第8話 衝突

 沈黙を破ったのはハジメだった。


「ルナ! 何で言わなかった」

「何を?」

「シーヴェルトに会った事だ」

「言ってどうなるの? 顔を見たってだけ……今どこにいるか知らないし」

「それでも教えておくべき事だろう!」

「何で? 今知って何か変わった? アンタは強くなったの? シーヴェルトがどこにいるか分かったのかよ」

「今じゃない、この先に活かせるかもしれないだろう!」


 徐々に加熱していく二人の会話。見かねた鉄平が間に割って入る。


「いい加減にしろよ! 誰にでも言いたくない過去ぐらいあんだろうが」

「ルナは……危険なんだよ!」


 それを聞いた鉄平はハジメを睨みつけて問う。


「どういう意味だよ!」

「俺が初めてヴァンパイアを殺した時、どうしようもない罪悪感と嫌悪感で嘔吐した! 何度も何度もな! でもルナは最初の出撃から笑って殺してた……今もそうだ! ヤツらを殺すのを楽しんでるんだよ!」

「じゃあ何? 撃つ前に手を合わせてお悔やみを言えって? できる訳ないじゃん! アンタ馬鹿?」

「そうじゃない! 治せるかもしれないだろう!」

「ヴァンパイアになった人間はもう戻らない! 捕獲したって血を吸わなければ死ぬ! 放置したら誰かを襲って殺す! 殺す以外にどうしろって言うんだよ!」

「心持ちの話をしてるんだ!」

「どうせ殺す事に変わりはないじゃん!」

「っ! この悪魔の子イビルチャイルドが」


 ハジメのその言葉にルナはテーブルの上に置いてあったガラス製の灰皿を掴んだ。振り上げた灰皿を追うように灰色の粉塵がこぼれる。


 そして乾いた大きな音がオフィスに響いた。


 ハジメの頬に飛んできたのは灰皿ではなくサラの掌だった。


「言い過ぎだよ! ハジメ君」


 サラの真っ直ぐな視線、その水色の瞳が切なげでハジメは言葉を失う。結局、そのまま何も言えずにハジメはオフィスから出て行った。


 行き場を失った灰皿は「あぁもう!」と言う声と共にオフィスの隅に投げつけられて転がる。

 ルナは後頭部を掻いて白い髪を乱すと「部屋に戻る」と一言残して、ルナもまたオフィスから姿を消した。

 二人がいなくなっても、部屋には重苦しい空気が残っている。

 ノエルとコウタは自分のデスクに座って俯いたまま何も話さない。


 サラは自分の右の掌を眺めて呟く。


「真面目すぎるのよ……ハジメ君は」

「……なんだかなぁ」


 鉄平もサラも釈然としない。何かが解決した訳ではなく、問題がここから別の場所に移動しただけに過ぎないからだ。


「あぁ、モヤモヤする! おいサラ! 仕事するぞ」


 そう言うと鉄平はデスクの席に着いてPCのモニターに向かう。

 サラもまた小さな溜息を一つ吐き出して席に着いた。何かしていた方が気も紛れる、それが鉄平とサラの考えだった。


「そう言えば、ハジメが見た鉄塔にいた人影は解析できた?」

「うん、でもカメラの映像は画素数が少ないからちょっとボケてるけど。はい! 鉄平のPCに送ったわ」


 鉄平のPCに通知音が鳴る。鉄平は送られてきた画像を開いて目を凝らした。


「女……だな」


 *****


 行き場を失ったハジメは外を歩いていた。


 ――――俺だって分かってる……分かってるんだ。


 ルナとの口論の途中から自分の主張が矛盾している事に気付いていた。しかし歯止めが利かなくなってしまったのだ。


 ――――変異した人は治せない……。


 ハジメは後悔していた。言ってはいけない事を言ってしまったからだ。かといって、一度口にした言葉は取り消す事ができない。

 どうしたらいいのかと考えていると、いつの間にか市街地まで来ていた。この辺りは夜でも人が多いな、ハジメがそんな事を考えていると……ふと視線の先にいる人影に目が止まる。

