第25話 帰還

 SB六階、医療研究部隊の病室が並ぶフロアの一室にルナは眠っていた。窓辺にはノエルが買ってきた花が置かれていて、窓には遮光措置がしてある。これはもしもの場合を想定した措置だ。


 ヨハネスに拉致されてから三日経った今もルナは眠り続けている。


 その間、鉄平はずっとルナに付き添っていた。


 ルナの綺麗な寝顔を眺めていると、教会の地下に突入した時の事が鉄平の脳裏に浮かぶ。

 体中が紅く染まったルナの足下には頭部の無い遺体が六つ転がっていた。後の調べで全ての遺体がヴァンパイアである事が分かったが、この時はまだ鉄平達には分からなかった。


 そしてルナの瞳は両方とも紅く輝いていた。つまりあの瞬間、ルナはヴァンパイアだったという事だ。


 ヴァンパイアを抹殺するのがSBの目的である以上、状況から判断するならばルナを撃つべきだった。しかし鉄平はルナが崩れ落ちた瞬間、真っ先に駆け寄って抱き寄せた。それはただ心情による行動だけではない。第Ⅶ班の誰にもルナを撃たせない為でもあった。もちろん第Ⅶ班のメンバーがルナを撃つと、本気で思ってはいない。それでも、万が一の事を考えた行動だ。


 鉄平はルナの寝顔から自身のホルスターに納められたハンドガンに視線を移した。今、鉄平は銃を所持している。


 もしも目覚めたルナがヴァンパイアであった場合、誰かがルナを殺さなければならない。それはSBが第Ⅶ班に突きつけた課題だった。


 その役を自ら申し出たのも鉄平だ。


『撃つ』か『撃たない』か、鉄平は判断しなければならない。


「……ルナ」


 鉄平はルナの名前を呼びながら手を握った。

 その時、握りしめたその手が微かに動いた気がした。驚いた鉄平はルナの顔を覗く。


 ルナの目蓋が小刻みに震えた。


 ――――起きる。


 鉄平がそう思った瞬間、もう片方の手もルナの手に添えていた。職務に全うするならば空いていた手は銃を握り締めるべきだっただろう。しかし、鉄平はそうしなかった。


 判断なんて初めから決まっていた。これから開くルナの両目が紅くても鉄平は撃たないのだ。


 ゆっくりと開いていくルナの目を見た鉄平は大きく息を吐き出した。


 鉄平を映す左の瞳は碧い宝石のように透き通っている。ルナの瞳が元に戻っているのだ。


「……鉄、平?」

「良かった。本当に、良かった。ちょっと待ってろ、今誰か呼んでくる」


 鉄平はそう言うと病室を後にした。


 一人になったルナは体を起こすと右手を眺める。


 ――――まだ……感触が残ってる。


 拉致された事やヴァンパイアウィルスを投与された事は覚えている。だがそこから先の事は、あまりはっきりと思い出せない。何となく、ルナは色褪せた場所に立っていたような気がした。現実と現実から乖離した世界の境界で自分を見た、そんな感覚だった。

 そしてもう一つ、素手で肉体を破壊するという感触だ。それだけは確実に残っていた。


 ルナが震える右手を反対の手で押えていると鉄平が病室に戻ってきた。


「もうすぐ、フィリップ博士が来るってよ」


 そう言って鉄平はベッドの横に置かれた椅子に座った。


「ねぇ。私は……何を殺したの?」


 ルナの質問に鉄平はいつもの表情で答える。


「何って、あの部屋にいたのはヴァンパイアだけだ」


「そう」と返したルナは口をつぐんだ。そして視線を外したままもう一度口を開いた。


「……私はヴァンパイアに……なったの?」


 その質問に鉄平は即答出来なかった。代わりに答えたのは病室に入ってきたばかりのフィリップだった。


「ルナ君の血液を検査したがヴァンパイアウィルスは検出されなかったよ」

「……て事は、ルナは?」


 瞳の色は戻っているが、それでも鉄平は確信が欲しい。


「心配しなくても感染していないよ」


 フィリップの言葉に鉄平とルナに安堵の表情が生まれた。

 ルナは下半身に掛けられていた布団をめくるとベッドから足を下ろす。


「動いて大丈夫なのか?」


 心配した鉄平がそう声を掛けるとルナは一つ頷いた。

 それから鉄平に付き添ってもらいながら一度部屋に戻り、着替えてからオフィスに向かった。


 ルナは少し怖かった。自分自身に対してもそうだが、何より第Ⅶ班の皆がどんな反応をするのか。


 ルナは幼少の頃から外見が他者と違うからと周りに疎まれてきた。だからこそ他人とは関わらないように生きてきたのだ。初めから持っていなければ失う事もない。祖父だけいればそれでいいと思っていた。


 しかし今はそうじゃない。それほどまで第Ⅶ班の存在が大きいモノになっていた。


 オフィスのドアの前で一度立ち止まったルナは鉄平に視線を送る。その温かい笑顔に、ふうと息を吐き出してドアを開けた。オフィス内の視線が全てルナへと向けられる。


「あ、その……」

「ルナぁ! もういいの? 心配したんだから!」


 そう言いながらサラが駆け寄ってきて腕を掴んだ。

 ルナもサラの腕に触れてうんうんと頷く。


「ルナ……無事で良かったわ」

「ルナさんおかえりなさい」

「……良かった」


 レイとコウタ、そしてノエルもルナが回復した事を喜んでいた。心配が杞憂に終わってルナの表情が緩む。


「レイ、コウタ……ありがとう」


 鉄平が病室から持って来てくれた花を一瞥してからノエルにも感謝を告げた。


「ノエルもありがとう。この花、可愛いね」


 オフィスの奥に設置された大きなモニターの前で椅子に腰を掛けながら銀次が腕を組んでいた。ルナは銀次のもとへと歩み寄っていく。


「ごめんなさい」


 そう言って頭を下げたルナに待っていたのは叱責の言葉だった。


 銀次の説教は止まらなかった。いつもならすぐに話題を変えたり、説教から逃げる為に嘘の用事を作るのだが今はそんな事はしない。自分を心配してくれる、自分を叱ってくれる、それがたまらなく嬉しいと感じていた。


「どっか行くならちゃんと言ってから行け! ったく、無茶して死んだら笑い話にもならねぇんだよ」

「はい。ごめんなさい。……もう終わりだよね?」


 銀次が溜め息をつく。銀次はいつも最後の言葉で説教を締める。

 しょっちゅう叱られるルナはそれをよく知っているのだ。


「お前だけは……今度やったらチョコバー禁止だ」

「えぇー! それだけは……」


 ルナはすがるような瞳で銀次を見つめたが、当の銀次は視線を合わさない。


「ダメだ」

「いいもん。隠れて鉄平から貰うから」


 ルナはそう言うと、再度ため息を吐いた銀次に背を向けてソファに腰を下ろした。その光景にオフィス内が笑い声で溢れる。


 そこにはいつも通りの第Ⅶ班の日常があった。


「何を笑ってるんだ?」


 突然聞えた男の声に皆の視線はオフィスのドアへと集まる。そしてそこに立つ男の姿を見たサラが大きな声を出した。


「ハジメ!」

「よう」


 そう言ってハジメは右手をあげた。

 そのあり得ない光景にサラが目を丸くして問いかけた。


「え? 嘘。手が、生えて……る?」

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