エピローグ そして朝日は昇る

 真っ暗な洞窟の中に、朝日が差し込む。


 いつの間にか眠っていた町長は、清々しい気分で目を覚ました。


 久しぶりに熟睡した気がする。


 毎日のように不気味な夢を見ていたのが嘘のようだ。


 体を起こし、ここが自宅の寝室ではないことに気付く。周囲を見渡した町長は、手足を縛られた知人の姿に気付いて真っ青になった。


 これまでの全てを思い出した。


 ――そうだ、私はこの子を化け物に捧げようとして。


「わ、私は何てことを……」


 何があったか記憶に残っているが、自身がなぜこのような行動を起こしたか町長には理解できなかった。


 ただの悪夢に怯え、実在しない神の言葉を真に受けて誘拐事件を起こすなんて、常識外れもいいところである。


 島の人間を化け物に捧げようとしていた自分に、驚きさえ感じる。


 それどころか、夢で見た儀式を実行に移したことで、本当に化け物を召還できてしまったということが何より信じがたかった。


 と、目を覚ましたのか、ひな子が身じろぎをした。


「う……」

 

 猫島町長は彼女に駆け寄ると、謝りながら縄を解いた。


「ひな子くん、本当に申し訳なかった!」


「……んん。……町長さん?」


 ぼんやりとした顔で目をこするひな子を前に、土下座して謝る町長。


「謝って許されることではないのは分かっている。あんな儀式を行うなんて、私はどうかしていた。二度とこんなことはしない」


「儀式? なんの話です? それに、ここはいったい……。そ、そうだわ! ば、化け物!! あの化け物は!?」


 勢いよく立ち上がったひな子は、怯えた様子であたりを見渡す。しかし、彼らの周囲に魚面の化け物の姿はなかった。


 この世の者とは思えない、不可解な生き物。


 夢か幻と思いたかったが、どうやらそういうわけにもいかないようだ。


 洞窟内には、見たことがない意匠の施された槍が残されていた。


 その隣に転がっている死体を見て、2人はそれが現実であることを悟った。


 全身の血肉がブヨブヨに溶けて原型を失った大型生物の死骸。


 不格好な骨格は未知の生物らしく、魚類とも哺乳類とも言えない異様な形をしている。


「そういえば、あの化け物、死に際にこの島を攻め落とすとか言っていなかったか。町のみんなが心配だ。早く戻らなければ」


「そうです! 早く帰りましょう。家族を連れてこの島から一刻も早く避難しなきゃ」


 慌てて洞窟の外に出た二人は、その場に立ち尽くして絶句することになる。


 潮風に乗って、生臭い腐敗臭が漂ってくる。


 海岸線は化け物の死体の山だらけになっていた。


 カケラの肉も残さず、綺麗に食い尽くされたかのように、骸骨ばかりがあたりに散らばっている。


 無数の死体を前に、町長とひな子は思わず抱き合ってブルブルと震えた。


 海岸から離れた乾いた場所には、お腹を膨らませ満足そうな顔をした猫たちが気持ちよさそうに日向ぼっこしている。


 おびただしい数の猫が、廃港に集まってきているようだ。


 暢気にお昼寝中のようだが、手や口の周りをよく見ると、何者かの血で汚れていることが分かる。


 巨大な団子になって、満足げな顔でスヤスヤ眠る猫と、死体だらけの凄惨な現場の対比がシュールだった。


「ちょ、町長さん。これって……」


「まさか、この猫たちが? そんな馬鹿な……」


 2人はしばらくの間、無言で顔を見合わせた。


 先に口を開いたのは、ひな子だった。


「町長さん。今回の件は2人だけの秘密にしませんか? 私は誘拐されたのではなく、誤って海に転落した。それで、運よく廃港に流れ着いていたところ、たまたま通りかかった町長さんに保護された」


