第8話

 



 君は嬉しそうにすぐに帰っていったけど、俺はしばらく動けなかったよ。

 そう言って川……檜垣ひがき先生は顔をほころばせた。


「あれからずっと探してた。声とあの笑顔だけを頼りに。もう記憶もおぼろげだったけどね」


 どこかで会えないかと、手当たり次第に公募展に出品したり専門店を巡ったり、目に付いたサークルなどにも顔を出したりしたのだと彼は語った。

 その甲斐あって数多く入賞するようになったが、代わりに自由に捜し歩くのが次第に困難になっていった、と。


「そして、半年前にこの店で君に会えた」


 似てるかもしれない、と声がまず耳に入って……。

 目で追うようになった。

 どんな相手でも一生懸命接客して頑張る姿がまぶしかった、と目を細められた。


「で……でも、そんなこと当たり前――」

「そうあるべきだけどね。たいていの人はそうじゃないでしょ? そしてそれは客側も同じ。高圧的な先生とか、ね」


 何気ない仕草や言動の中にも、そういった人間性は表れるもの。

 自覚がなく周りの雰囲気にただ流されてゆく場合も往々にしてあるけれど。


「嘘をついていたのは、ごめん。ずっと心苦しかったけど……」


 どこに顔を出してもまずは家名に群がられて辟易した。そして書道家という肩書きにも。

 そう言って彼は目を伏せる。

 でも、だってそれはすごいことじゃないですか、と言ったら。

 中身がどんな人間かも知らずにただ騒ぎ立てられるのは我慢ならない、と即答された。


「だから正体を伏せた。身代わりを頼んだ川口には予想どおり人が群がって……。終始不機嫌だったけどね彼」


 それでいつもあんな怒った表情だったんだ。

 申し訳なさそうに笑う先生に、ついつられてしまう。


「とにかく、だった。探しだせた。すごいと思わない?」


 微笑んで、私の手にキーホルダーを乗せてくれた。


 シンデレラのガラスの靴――

 そうだ。確かそんな名前で売られていたもの。

 こんな風にまた触れることができるなんて……。


「ありがとう。君のあの言葉がなかったら俺はもう書をやめていた。今の自分があるのは、誰が何と言おうと君のおかげだ」


 そして感謝の気持ちばかりじゃなく……と、あたたかな眼差しに射抜かれる。


「いつも一生懸命で、しっかりしていて、優しくて……。探していた子じゃなかったとしても、もう構わなかった。真っすぐな君のそばに居たいと、居られたらと願った」


 先生……。

 目頭と喉元にじわりと込み上げてくるものがあった。


「雪さん。君が好きです。そばにいさせてほしい」


「……」

「やっぱり……怒ってる? ずっと騙してたこと」


 やや悲し気な微妙な笑みで訊ねてられて、ふるふると首を横に振る。


 そうじゃない。

 もちろんそんなことじゃなくて。


「い……いいんでしょうか? 私なんかが」

「なんで? どうして駄目だと?」


 ……いいのかな?

 だって十分に私は恵まれていて――


 以上を望んでも……?

 この穏やかな人の、優しい笑顔のそばにいても……本当にいいの?


