2 事件現場に現れた子猫

 などとヤイノヤイノ大騒ぎつつ、一行は噂の海岸へと向かった。


 若たちが海岸にたどり着くと、まだ朝早くだと言うのに、かなり多くの猫が見物に集まっていた。


 なんとなくみんなが歩いて行く先へと向かってゆくと、海岸のところが人だかりならぬ、猫だかりとなっている。


「あのあたりだろうな。――おう、ごくろうさん。何か見つかったか?」


「あ! 若さんだ! おはようございます!」


 若がやって来たことに気付いた下っ端の野良猫が、元気よく挨拶をした。若はこう見えて面倒見が良いため、多くの舎弟に慕われている。


 姿を見かけるや、口々に挨拶してくる猫たち。


 その度に足を止めては、「おう、おはよう、調子はどうだ?」等と一匹一匹にきちんと返事をして回る若。


 こういうところからも、人望のあるボス猫としての一面をうかがえるだろう。


 また、大きくて強そうな猫を引き連れている若に対し、羨望の目線を向ける猫も多かった。


 ひそひそと話す群衆の声は、たんぽぽと若には聞こえていなかったが、猫並外れて耳の利くマグロとハカセにはバッチリ聞こえていた。


「さすが俺たちのボス」


「若さんの額の傷、あれは後ろに控えているあのでっかい猫とタイマンした時についたものだって噂だぜ」


「あんな強そうな猫を倒して従えるなんて、やっぱスゲーよあの人は」


 ところで、筋肉隆々な巨漢であることから勘違いされがちだが、たんぽぽは基本的に平和主義者で争いを好まない。


 そんなことをあずかり知らぬ彼らは、若に尊敬のまなざしを向けていた。


 実際の2匹の仲は上下関係ではなく、兄弟のようなものだったりするのだが。


 子猫の頃の若は、大きくて強いたんぽぽに憧れて後をついて回っていた。そして、たんぽぽが若に大人しく従っているのは、自分より一回り小さなこの猫を実の弟のように可愛がっているからだった。


 実態を知っているマグロは笑いをこらえるためにプルプルし、ハカセは何とも言えない顔で話題の2匹から目を逸らし続けていた。


 そんな彼らが歩いていると、自然と猫たちが道を譲って道ができていく。


 たんぽぽは、覚悟を決めるように深く息を吸うと、死体に近寄り、顔を見るために仰向けにした。


 身元を確認するためにマジマジと顔を観察し、クンクンと鼻を動かしていた彼だったが。


 どうやら兄弟縁者ではなかったらしく、安堵の息をついた。


「……顔も柄も大きさも違うな。これはうちの親戚ではなさそうだ」


 内心たんぽぽを心配してついてきた若も、ひっそりと安心したように嘆息した。


 そして、彼は死体の様子をまじまじと観察すると、フンと不機嫌そうに鼻を鳴らした


「この辺では見ない顔だな。どうやら、うちの舎弟でもないらしい。――しかし、何だこの酷い傷は! 全身がボロボロじゃないか! なんともまぁ、残忍な奴がいたもんだ」


 それは言葉では言い表せないほど惨たらしい死体だった。全身がひっかき傷だらけになっていて、ふさふさとした茶色の毛並みが台無しになっている。


 おそらく犯人は、このかわいそうな猫がこと切れてからも執拗に攻撃し続けたのだろう。


 物見遊山に来たマグロも、やじ馬根性を引っ込め真顔に戻っていた。


「う~ん、これは酷いね。噂になるのも無理はないなぁ……」


 ここでマグロは持ち前の好奇心を発揮し、気の毒な猫の死因を確かめるべく、熱心に死体を見分し始めた。


「うーん、水死体としてはかなり綺麗だから、死んでから数日って感じかな? それにしても、死因はいったい何だろう? 全身にすごい数のひっかき傷が残ってるけど、ちょっとこれ……なんか、めっちゃ大きくない? まるで大型の肉食獣にやられたような傷跡だよね?」


 若も頷く。


「ああ、しかも、引っかき傷だけで噛んだ形跡がない。大型犬の仕業でもないようだし、人間が傷つけたのならこうはならないはずだ。かといって、この島にこんな大きな手を持つ猛獣がいるなんて、聞いたこともないしなぁ……」


 ふと、上から死体を覗き込んでいたたんぽぽが、驚きの声を上げた。


「あれ? 脇腹に一か所だけ、尖ったもので刺されたような妙な傷がないか?」


「あ、ホントだ。なんだろうね、これ? かなり深く刺されてるよ。角のある生き物は牛くらいしかいないけど、アイツら猫を襲わないし爪もないよねぇ? 若ちゃんはどう思う?」


