第6話 ヴァンパイアという生物

「うん、検査結果に異常は無いねぇ」


 医療研究部隊、フィリップ・ラインハルト博士はルナの検査結果を見ながらそう言った。

 ここはフィリップ博士の診察室であり、扉を挟んでその奥には研究室がある。SBのホームは元々病院だった事もあって診察室はほぼそのまま使っている場所も多い。診察机にはカルテや写真立てが置かれていて、その中の少女が満面の笑顔を浮かべていた。

 フィリップはその診察机の上に検査結果を置くと、座っている椅子を回転させてルナに体を向ける。


「感染もしていないし、血液も特に変化はないねぇ。そうそう他の皆も大丈夫だったよ」

「そう、良かった」


 フィリップが口にした検査結果に、ルナは安堵の表情を浮かべた。それは自分に対してではなく仲間に対しての言葉だ。


「……ルナ君。君の身体は少し特別なんだ。あまり無茶をして体を壊さないように」


 フィリップはそう口にしたが、ルナは怪訝な表情を浮かべた。


 ――――どうせ心配なのは、私が研究対象だからだろ。


「ありがとうございました」


 ルナはそう言って立ち上がると、まだ何か言いたそうなフィリップに背を向けて診察室を出た。


 *****


 ルナが第Ⅶ班のオフィスに戻ると、顔を見た鉄平が口を開いた。


「どうだった?」


 ルナは何も心配いらない事を伝えてソファに腰を下ろした。そしてオフィスを見渡してある事に気付く。


「あれ? 皆は?」

「あぁ、銀次さんは今、各班長が集まって会議してる。ハジメとコウタは技術開発部隊に銃弾の補給を頼みに行った」


 鉄平がそう答えると、キーボードを叩いていたサラが手を止めてその会話に割って入る。


「今回の戦いは今までと違ったからね」

「俺達の知らないとこであんなに増えていたとはなぁ」

「私ももっと情報集めなきゃね」


 サラはそう言うと、会話を終えてまたPCのキーボードを叩き始めた。サラは今回の任務でのメンバー全員のカメラ映像から何か情報が無いか確かめている最中だ。


「装備も色々いるよね? 戦うのは夜なのにさぁ、こう……投げたらパッと明るくなるようなやつ!」

「いいなそれ……何で今まで無かったんだろうなぁ」


 そんな話をしているとオフィスの扉が開いてハジメとコウタが戻ってきた。


「あールナさん大丈夫ッスか?」

「おかげさまで痛みもマシになったよ。あの日のシャワーは悶絶したけど」


 シャワーと悶絶というキーワードから鉄平はその光景を妄想し、一人鼻の下を伸ばしている。そんな鉄平に見向きもせずにハジメが低い声でルナに問う。


「感染は?」

「してない……ってかする訳ないじゃん」

「それは分からないだろう、俺達SBが保有している情報がどれだけ正確なのか……」


 ハジメが言い終わる前にコウタがその言葉を遮った。


「あの……何で感染する訳ないんスか?」


 言葉を遮られてハジメはコウタを睨みつける。だがコウタに悪気が無い事はハジメにも理解できる為、その不満を口にはしない。

 ちょうどその時、会議を終えた銀次がオフィスに戻ってきた。


「おぉ、みんな戻ってるなぁ……ちょうどいい、二日前の殲滅任務の報告だ」

「え? ノエルは居ないよ?」

「いや、そこに座ってるぞ」


 銀次が指さした方向にルナが視線を向けるとノエルが椅子に座っていた。ルナが座っているソファのすぐ後ろにノエルのデスクがある、にも関わらずノエルがいる事に気付かなかったルナは目を丸くした。


「いつからいたの?」

「……最初から」


 ノエルは机の上に視線を向けたまま小さい声でそう呟いた。


「ごめんごめん。全然気づかなかった……ノエルって存在感ないよね? 無口だし」

「その割に目つき悪いからなぁ……俺も怖い時あるわ」


 そんな会話を始めたルナと鉄平だったが銀次に一瞥されて口を閉じた。それを確認して銀次が殲滅任務の結果報告を始める。


「各チームの被害なんだが、班員が十七名死亡、重傷者が八名とSB史上最悪の被害となった」


 銀次の声がいつもよりも低く表情は険しい、それほど結果は最悪なものだった。


「想定を遙かに上回る数のヴァンパイアが出現した。すでに、俺達が考えている以上にヴァンパイアは存在しているのかもしれん。飛び降りてきたヴァンパイアの中には理性のあるヴァンパイアが二体いた。その二体を撃破したのはハジメだ」