「バチが当たらないかな、って……。許されるのかな、って思――」


「許すよ、ばかー!!」

「せ、先輩……?」


 突如乱入して抱きついてきた先輩従業員に、思わず目を丸くする。

 驚いたことに、こっそり様子を覗いていたのは一人ではなかった。


「深見いいぃ! よかったねええ!」

「やりやがったよこの子はちくしょー! お似合いだと思ってたんだよお!」


 衝立の陰から雪崩のように次々と従業員たちが押し寄せてきた。


「まあまあありがとうございます、檜垣先生……! よろしくお願いいたしますね。この子は真面目で本当にいい子なんです。う……あらやだ泣けてきちゃう」

「やーだ店長、あなたは母親ですか」


 店長……。先輩……。

 思いの限り抱きつかれて頭を撫でられて、笑いに包まれる。

 檜垣先生も穏やかに微笑んで見守っていた。


 ほら、深見。いいからさっさと返事しなよ!と肘で突かれて、涙を拭いあらためて先生に向き直る。


「私も……そばに、一緒にいたいです。――見つけてくれてありがとう」








 待ち合わせは十九時。

 閉店して明かりの消えた店の前で、はあっと息を吹きかけて両手をあたためる。

 本当は店の中で待っていてと言われていたけど、少しでも早く顔が見たくて外に出てきてしまった。


「あ。川……檜垣、さん」


 白い息を吐き高級感あふれるロングコートのポケットに手を突っ込んで向かってくるに気付いて、ひらりと手を振る。

 今までのブルゾンやラフなパンツもそれなりにカムフラージュだったらしい。

 車とお付きの川口さんは駐車場にでも置いてきたのだろうか。


「俺、川檜垣に改名したほうがいいのかな」


 まだ間違える?とかすかに眉を寄せて、それでもクスクスと笑ってくれた。


「だって慣れが……。それに関しては、そんなに……私は悪くないと思う」


 ……あんまり。たぶん。


「じゃもう、いっそのこと名前で呼んで? 


 名前、って――


「し……柊一郎しゅういちろう、さん? ひぇ……」


 名前呼びしただけで一気に脈拍上昇。見る間に顔面が茹で上がり、思わず頬を覆い隠した。

 うわ、ダメだこれ。照れる!

 上出来、とばかりに満足そうに頭を撫でられた。


 いいのだろうか?

 こんなに幸せで。


「……でも、大丈夫なのかな」

「ん、何が?」


 私も一緒にいたい、なんて言ってしまったけれど。

 冷静になって考えると不安なことだらけだ。

 御曹司と庶民なんて越えなきゃならない壁だらけなのでは?と思ってしまう。

 悩みながらも言葉を選びそう伝えると、そんなことか、と笑われた。


「大丈夫。母も一般の出だよ」

「えっ」


 そ、そうなんだ……。財閥同士の政略結婚とかじゃないんだ。


「書道教室の先生してた人でね、俺の師でもある。一目惚れした父が、通いつめてようやく口説き落としたんだって」

「うわ……すごい」


 どうやらいろいろと偏見に満ちた思い込みをしていたようだ。

 向こうの世界の人たちもそんな熱烈な恋をするんだ……。

 頭の片隅で反省しつつも、顔はすっかり緩んでいた。


「ね? 何も心配いらないよ。結婚することになっても大丈夫」

「けっこ……!? い、いくらなんでも気が早すぎ、では」


 穏やかで優しい柊一郎さんはどこへ行ってしまったの?

 いや、優しいけど……。


「え、そう? 両親にはもう雪のこと話してあるし、何も問題ないけど?」

「う、うそっ!?」

「嘘じゃない。大喜びでむしろ早く紹介しろって」


 上流社会の方々っていったい……。

 中途半端に開いた口が塞がらない。


 いや、なんというか……もっといろいろあるでしょ?

 ちょっとずつステップ踏むとか。ねえ、ないの? これも偏見だったの?


「ってわけだから。ほら、行くよ」

「へ」


 この人を目の前にして今までで一番マヌケな声が飛び出てしまった。


「実は待ってる、二人。クリスマスだし」

「!? そ……そんな、いきなり……わ、私こんな格好だし」


 せっかくのデートだしと、いつものデニムはやめて正解だったが……。

 ただの地味色チュニックワンピースにブーツという、庶民丸出しの自分の出で立ちを見下ろす。

 待ってくださってるからとはいえ、突然こんな格好でホントにノコノコ押しかけるわけには――


「別に変じゃないよ? 気になるなら着物でも買っていく?」

「そういう意味じゃな……え? ちょ、ま……待って」


 いいからいいから、と恋人繋ぎした手をひいてご機嫌で駐車場に向かいだす御曹司。


 じ……地味がいい、やっぱり。

 地味に、堅実に、一歩一歩進ませてー!……という心の叫びが彼に届くことは――――おそらく、ない。









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書ダン御曹司と地味シンデレラ @Sato-I

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