 マグロの問いかけに、若はふいと目線を逸らした。


「さぁな、分からん」


 と、死体を前にして物おじせずに話し合う3匹だが。


 飼い猫で生きた獲物を取ることに慣れていない上、神経質でどこか繊細なところがあるハカセ。


 彼は猫の無残な他殺体を目の当たりにして、強いショックを受けたようだった。


 しっぽを股に挟んで、プルプルと震えている。


「うっぷ……。あの、お願いですから、死体の様子を丁寧に描写しないでください。うぅ、吐きそう……」


「ほら、ハカセもそう言ってるし、用がなくなったんだからとっとと帰ろうぜ」


 と、しびれを切らした若が帰ろうとしていると、少し離れたところから言い争うような声が聞こえてきた。


 見覚えのない茶トラの雄猫――まだ子猫だが、独り立ちが間近な年ごろと言った感じの幼い猫――が、ボス猫のヤシチやその取り巻きの偉い猫たちにすがり付いていた。


 何かを必死に頼み込んでいるようだ。


 話を聞く限り、この子猫は島の東部を牛耳るボス猫ソンチョーの縄張りに住む飼い猫のようだ。


 驚いたことに、亡くなった猫は子猫の兄だという。


「お願いだよ、人探しを手伝って! 僕達と一緒に暮らしているひな子お姉さんが、町長に連れ去られてしまったんだよぉ! 缶切りたちは事件の真相に気付いていないけど、僕達は誘拐の現場を見ているんだ!」


 子猫はミャーミャーと声を張り上げている。


「警察は犯人がこの島の町長だと言うことに気付いてない! 兄さんは、ひな子お姉さんを一人で探しに行ってしまった。きっと何か事件の核心に迫ったせいで、アイツに殺されたんだ!」


 だが、子猫の懇願に対し、ヤシチは終始とりつく島のない感じだった。最後には、怒って一喝した。


「くどい! 自分で何とかしろ! よそ者の世話までやってられるか!」


「もちろん、兄さんの敵は自分で討つよ! でも、相手は猫をこんなふうに殺してしまう危険な奴なんだ! 行方不明になった飼い主を一刻も早く探し出さないと、きっと命が危ない! うちの縄張りでは、手がかりは全く見つからなかったから、探すのが無理なら何でもいから情報が欲しい。お願いだよ!」


 子猫が断られても諦めないのを見て、ヤシチはついに「しつこい!」と本気で怒り出した。


 縋りつく子猫が側近たちにつまみ出される様子を見て、たんぽぽは不穏な唸り声を上げた。


「なんて酷い奴らだ! お兄さんが殺されてショックを受けている子猫に、あんなに冷たくするなんて! それに、あの子、猫か何かにやられて全身傷だらけになってるじゃないか! なにも、あんな乱暴に放り出すことはないだろ!」


 若は慌てて止めに入った。


「やめろ! お前が本気で殴ったら、たいていの猫はすぐに死ぬ!」


「グルルルル……弱い者いじめ、許さない……」


「やーめーろ! 頼むから、ヤシチの親分相手に暴れないでくれ! 俺の立場まで悪くなるだろうが。ほら、ボスは最近色々と忙しいんだよ。血気盛んな若い衆の勢いが増してきたからなぁ。抗争で忙しくて、それどころは無いらしい。あの人がイラついているのは、ボスの座をめぐる争いが続いて疲れているからだ。許してやってくれ」


 と、2匹がもみ合っていると。


 興味津々な目でよそ者の子猫を見ていたマグロが、待ちきれずに騒ぎ始めた。


「じゃあさ、せっかくだし、子猫ちゃんの話を聞いてみようよ~。なんか訳アリみたいだし。面白そう!」


 と言って、スタスタと子猫に向かって歩いて行く。


 子猫は見知らぬ大人の猫が近寄って来るのを見て、怯えた様子で後ずさった。


 マグロは特に気にすることなく、鼻と鼻をすり寄せて友好的に挨拶を交わすと、好奇心に目をキラキラとさせながら子猫に話しかけた。


「ねぇねぇ、なんでそんなボロボロになってるの? 大人の猫にボコられたとか?」


 子猫は、今にも泣きだしそうな顔で答えた。


「理由は分かんない。いなくなった兄ちゃんを探して家の周りをうろついていたら、大人の猫たちが集会をやってたの。兄ちゃんと死体が浜に上がったって話してたから、詳しい話を聞きたいと思って挨拶しただけなのに。いきなり殴られたの」


「あ、首輪ついてるから、きみ、人間の家に住んでるんだね。お家はどこ?」


 マグロの言うとおり、子猫は真っ赤でピカピカした首輪を付けていた。


「駐在さんの家」


「ああ、あの大通りの向こう側のとこか。うちの縄張りじゃないからそんなに詳しくないけど、何度か見たことはあるよ。道は知ってるから、家まで送ろうか? あと、向こうでこっちを見ているあのでっかい猫は、小さい奴にめっぽう優しいんだ。君が頼んだら、喜んでボディーガードしてくれると思うよ」


 子猫は首を横に振った。


「兄ちゃんが、知らない奴にはついて行ってはいけないって言った」


「そっか。ええと、ボク、マグロっていうんだ! 君の名前は?」


「えっと……虎丸、です」


「オッケー、虎丸ちゃんね。これで知らない奴じゃなくなったよ。さっそくだけど、お兄さんとお友達になろ? そうすれば、家までついて行っても問題ないよね! 道案内ならボクに任せて!」


 しかし、再び子猫は首を振った。

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