第26話 銀次の大切なもの

「おい! ちゃんと説明しろよ……最初からだぞ」


 ハジメにそう言ったのは鉄平だ。


 それもそのはずでフリーダとの戦いを終えて、SBに帰ってきたらすでにハジメの姿はなかった。いくら急に決まったとしてもSBに残っていたサラに知らせるぐらいは出来たはずだ。


「それは悪かったと思っている。あの時……」


*****


「ハジメ君、ちょっといいかね? 提案があるんだが」

「何ですか?」

「君はまだ右腕があると感じるかい?」

「そうですね……まだ腕があるような気はします。目が覚めた時サラにも右手を出しましたし」

「間に合うかもしれないねぇ。……君はまだ戦いたいかい?」


 その問いかけにハジメの表情が変わる。そしてフィリップを真っ直ぐに見つめたまま一つ頷いた。それからすぐにフィリップの部下によって、ハジメはベッドに寝たまま運ばれてSBを出た。


 ハジメは移動中に眠ってしまい目が覚めた時にはすでに何処かの研究所のような場所に連れて来られていた。ベッドの横に立ち注射器を指で弾くフィリップに気がつくとハジメはおそるおそる声をかけた。


「あの、どんな治療を?」

「ルナ君の過去の話を聞いたそうだね? ルナ君は感染しなかった訳ではない、ルナ君の体内には今も変異したヴァンパイアウィルスが存在しているんだよ。変異……いや、『進化』したソレを私はオルタナティヴ・ヴァンパイアウィルス……『オルタ』と呼んでいる」

「オルタ……」

「あぁ。ルナ君の回復機能は人のそれとは比べものにならないほど速い。ヴァンパイアほどではないがオルタにも宿主への防衛機能が備わっているんだよ」

「オルタへと変わったからルナはヴァンパイアにならなかったんですね?」


 フィリップが何度か小さく頷いた。


「そしてルナ君の体内にはβウィルスに対する抗体が出来ている。つまりβウィルスなら変異、もしくは滅却させる事が可能なんだよ。ルナ君の体内でならね」

「ヴァンパイアを治せるって事ですか?」

「残念ながら今はまだワクチンや抗ウィルス剤は作れないねぇ。コアウィルスに対しては抗体が出来てないからね。いくらβウィルスを滅却させてもコアウィルスを滅却しない限りβウィルスはまた増殖するんだよ」

「そうなんですか……」


 ハジメの表情が曇る。


「残念だが現状、ヴァンパイアを人間に戻す事は出来ない。しかしだ、私なら医療に活かす事が出来るかもしれない。実は今……オルタとβ、二つのウィルスを使ってある薬剤を開発していてねぇ。ハジメ君にはその被験者になって欲しいんだよ」


 フィリップはハジメを見ながら続けた。


「それを使えば君の右腕を再生できるかもしれない。ただねぇ……今の法律では公的な人体実験は出来ないからね」

「……その実験で俺がヴァンパイアになる事はないですよね?」

「それはない。断言できるよ」


 ハジメは迷った。

 それはヴァンパイアの力を借りる事なんじゃないか。人の道理、倫理に反しているんじゃないか。


 だがそれでもハジメは戦いたいと思った。『大切な人がヴァンパイアにならないように』『大切な人がヴァンパイアに殺されないように』それがハジメの戦う理由だ。


「……お願いします」

「協力に感謝するよ。ありがとう」


 その後、ハジメの体内に薬剤が投与された。投薬による体の変化を分析して、得たデータをもとに改良、そしてまた投与の繰り返しだった。


 ハジメの右腕は少しずつ肉を盛ってきたが『再生』などとは程遠い結果だ。


 投薬が続く中で半ば諦めていたハジメだったが、二日前に投与された薬剤は違った。注射器から体内へと薬剤が注がれた瞬間、熱い何かが体中の血管を巡るような感覚が襲う。何かが右腕に集まっていく。


 そこでハジメは右腕に視線を落とした。

 何もない右腕の先に感触が伸びていく。骨が、肉が、血管が、神経細胞が形成されていくのだ。その気持ち悪さにもくすぐったさにも似た感覚にハジメの体が震える。

 やがて、熱が消えると違和感も消えた。そして、フリーダに踏み潰され、切断を余儀なくされたハジメの右腕は元の状態に戻っていた。


*****


「後は一日様子を見て、帰ってきたんだ」


 その説明を聞いていた第Ⅶ班のメンバーは驚きを隠せなかった。

 そんな中、銀次は組んでいた腕を解いてハジメに歩み寄ると右手を差し出す。


「そうか。そんな薬が出来たなら隊員の被害も少なくできるな。遅くなったがおかえり、またよろしく頼む」


 ハジメは銀次から差し出された右手を強く握り返すとサラやコウタ、鉄平、ノエルもおかえりと暖かく迎えた。


 対してレイはハジメとは初対面だ。軽い自己紹介の後に握手を交わした。


 皆がハジメの帰りを喜ぶ中、たった一人だけ怪訝な表情を浮かべて顔を背けている者がいた。


「ルナ」


 ハジメはそんな態度をとるルナに呼びかけたが返事はおろか見向きもしない。


 ――――この前は俺が必要だとか言っていたのに。


 ハジメがそんな事を考えていると、そっぽ向いたままのルナが口を開き始めた。


「話は分かった。分かったけどさぁ……行くなら行くでちゃんと言ってから行けよ」


 聞いていた銀次は『いや、今さっき俺がお前に言った言葉だろうが』と思ったが怒りの矛先が自分に向きそうなので黙っておく事にした。


「それに何? その薬、フィリップの薬だろ? 大丈夫なのかよ」


 そう言うとルナはハジメに視線を向ける。だが予想外な展開にルナの眉間に寄せた皺が消えた。ルナの目の前にあったのはハジメがぶら下げたチョコバーだった。


「お、おぉぅ」


 ――――揺れてるな。


 第Ⅶ班の全員がそう思った。


「チョ、チョコバー、一本で許すと思ってんのかよ」


 ルナの言葉にハジメは片方の口の端を僅かにあげる。まるでその言葉を見透かしていたかのように、逆の手でもう一本のチョコバーを取りだして見せた。


「……許す」


 そう言ってルナは二本のチョコバーを受け取った。


「許すのかよ!」


 そう鉄平のツッコミが入るとオフィスには笑い声が溢れた。


 ――――やっと……みんな揃ったなぁ。


 銀次はしみじみとそう思った。そこにあったのはいつもと変わらない日常で、銀次にとってかけがえのないものだ。しかしそう喜んでばかりもいられず、銀次は下げた目尻を元に戻した。


「ルナ……ついてきてくれ。何があったのか詳しく聞きたい」

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