 フード付きの黒いマントを身に纏い、歩道の真ん中に立つその姿にハジメは少し違和感を覚えた。ただ変わった人がいるなという程度の違和感だ。

 すれ違う人達が、コスプレかな、などと囁いて遠ざかっていく。

 コスプレをした人がいる、それは踵を返す理由にはならずハジメは足を進める。だがその距離が近くなってくるに伴って鼓動も早くなっていく。

 全身の毛が逆立つような感覚がハジメを襲った。


 ――――なんだコイツ……。


 ハジメの全身が警鐘を鳴らしていた。


 フードを被って視線を伏せている為、顔の下半分しか見えないがそれでも女だと分かる。

 声が届く距離で足を止めると女は伏せていた視線を上げた。赤く塗られたふっくらとした唇と紅い瞳でハジメを見つめ返す。


「はじめまして……ってこの前会ったわね」


 鉄塔の上に居た人影だとすぐに分かったがハジメは何も語らず、上着の内に忍ばせたハンドガンに手を添える。


「あら、この距離なら撃たれても避けられるわ。後ろの人間に当たっちゃうわね」


 女はそう言うとクスクスと口に手を当てて肩を揺らした。


 ――――こんな街中では撃てないか。


 人気の無い場所へ……そう考えてハジメは辺りを見回した。右手に路地裏。そこから少し距離はあるが廃ビルが多く立ち並ぶ場所があったはずだと、ハジメは駆け出した。


「そういうの……好きよ」


 口角を上げて女もハジメの後を追う。

 第Ⅶ班の班長である須藤銀次に連絡しようかとも考えたが、一度握りしめたスマホを放した。先程の衝突の後に助けてくれとは言いにくかったのだ。

 どれくらい走ったか……息が上がり始めたハジメは走りながら辺りを見渡した。


 ――――この辺りなら人も通らないだろう。


 廃ビルが多く立ち並ぶ場所まで来たところで、ハジメは銃を取り出して女に向けた。


「お前、シーヴェルトを連れ出したヴァンパイアだろう」


 十二年前の映像を見た事はないが、纏う雰囲気から今まで出会ったヴァンパイアと違う事は明らかだった。


「だったらどうするの?」

「シーヴェルトが何処にいるか吐かせる」


 女は口角を下げる事はなく、紅い瞳だけを夜空に向けて肩を竦めた。


「あなたには無理よ。だって私はシーヴェルト様に仕える騎士Ritterだもの」

「リッター? そのリッターってのは何体いる?」

「騎士って言った方が分かるかしら? アナタ可愛いから特別に教えてあげる。騎士Ritterはシーヴェルト様を救い出したワタシ達だけよ。でも他に頭脳Gehirnもいるわね」


 ――――リッター……ゲヒルン……何体いるんだよ。


「他には?」

「昔はいたのよ? でも何百年も前に死んじゃったわ。ねぇ、今度はワタシから質問よ。アナタ達はどうしてワタシ達を殺すの?」

「そんなの当たり前だろう! お前達は人を襲うからだ」

「私達はただ食事をしているだけよ? あなたも牛や豚の肉を食べるでしょ? それとお、な、じ」

「一緒にするな!」


 ハジメはハンドガンの引き金を引いた。火薬の爆ぜる音と同時に銀の弾丸が銃口から発射される。しかしその銀弾は女の体には触れず、その向こうのコンクリートの壁に突き刺さった。


「嘘だろ」


 ハジメはさらに二発、三発と銃を撃つが、女の素早い動きに照準が定まらず銀弾を当てる事が出来ない。


「ここよ」


 甘い囁き、熱を帯びた吐息が耳にかかる。女はハジメの後ろから耳元でそう囁いた。

 すかさず持っている銃で振り払おうとしたが、ハジメの腕は空を切る。


「ワタシの仲間にならない? アナタみたいな男、好きよ?」


 再び後ろから囁かれる甘い声にハジメは振り返った。五メートル程の距離を空けて女が笑みを浮かべている。

 額を汗がつたう、体を蝕むのは恐怖、それでもハジメは冷静だった。こんな時、ルナなら何て言うだろうか……そんな言葉が浮かぶほどに。


「ふざけるな……クソ野郎」


 中指を立ててそう言ったハジメを見て、女は唇の隙間から舌を出して自分の唇に這わせた。艶やかな赤い唇の隙間から濡れた声が漏れる。


「んー、ゾクゾクしちゃうじゃない」

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