「な、なんだって!?」


 予想外の言葉に驚く町長に対し、淡々と言葉を続けるひな子。


「事件の事、心から反省されているようですし。それに、あの時、虎徹のことを必死で助けようとしてくれましたよね? 二度とこんなことをしないと約束してくれるなら、今回のことは許します」


「いや、しかし……」


「猫島町のUターン支援事業のおかげで、私はこの島に帰って来れたんです。色々と取り計らってくれた町長さんには、とても世話になりました。この島には、あなたのように島のことを第一に考えてくれるリーダーが必要です」


「だが、私が君を誘拐をしたのは事実だし、処罰を受けないわけには……」


 ひな子は顔を手で覆って首を振りながら叫んだ。


「もういいんです! あの事件のことは考えたくないんです! 私は早く家に帰って全てを忘れて過ごしたいんですよ! 誘拐されたってことになったら、私、被害者として取り調べられるじゃないですか! 警察であの化け物のことを証言すればいいんですか? 町長さんが私を誘拐して化け物の生贄にしようとしたなんて、誰が信じるって言うんです? 本当のことを説明しても、頭がおかしくなったと思われるだけですよ! まさか、誘拐の動機をイケニエの儀式のためって言うつもりですか?」


「それは……」


 彼女の言うとおり、化け物を召還し、生贄にしようとしたと正直に話しても、偽証か狂人の妄想と思われるだけだろう。


 どうすべきかしばらく悩んだ町長だったが、最終的にひな子の案に乗ることにした。


 2人はビクビクしながら、港へ向かって船を走らせた。猫たちが、あの化け物をすべて倒したのかは分からない。既に町が占拠されているかもしれない。そう怯えながら島に戻った2人。


 しかし、心配に反して島はいつもどおりの平穏な空気に包まれていた。


 朝日と共に起き出してきた島民たちは、驚きながらも憔悴しきった2人を保護した。


 家族の元へと戻って来たひな子は、すぐさま診療所へと運ばれたのだった。


 そして、帰宅した町長は何者かに荒らされた室内と、書斎の惨状に驚くことになる。


 大事にしまっていたあの深海のような色のガラス玉が、派手に砕け散っていた。


 本棚や引き出しをこじ開けられた机には、ミルクのものとは明らかに違う色の猫の毛がこびりついていた。


 愛猫が触れない場所にしまい込んだはずの日記にも、肉球のあとがベタベタ残っている。


 壊れてしまったガラス玉からは不思議な輝きが失われており、町長はそのことに落胆するとともに、心から安堵した。


 彼を襲った異変が、本当に終わったような気がして。


         †


 それからというもの、町長はあの恐ろしい悪夢を見ることはなくなった。


 ひな子が保護されてしばらくして、警察が現場検証のために廃港に足を踏み入れたが。


 海岸のいたるところで人間の白骨死体のような物が多数発見され、別の意味で騒ぎになった。


 鑑定の結果、これらの骨は未知の海洋生物のものであると思われ、その骨格標本が世界を騒がせたのはまた別の話である。


 死体の周辺で大量のモリのような物が発見されたことから、島の漁民が疑いの目を向けられた。


 しかし、正当な漁業権を持つ彼らが新種の海洋生物を殺したと言っても、違法な漁業というわけでも無いため、本土から応援に来ていた警察はこの謎を特に深堀りせず去って行った。


