第4話




「えー? また古い残り物だけ? 私は新しい紙が欲しいのよお!」

「お……お客様、でしたらご予約を」

「はあ? その時の気分で使いたい紙が違うんだもの。予約なんてしてられないわよ。いつ来てもいいようにちゃんと客の欲しいものを用意しとくのがあなたたちの仕事でしょお?」


 また始まった……。

 はい申し訳ありません、と頭を下げながら内心でもがっくり項垂れる。


 この中年マダムはいつもこうだ。

 趣味で書を嗜んでいるということだが、とにかく煩く、毎回どこからどう責められるかわかったものではない。

 ただ若い子をいびりたいだけよね、あれ?と陰で先輩たちが話していたのを聞いたこともある。



「古いのはあるんだよね?」


 にわかに、下げた頭の上から落ち着いたテノールの声。

 この声は、と顔を上げるとやはりだった。


「……川口様」

「な、何よあんた」


 店員でもないのに口挟んでくんの?とばかりに怪訝そうなマダム。


「古いほどいい味が出ますよ、特にこうぞ紙は。奥様、ちょっとこちらへ」


 そう言って川口様がお試しサイズに切られた紙を一枚手に取り、にこやかにマダムを試し書きコーナーへと誘う。


「ほら、どうです? このかすれ具合なんて最高でしょう? 強くて丈夫だし。確かに好みもあるけど、ボクは古いほうが断然好きですね」


 爽やか笑顔に射貫かれマダムは撃沈……いや、上昇した。

 あれが天にも昇る気分というのだろうか。

 棚に残った楮紙の最後の一反を手に取ったかと思うと、足どり軽くレジへと向かう。なぜか腕を組んで川口様を伴ったまま。

 あなたお詳しいのねえ、名前はなんと仰るの?こちらへはよくいらっしゃるの?次はいついらっしゃるの?……という延々リピートのマシンガントークを、川口様はすべて笑顔で受け流していた。

 尊敬に値する。



「今日もまたありがとうございました。この前のおばあちゃんも。本当に助かりました」


 嵐のようなマダムがようやく去り、あらためて川口様に深々と頭を下げる。

 またすぐに来てくれてよかったし、やっと言えた。

 それだけのことなのに、なんだか無性に嬉しい。


「いえいえ。雪さんの力になれたのならよかったよ」


 相変わらず穏やかに彼は微笑んでくれるが。


 助けてもらってばかりなのは事実。

 もっとしっかりしなければ、と気を引きしめる。


 ふいに、遠くから店長が手信号ならぬ店内専用合図を送ってきているのに気付いた。


「店長さん、何だって?」


 私がこくりとうなずいてやり取りを終えるなり、川口様が不思議そうに訊ねてくる。


「あ、ひと段落したら休憩に入るように言われました」

「お昼これから? じゃあ一緒に食べよう」

「え……あ、でも」


 なぜかテンションが上がった(ように見える)川口様。


「ん? お弁当だったりする?」

「い、いえ。コンビニで適当に何か買おうかな、って」

「じゃあ決まり。よし、行こう!」


 え、あの……と若干戸惑い気味の私を早く早くと急かしてタイムカードを切らせて上着を着せ、やわらか丁寧さん(?)は「ここでいい?」と確認したうえで近くの定食屋に私を引きずって入った。







 残り一つだけ空いていたテーブルに着いて注文を済ませ、「ごめんね、一件だけ電話」と川口様が席を立つ。

 銀色のキーホルダーが、シャラと音を立てて置かれた。

   

 ある意味あの人も嵐だ……。

 お冷を口に運びながら漠然と思う。

 穏やかなだけでなくこんな一面もあるんだ、と新鮮な驚きが占めているのだが。

 はしゃぐように手を引かれて嫌な気がするわけではないけれど……いや。

 というか、むしろこちらが謝らなければならないのでは?

 一緒にいるのがこんなパッとしない地味女でごめんなさい、と。


 地味といえば……と、つい対比で思い出してしまう。


 さっきも店内で、御曹司が派手に先輩方に群がられていたのだ。例によって機嫌悪そうな顔で。

 静かに買い物したくて怒っている? 纏わりつかれるのが嫌、とか?

 ならわざわざ店舗に足を運ばなくても、と思う。

 檜垣ひがき先生ほどの大家なら喜んでうちの営業チームが飛んでいくのに、その提案も最初のころに断られたらしい。


 うーん、わからない。

 あんな優しい作品を創り出せる人なのに、理解不能すぎる。


「――……好きなの?」

「え、えっ! す、好きじゃないですよ別に! 素敵な方だとは思いますけど、違うんです! 前にも言いましたけどっそもそも世界が違うっていうか近寄りがたいっていうか!」


 突然話をふられ、勢い余ってついベラベラと答えてしまった。

 っていうか、いつの間に戻って来てたの、この人!

 狼狽えまくる私を唖然と見ていた川口様の表情が、徐々に微妙な笑いにとって変わられた。


「世界……え、と? あそこで働いてるってことは雪さんも書道とかするの?好きなの?って聞いたん、だけど」


 ひーっ! ヒトの話はちゃんと聴きましょう、私!


「近寄りがたい、って?」


 クスクスと笑って川口様。

 赤くなり青くなりをくり返してあわてふためく私に、もう遠慮なく笑いを浴びせることにしたらしい。


「す、すみません。最近先輩方がやたらと、その……檜垣先生のことを話題に出すのでてっきり」


 言い訳にしては苦しい。まあ結構恥ずかしいところは見せてきたしいいか、と無理やり自身を慰める。


「でも、そうか。雪さんは御曹司には興味ないんだね」


 興味ないというか……。


 縁がなさすぎるのだ。でもそれでいい。

 私はこんなだし。身の丈に合った生き方をすればいい。ずっとそう思って生きてきた。


 けど、どう伝えたらいいんだろう?


「……昔は書道やってたんです。はい、好きでした。書道部にも入ってたりして。中学までは、ですけど」

「高校では続けなかったの?」


「高校入る直前に、両親が亡くなって」

「――」


「あっ、大丈夫ですよ? ちょっと遠いけど面倒みてくれる祖母もいましたし。でも……なんだかんだお金がかかるじゃないですか。だからやめちゃいました」


 まずい……川口様から微笑みが消えてきた。

 でもきっと、ここで話を止めたらもっと消える。

 だから伝えなきゃ。最後まで。


「結局祖母も去年亡くなって……。で、この町に戻ってきました」


「そうだったんだ」

「はい。今って世の中大変じゃないですか。でもきちんと就職もできたし、私はラッキーです。だから、これでいいんです。多くは望みません。今のまま……地味でもこんな私で幸せなんです」


 大丈夫、ちゃんと笑えている。

 だってこれは本心だから。


 川口様も、うん……そうか、といつもの優しい笑顔を見せてくれているけれど。

 正しく伝えられただろうか?

 卑屈になっているわけでもなく、不幸だと思ってるわけでもなく。私が私としてしっかり生きていけているのだということを。





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