10 夢日記
「うそ? どこどこ? ボクも見た~い!」
好奇心旺盛なマグロは、若を押しのけるとガラス玉を箱から取り出した。前足でコロコロと転がすように弄びながら、ガラス玉の中をのぞき込む。
まるで深海のような深い青に染まったガラス玉。猫の手先くらいの大きさをしたそれを熱心に観察していたが、期待していたようなものは何も見えなかったらしい。
「え~、何にもないじゃんか~。ただのガラスだよ、これ」
不満そうに口をとがらせるマグロの隣で、ハカセはガタガタ震えていた。
「ねぇ、マグロさん。いま、何か……ガラスの中をよぎっていきませんでしたか?」
「……お前にも見えたのか。やっぱさっきのは、見間違いではなかったんだな」
青い顔の若がボソリとつぶやく。
ハカセと若は一歩後ろに下がったが、マグロは物おじすることなくガラス玉の向こうを熱心に覗き込んだ。
だが、怖がっている二匹を見ても、マグロはいまいちピンと来ない様子。
「う~ん。やっぱり、ボクには何にも見えないけどなぁ……」
と、しきりに首をひねっている。
「そう、ですか。もしかすると、目の錯覚だったのかもしれません。でも……」
自信なさげに目線をさまよわせたハカセは言う。
「すみません。これといった根拠はありませんが、この玉をこのままここに置いておいてはいけない気がします。とても嫌な気配がするというか……。まるで、何者かがこちらを監視しているような」
それは現実主義者で理路整然と話すのが常な彼にしては、あまりに漠然とした言葉だった。
「自分でも意味不明なことを言っていると思います。でも、嫌な予感で胸がドキドキして。このガラスの向こう側、なにか良くない場所に繋がっているような気がするんです。それに、微かにですが……腐った魚を煮詰めたような、嫌な臭いがするんです」
嫌な臭いがする。
その言葉に、たんぽぽはガラス玉に顔を近づけてスンスンと匂いを嗅いだ。
大きな身体を屈め、至近距離から深海のような色をしたガラス玉を覗き込んだたんぽぽ。直後、カッと目を見開いて硬直した。
そして、次の瞬間。
恐怖のあまり唐突に奇声を発したかと思うと、ガラス玉をくわえて固い壁に向かって力任せにブン投げたのだった。
叩きつけられたガラス玉は、派手な音とともに砕け散った。猫たちは驚いてその場で飛び上がったり、机やソファーの下に滑り込んだりした。
どうやらあのガラス玉の中身は空洞になっていたようだ。
周囲には無数の薄いガラス片が床に散乱している。先ほどまでの暗い深みのある青ではなく、ラムネ玉のような色をした安っぽいガラスに見えた。
「おい! 危ないだろ!」
たんぽぽは目を見開いたまま、口から舌を出しゼーゼーと肩で息をしていた。
「いったいどうした?」
勇敢なたんぽぽは、まるで非力な子猫のように怯えていた。
「めだま……がらすの、むこう……ああ、めだまが……」
ミャーミャーと恥も外聞もなく泣き喚くたんぽぽを見て、全員が冷水を浴びせられたように固まった。
ハカセはそんな彼を気遣うように、優しい声で言った。
「大丈夫です。大丈夫ですよ、たんぽぽ君。あれを壊した判断は、正しかったと思います。ガラス玉が砕け散った瞬間、嫌な気配と臭いがフッと消えました。ミルクさんの説明から考えても、やはりこの玉は異常に思えます。これが町長の精神状況に、何らかの影響を与えていたのではないでしょうか」
「ちょっと、何でみんなしたり顔で納得してるのさ! ボク、全然ついていけないんだけど? 皆、いったい何を見たんだよ?」
納得が行かないマグロは、たんぽぽから話を聞き出したがった。だが、彼は何を見たか頑として説明しようとしなかった。
「あれは一体なんだ?」
唸るように言葉を漏らした若に対し、ハカセは力なく首を振った。
「自分にはまったく見当もつきません。もっと詳しく調べてみないと。とにかく、町長の日記を確認してみましょう。ミルクさんは町長が日記を書いているのを覗き見ていたようですが、いつもどこにしまっているは知っていますか?」
ハカセに尋ねられたミルクは頷いた。
「ええ、おそらくその机の一番上の引き出しにしまってあると思いますわ。お父さんはお願いするとお膝に乗せてくれますの。それで、日記を書いている所をこっそり盗み見ておりました。ただ、その……わたくしは自力ではそこまで登れませんの」
「どんな本ですか?」
「赤っぽい色の、皮装丁の日記帳ですわ」
たんぽぽは大きく跳躍すると、机の上にドスンと降り立った。前足で器用に引き出しを開くと、冊子のような物をくわえて降りてきた。
「ハカセ、これであっているか?」
「ええ、間違いないと思います。英語でダイアリーと書いてありますから。ちょっと待ってください。う~ん、毎日律儀に日記を付けていたのか、ページ数が多いですね。ざっと流し読みしてみますので、ちょっと時間を下さい」
ハカセは真剣な顔でページをめくり始めた。
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