第2話 涙の湖に沈む俺、沈められる俺

 そして滲んだ天井と黄ばんだ蛍光灯がうっすらと実態を失くし、遠近感も薄れ、背中を軸に体がゆっくりと回転し始めた

 沈んでゆく。いつもと同じだ、安くて量が多いだけの酒ですらないアルコール飲料で咳止めの錠剤を流し込むと早ければ数分で、遅くても小一時間もしたら沈んでゆく。俺が

 沈みながら浮かんで、浮かびながら離れて、離れながら近づいて来る景色の中でグルグルしていると何時の間にか朝になっている

 だけど今日は様子が変だ。酔いのせいか? いや、それとも……? 足元に転がっている咳止め薬の空き瓶が爪先にコツンと当たった。最初は一回分、そのうちに一日分、しまいにはひと瓶を一度に飲むようになっていた。ストロングの500mlを幾つか飲んだ仕上げのように。当然流し込むのはストロングだ

 気持ちが悪い。動悸がする、見る間に冷や汗が流れて来て猛烈な眩暈と悪心で心臓がブッ潰れそうだ……頭が痛い、寝転がっているのに、寝転がって横になりたくて仕方がない。目を閉じているのに目を瞑ってしまいたい。シャットダウン、シャットダウンしたいんだ

 遮断してくれ、断絶してくれ、俺から全てを断ち切ってくれ。楽しそうな連中からも、世の中が不愉快で仕方ない奴等からも、退屈からも憂鬱からも、俺との縁を切ってくれ

 もうたくさんだ、息が荒い、喉が熱い、頭が痛い、気持ちが悪い……


 気が付くと真っ暗い場所で、笹船のようにくるくると回転しながら目を覚ましていた。まるで水面に浮かんでいるみたいだ

 何処か近くで騒いでいる奴等が居る、それも結構な人数で。すぐ近くだ、川の流れる音がして、奴等は其処に居る。川は何処だ。川はふたつある……俺の目のすぐ下だ。顔の上を走った涙の痕が川になって、そこに集まってBBQと洒落込んでやがる。馬鹿野郎共、なんだってそう川と見るや肉を焼くんだ、それをイイ面のカワってんだ

 うるさい! 集まるな、肉を焼くな、もっともらしい理由を付けた前戯のくせに。そこを退け! うるさい!! やめろ、煙が目に染みて涙が止まらない。お陰で川も乾かずに水かさを保ち続けているせいで肉焼きセックス馬鹿が退きゃしねえ

 涙の川が流れつくのは知らぬ間に水面をたたえた限界湖。笹船のような俺が身を乗り出して覗き込んだ水面にうつっていたのは惨めで無様な負け犬の顔。その顔の上で楽しそうにキャハキャハ肉食ってる連中が心の底から憎くって、そして自分の惨めさ無様さに猛烈に死にたくなって、このまま身投げしてやろうか。もういいか、死んじまおう、いっそ

 そう思った時には既に体の半分が

 ずるり

 と笹船のへりから滑り落ちていた。だぼぉん! とくぐもった音がして俺の体はどんどん沈んだ。沈みながら浮かんで、浮かびながら離れて、離れながら近づいて来る景色の中で俺は俺の最期を看取ってた。まるで縫いぐるみのように、くたん、と横たわった俺を抱き上げて、情けない奴だと吐き捨ててまた湖に沈めてしまえ。沈んで浮かんで離れて近づいて、俺の河原で楽しそうにしてた奴等があぶくの中からまた俺を罵り嘲笑う。片手に焼いた肉、片手には安くて量が多いだけの酒ですらないアルコール飲料。同じものを飲み、同じ街に暮らしているのに、この差は一体何なんだ。嘲笑(わら)うあぶくを掻い潜って底へ底へ沈んでゆけばまた気持ちの固定の底が割れて、笹船に乗った俺が俺を沈めてしまえ、と縫いぐるみの俺を放り出す

 沈んで浮かんで離れて近づいて嘲笑(わら)われて底が割れてまた沈めて

 その度に無限に俺が俺を沈めて俺を看取って俺を沈める

 あぶくのなかにうつるのも、無限の俺が俺を抱き上げては沈めている様ばかり

 ああ、俺は俺だったのか、だけどやっぱりわからないぞ

 沈んでゆくのは確かに俺だが、沈めた俺は誰だろう?

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被害妄想(おもいで)IN MY HEAD ダイナマイト・キッド @kid

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