 ハジメは黙って小さく頭を下げた。


「ハジメだけじゃない……今回の戦いは皆が力を合わせたから乗り越えられた。第Ⅶ班のメンバーを失わずにすんだ……ありがとう」


 そう言って銀次も頭を下げた。第Ⅶ班が設立されて以降、第Ⅶ班のメンバーが殉職した事は一度も無い。それは銀次のメンバーへの想いによるものも大きい。

 顔を上げた銀次が報告を続ける。


「それからヤツらは下水道を通って変電所に侵入した事が分かった。前々から下水道や地下がヤツらの住処じゃないかと言っていたが、その線が濃くなってきたな。あと、あれだ! 技術開発班にも色々頼んできたぞ、新しい武器や補助装置も必要だからな」


 そんな中コウタが手を挙げた。


「あの……なんで感染する訳ないんスか……ってさっき聞きたかったんスけど」

「……? 何の話だ?」


 *****


「なるほど……でもそれはSBに入隊した時に聞いただろう?」


 SBに入隊して一ヶ月は主に座学と戦闘訓練だ。その間にヴァンパイアの生態や銃器の使い方などを学ぶ。


「いえ、聞いてないと思います」


 そう断言したコウタに『いやいや、絶対覚えてないだけだろ』とその場にいた全員がそう思った。

 銀次は『そもそもどこから覚えてないんだ』と言いかけたが、コウタの煌めく子犬のような瞳に何も言えなくなってしまう。


 銀次は仕方なく説明を始めた。


「ヴァンパイアの体内にはヴァンパイアウィルスが存在している。このヴァンパイアウィルスにはコアウィルスとβウィルスの二種類あってな、コアウィルスが体内に侵入すると脳細胞に吸着するそうだ。そしてβウィルスを急激に増殖させ、体の至る所まで拡散させるらしい。血中成分を糧にしているらしく、感染者自身の体内ではまかないきれなくなってくる為、他者の血液を捕食すると言われている」

「血中成分って何ですか?」

「主に血中のヘモグロビンやチロシンですよね」


 コウタの質問にはサラが答えた。SBに入った時にヴァンパイアの生態について学んできたのだ。SBの隊員ならば常識とも言える知識だ。


「ああ。そしてβウィルスは特殊な機能を持っていて……保菌者が傷ついた場合、その損失した細胞と同じ細胞に変異する。例えば腕を失った場合、脳が記憶している腕をβウィルスが変異作成する事で感染者を防衛している。寄生虫のような働きだな」

「ウィルスって細胞じゃないッスよね?」

「何でそれは知ってるのにヴァンパイアの事は覚えてないんだ……。ウィルスが細胞壁に入り込んだ時に染色体をコピーするらしい。そして無理矢理細胞分裂させて乗っ取る事で細胞を保有しているそうだ。ヴァンパイアを倒すには頭を潰すか、頭と胴を切り離す、日光……紫外線にあてるかだな。あと銀にも弱い、銀に触れると高温になり火傷や発火を引き起こす。頭部への銀による攻撃はかなり有効だ。コウタ、ここまでは分かったか?」

「はい!」

「返事だけはいいんだがなぁ」


 銀次は溜め息混じりにそう言うと説明を続ける。


「じゃあ次はルナが言った感染する訳がないに対してだ。通常、一体のヴァンパイアにはコアが一つしか無いらしい。このコアに感染しない限りヴァンパイアにはならないと言われている。つまりβウィルスが体内に侵入してきても大きな影響は無いそうだ。ただし大量に侵入してきたら命を落とす可能性もあるらしいが……そこまで詳しくは分からん。そして、だ、このコアウィルスを感染させる事が出来るヴァンパイアは一体だけ。それが『アーデルベルト・フォン・シーヴェルト』……俺達の目的であるヴァンパイアの始祖だ。だからルナは感染しないって言ったんだろう」


 二度頷いたルナの隣でコウタもまた何度も頷いていた。だが今の説明をコウタが理解したかどうかは誰にも分からなかった。


「銀次さん……ちょっといいですか?」


 そんな中、ハジメはいつもにも増して真剣な表情で銀次に呼びかけた。


「どうやってSBは感染源がシーヴェルトただ一人だと知ったのでしょうか。過去のデータを見てもSB設立以降、シーヴェルトの目撃情報すら無い。それなのにどうして存在すると分かっているんですか……俺達は真実を知らされていますか?」

「いるよ、私は……シーヴェルトに会ったから」


ハジメの問いに答えたのはルナだ。

そして、ルナは静かに語り始めた。

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