番外編2 不器用な親子

 海の匂いがほのかに漂ってくる、路上の古びた祠の前で。


 老いて痩せこけた白猫が一匹、静かに佇んでいた。


 東部の元ボス猫、ソンチョーである。


 かつては東部一帯を牛耳るボス猫として、多数の取り巻きを引き連れていた彼だが。


 観光開発により、たくさんの餌場が作られた今は、徒党を組むメリットが薄い。


 苦労することなく十分に食っていけるようになったこともあり、ソンチョーはかつての部下から見向きされなくなった。


 ボス猫の庇護が必要なくなった野良猫たちは無情なもので、あっけなく去って行く。


 一匹に戻った白猫ソンチョーは、特に気に病むでもなく我関せずと行った様子だ。


 彼は賑やかな大通りや猫のために設置された餌場には目もくれず、日陰にじっと座り込んでいる。


 そこに、キジトラのハチワレ猫がやってきた。


「おい。まーたここに居るのかよクソオヤジ。飯はちゃんと食ってるのか? ったく、貧弱だったのが、更に貧弱になりやがって」


 ソンチョーは、ふぅと息をつくと息子に向かって言う。


「どこにいたって俺の勝手だろう。もう構うな。そもそも、絶縁するって言いだしたのは、そっちのほうだろう」


 ブッチは目線をさまよわせ、モゴモゴと口ごもる。


「まぁ、それはそうだけどよぉ……。あんたが静かにしていると、あー、なんだ、あれだよ。見ていて辛気臭いからムカつくんだわ。なぁ、もう開き直って、新しい飯場を利用すればいいじゃねぇか。苦労しなくても楽して喰いもんもらえるんだから、前と比べたら天国みたいなもんだしよ」


「ハッ、人間に食い物を恵んでもらうなんて、みっともないことができるか。これまでたくさんの猫が飢えて死んでいたのに、今更善人ぶりやがって。反吐が出るぜ」


 キャットフードや猫用のおやつの味が病みつきになった猫たちは、漁港の魚に見向きもしなくなった。


 そんな中、ソンチョーだけは、人間から食べ物を恵まれることを頑として受け入れていない。


 この島が猫を目玉とする観光地になった今も、ソンチョーは人間から獲物を奪うことに固執し、与えられる物には口を付けようとしなかった。


 今は漁師から魚を奪い取って日々をしのいでいるが、彼は知らない。


 餌場を全く利用しようとしない白猫は、人間たちの間で有名になっていた。


 ガリガリにやせ細った姿を見た島外の人間たちは、その身を案じ、積極的に餌やりをしようとしている。


 しかし、ソンチョーは人間を見ると警戒して逃げ出すため、近寄ることすらできないために手を焼いている。


 彼が野良になった経緯を知っている島の年寄りたちは、ソンチョー達を助けなかった自分たちが恨まれていることを知っていた。


 そして、その後ろめたさから、老猫でも食べやすい魚を取って来ては、奪い取られたふりをして食糧を与えているのだった。


 人に懐かないので、飼い猫に戻すのも難しいだろうし、そうするくらいしか今の彼らにできることはなかった。


 当のソンチョー本人は、想像すらしていないと思うが。


 ブッチにはその辺の事情が全て分かっていた。


 例の事件で知り合った人の言葉を聞き取れる知猫。あのメガネ柄の猫から裏事情を教えてもらったからだ。


 野良猫たちが飢えていた昔と変わらず、今もガリガリのままの父親の姿を前に。


 ブッチは何とも言えない顔をしていた。


 そして、しばらく逡巡した後で、意を決したように口を開く。


「アンタ、毎年この時期になると、必ずここに来るよな。もう何年も前の話なんだし、ちっちゃなガキだった俺もこんなオッサンになってるんだ。そろそろ自分を責めるのをやめたらどうだ? どうせ『自分には腹いっぱい飯を食う資格がない』とか思ってるんだろう?」


 図星を突かれたソンチョーは、酢を飲まされたような顔をしていた。


 ブッチは目を逸らしながら、更に言葉をつづけた。


「俺の母さんが、空腹を満たすために鳥を取ろうとして、ここで車にひき殺されたのも。後妻さんが栄養失調で弱って死んだのも。全部お前のせいじゃないんだしよぉ。お前と母さんを捨てた飼い主も、軽トラを運転していた爺さんも。みんな寿命で全員死んでしまったし。今さら恨んだって、仕方ない――」


 ふと顔を上げると、そこに父親の姿はなかった。


 ブッチの亡き母親が好きだった花。


 彼女の名前でもあったスミレの束が、彼女が命を落とした事故現場の前に佇んでいただけだった。


「くそっ。また説得に失敗した……」


 そろそろあのひょろっこいメガネ野郎を頼るべき時なのかもしれない。


「あの臆病なオヤジを、化け物との抗争に引っ張り出した実績もあるしな。しかし、ブッチ様とあろうものが、手土産もなしに行くのもなぁ。よし、久々にでっかい鳥でも取って会いに行ってみるか」


 その日の午後。


 神社の方角から、猫のとんでもない悲鳴が聞こえたとか。


 それを聞いた茶トラの巨漢猫が、恐ろしい顔で走って行く姿を見たとか。


 猫集会でちょっとした噂話になったが、そのうち忘れ去られていったのだった。


 不器用な親子が仲直りできたかどうか。


 外野の猫たちは誰も知らない。



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