 なお、オカルト界隈では、槍に刻まれた紋様が話題となった。未知の宇宙生命体が現れたのではないかとしばらくの間、ネットを騒がせたのだった。


 様々な説が囁かれる中、真実を知っている2人は口を閉ざし、全ては闇の中へと葬り去られることになる。


 さて、時は戻って、町長たちが廃港を去ったのとほぼ同時刻。


 クロエにエサを用意しようと早めに出勤した斎場のスタッフは、不思議な光景を目撃することとなった。


 すさまじい数の猫の集団が、旧鉱山入口からゾロゾロと姿を現したのである。


 その様子を撮影した動画をネット上にアップロードしたところ、猫好きなユーザーから大きな反響があった。


 これをヒントにインターネットを通じて猫の町としてPRしたところ話題を呼び、多数の観光客がこの島を訪れるようになった。


 空前の大ブームに数少ない民宿がすべて埋まってしまい、新しく宿泊業を始めたり、土産物屋で生計を立てるようになった住民も少なくなかった。


 観光客の増加に合わせて連絡船の本数が増え、ますます賑わうようになった猫島。


 猫を写真に収めに来た観光客の中には、黒猫が集まる鉱山跡地や廃墟群に強い関心を示す者も多かった。


 写真愛好家にとって格好の被写体であるにもかかわらず、崩落の危険により一帯が立ち入り禁止となっている。ネット上にそのことを惜しむような書き込みが相次いだ。


 これを見たひな子の提案で、町は鉱山の史跡を保護するためのクラウドファンディングを開始することにした。年寄りたちは、こんなので本当に金が集まるのかと首をひねるばかりだったが、すぐに考えを改めることになった。


 ホットな観光地として注目されていたからか、予想をはるかに上回る多額の資金が集まったのである。


 史跡が整備され、人々が廃鉱山に足を踏み入れるようになると、そこに住み着いているクロネコ団は一躍人気者となった。


 長年にわたり迷信深い島民から不吉な存在であると虐げられてきた黒猫たち。彼らは人間たちから可愛いとチヤホヤされて困惑した。食べ物を与えられても、毒餌に違いないと警戒して口を付けることはなかった。


 しかし、そんな彼らが島外から来た人々が黒猫を特に嫌っていないと気付くまで、そう時間はかからなかった。


 新しい観光地の名物となった彼らは、飢えに苦しむ生活から解放された。


 黒猫に釣られて更にたくさんの観光客が集まるようになり、島民は黒猫を丁重に扱うようになった。


 やがて、猫の保護に熱心なひな子の主導の元、避妊手術で外猫の頭数をコントロールしつつ、十分な餌を与えるための餌場が島内の複数の場所に設けられるようになる。


 黒猫たちだけではなく、餌場をあぶれた東部の野良猫たちも十分な食べ物をもらえるようになり。


 すっかりやさぐれていたソンチョー達も、よそ者や飼い猫に対する態度を急速に軟化させていった。


 こうして猫島は主力産業を観光業にシフトし、猫と廃鉱山の町として全国の観光客が訪れる人気スポットへと大変身を遂げた。


 それは全て、この島の町長である猫島茂蔵の手柄とされた。


 彼はその功績を称賛されるたびに微妙な笑みを浮かべ、「猫たちのおかげです」と謙虚な言葉を述べたという。


         †


 それから数年が過ぎたが、深きものたちが報復に来ることはなかった。


 町長たちは長年にわたり化け物たちの報復に怯えて過ごしていたが、何事もなく平穏な日々が過ぎたことで、次第にあの事件のことを忘れて行った。


 彼らには知る由もなかったが、あの猫たちは本当に素晴らしい働きをしたのである。


 町長の夢に干渉していた神々――ダゴンとハイドラは、ガラス玉が失われたことで、彼に接触する術を失った。


 このことにより、島の未来は救われたのだった。


 今回の闘争で多くの崇拝者を失った神格だったが、猫たちと敵対したこの島の支配は面倒だと考え、あっさりと手を引いた。


 彼らはもはや復讐することは考えていなかった。


 減ったなら、その分また増やせばいいだけだったから。


 子を増やすために必要な人間を確保する必要はあるが、それは彼らにとってどうとでもできることだった。


 彼らはもう2度と猫島町長の夢には現れないだろう。


 そう。


 過疎化に悩んでいて、インスマウスのように悪魔に魂を売ってでも賑わいを取り戻したい廃れた港町なんて。


 こ の 世 に い く ら で も あ る の だ か ら。

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