっぷり作られた水出し紅茶が入っている。

 バスケットに詰め込まれた焼き菓子を差し出せば、これにもリコリスは大層喜んで受け取ってくれた。すぐさまケーキスタンドに盛られて、リーンやプリムローズの前にやって来る。リコリスが作ったと思われるレモンメレンゲパイも追加されていた。

 グラスに紅茶を注ぎ、プリムローズの手前に置いたリコリスは、丁寧に頭を下げた。

「プリムローズお嬢様も、ようこそおいでくださいました。いつもお忙しい中診察していただき、本当にありがとうございます」

「いいのいいの。でも、今日はついで。一緒にお茶菓子が食べたかったから、あたしがリーン嬢ちゃまにくっついてきた方なのよ」

 喉が渇いていたのか、一気に紅茶を飲み干したプリムローズは、リコリスをしばらく瞬きもせず見つめた。そして目の前の喉元を優しく触り、問題なし、とそっと呟いた。

 それから手に持っていた巾着袋を開き、薬包紙に包まれた粉薬を七つ取り出した。

「今週の分。これ飲んで、来週の健診で特に異常が見当たらなかったら、治療はお終い」

 まるで自分のことのように、リーンは深く胸を撫で下ろす。

「良かった……。これで、もう、リコリスさんは大丈夫なのね」

 リコリスは頷いて、得意げな表情で喉元に手を当てる。

「キャンベル様たちに見てもらってから、喉の調子もすごくいいの。リーンちゃんもありがとう。お医者様を呼びに行ってくれなかったら、誰かに気付かれないままで、もしかしたら、助からなかったかもしれない」

「そんな……。でも、リコリスさんだって、必死で苦しさに耐えたのだから、今こうして元気になっているんです。頑張ってくれてありがとうございました」

 リーンが頭を下げると、リコリスはふんわりと朗らかな笑みを形作る。

「あらあら、私、頑張ったのね。褒められちゃった、嬉しいな」

「そうそう、リコリスしゃんは苦しいのを頑張ったのだから、今日はご褒美なの。ジョシュアちゃんお手製のお菓子を、どうぞ沢山召し上がって!」

「嬉しいわ、ありがたくいただくわね! 特にこのチェリータルト、すっごく美味しそうなんだもの!」

「あっ、私もいただきます!」

 各々は、食べたいものを次々と手元に運んで食べ始める。三人とも、実は早く食べたくてうずうずしていたのだった。


 新作のジャムを味見したり、ジョシュアからレシピを聞き出す約束を交わしたりと、楽しい時間はゆったり進んでいく。

 満足するまで自分の腹に菓子を収めていくプリムローズは、人差し指をリコリスに突きつけ、注意を呼びかける。

「そうだ、リコリスしゃん。果物の摂取は、前より少し控えてね。花のマナが多いから」

「心得ましたわ、お嬢様」

「果物は、花のマナの属性なの。食べすぎると、体内の花のマナが増えて、バランスが崩れてまたおかしくなりやすくなっちゃう」

「そうなのね……。でもジャム屋さんなのに、果物が食べられないなんて……」

 リーンが心配げに呟くと、プリムローズはすかさず首を横に振った。

「味見くらいなら大丈夫なのよ。一日だけ食べるのをやめるとか、そんなのでいいの」

 サンドイッチケーキを大口で頬張るリコリスは、朗らかな笑顔を崩さずにのんびり答えた。

「それだったら気にしないわ。私は主人と違って、商売熱心じゃないもの」

「そうだ! ……あの、リコリスさんの旦那さんって、今日はここにはいらっしゃらないんでしょうか」

 思い出したリーンが興味津々に訊ねれば、リコリスは苦笑した。

「主人は行商人だから、ずっと旅に出てしまっているの。たまにふらりと帰ってくるから、運が良ければ会えるかもしれないけれど」

「そうなんですか……。残念です」

「嬢ちゃま、たまにキャンベル家にも寄ってくれるから、その時に会えるのよ。問題なしなしよ」

「そうね、その内きっと会えるわよね。私も面白い話、聞いてみたいもの」

 肩すかしでがっかりするリーンは、それでも決意じみるように拳を握った。リコリスは首を少し捻りながら、言葉をかけた。

「リーンちゃんにとって面白いかどうかは分からないけれど……、主人の話は、話半分に聞いた方がいいわね」

「どうしてですか?」

「素直なリーンちゃんには、ちょっと曲者かもなの。あの人が扱う話は、噂ばかりだから」

「噂……? それって、一体どんな噂なんですか?」

 内容を思い返しているのか、幾分難しそうな顔をしてリコリスは答える。

「そうねえ……。西の国では、収穫祭でじゃが芋を投げ合うらしいとか、落ちぶれた王侯貴族が南へ逃れて一山当てたらしいとか、基本的にどうでもいい話が多いわね」

「ど、どうでもいい、ですか……」

 言い切るリコリスの台詞が、何故だか辛辣な物言いに聞こえてしまう。少し頬を膨らませて、リコリスは文句を言う。

「だって、フラウベリーに住まう私には、関わり合いのない話ばかりだもの。これが、ジャムに合うおすすめのパン屋さんとか、異国で見つけた物珍しい果物の話だったら、とっても喜んで聞いちゃうわ。――そうそう! 物珍しいと言えば、素敵なものを見つけたの」

 立ち上がったリコリスが、棚から小さなかごを持ってきて、リーンたちに中身を見せた。木苺のように、小さな粒が連なり実る果実が数個だけある。紅くきらきらと輝き、宝珠と見紛うほどだ。初めて見る美しいベリーに、リーンは感動のため息をついた。プリムローズは、思わず食べる手を止め、唖然とした表情をしている。それぞれの反応を見ながら、弾んだ声でリコリスは解説してくれる。

「サマーベリーと言うの。夏の始まりの、ここら一帯でしか採れない貴重なものでね、結婚式とかのおめでたい席で使われる、祝福の実なのよ。ジャムにするには少ないから、いつもそのまま食べてるんだけど、リーンちゃんとプリムローズお嬢様、良かったら食べて」

「い、いいんですか? 貴重なのに?」

「お礼のつもりでもあるのよ。遠慮しないで、パックリといっちゃって?」

「……じゃあ、ありがたくいただきますね」

 物珍しさに魅せられて、リーンが柔らかい実を摘まみ、どきどきしながら口を開こうとした。次の瞬間、身を乗り出したプリムローズが、強い力でサマーベリーを叩き落とした。床に転がり落ちた果実をリーンは呆然と見やり、プリムローズに向けて困惑の声を上げる。

「プリム? どうして……」

「だめ」

 怒りを滲ませた紅玉色の鮮やかな色合いが、凄みを効かせてサマーベリーを睨んでいた。静かな声で警告する。

「――食べちゃだめ。呪われちゃう」

「呪い……!?」

 こんな時に聞ける言葉だとは思わなかったのか、リーンの体が、怯えるようにひとつ震えた。リコリスが、おろおろしながら問いかける。

「プリムローズお嬢様、どういうことですか。このサマーベリーが……何だと言うのでしょうか」

「呪われてるの、その実は。人には、あまり見つけられないものだから油断してた。……道理でリコリスしゃんの体内のマナが、めっちゃくちゃだったのね。これを食べてたからなのね。これからは、あたしが大丈夫って言うまで、絶対絶対食べちゃだめ」

 厳しい声を重ねる少女はその小さな背を屈め、床に転がったサマーベリーを拾う。かごに戻し、二人に向けて頭を下げた。

「嬢ちゃま、乱暴にしてごめんね。リコリスしゃんも、せっかくくれたのに、ごめんね。でも、これは少し前からの、フラウベリーの密かな危機だから」

「密かな危機……?」

 リーンが言葉にして繰り返すと、悔しげに歯噛みするプリムローズは、すがるような口振りで言う。

「嬢ちゃまがいるのなら、解けるかもしれない。……あたしたちの大事な村はね、このフラウベリーはね、少し前から少しずつだけれど、呪いをかけられているの」


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