第3話




 なぜかその日は異様に混んでいた。


 平日なのに。いつもは暇で仕方ない火曜日のはずなのに、なぜ?と内心頭を抱えながらも、貼り付けた笑顔を保って私は今一番レジに入っている。

 スピード重視で次々に商品をさばいて会計していくも、目の前には早くしろ、とばかりにさんざん待たされて不機嫌そうなお客様があと七、八人は並んでいた。


 レジは二台ある。そろそろ助っ人として入ってきてくれないかな?と隣にいたはずの店長を見ると、未だ表装受注の真っ只中。

 先輩たちは?とちらり窺うと、電話注文の対応をしていたりフロアで接客中だったり、うわあ……檜垣ひがき先生にゆるゆる笑顔で付き添っていたり。(ただのミーハー接客ではなく大量の商品を持って後ろに控えているようなので呼ぶに呼べない……)


 ダメだ。ここは何としても一人で乗り切らねば。

 剥がれかけてきた笑顔を再度貼り付け、手も口も目いっぱい動かしながら意欲装填。


「おい、いつまで待たせんだよ? 他に店員いねえのかよ」


 ついに三番目に並んでいる中年男性が舌打ちして声を荒げた。

 先ほどからしきりに腕時計に目をやっていたし、よほどお急ぎなのだろう。それはわかるし本当に申し訳ないけれど。

 いないんですホントです、すみません!という心の声はそのまま飲み込む。

 お待たせして申し訳ありません、もう少々お待ちくださいませ、と申し訳なさ全開で謝罪の言葉を述べるにとどめた。


 ふいに。


顔彩がんさいどこにあるかねえ?」


 険悪な空気をものともせず、一人のおばあちゃんが杖をついてレジのすぐまで近づいてきた。


「わたし、絵手紙を始めてみようかと思ってねえ」


 にこやかでお話好きそうな、小さくて可愛らしいおばあちゃん。

 そのお話にたっぷり付き合ってあげて顔彩売り場も案内してあげたいんだけど、今はとてつもなく間が悪いです。


「えっと、少しお待ちいただければ……あ、はいっすみません。で、では五千円お預かりいたしますね」


 焦りまくって引きつった笑顔で目の前のレジ応対をしながらも、せめておばあちゃんに売り場の方角だけでも指差ししようとした、矢先。


「顔彩は向こうにありましたよ。俺、一緒に行きましょうか」


 と、おばあさんの背中にそっと手を添えて、誰かがゆっくりと方向転換させてあげていた。


 あ……。


 黒のブルゾンに今日はジーンズの、微笑みまぶしい若い男性。

 五日ぶりくらいにお見かけした川口様だ。

 おばあちゃんの歩調に合わせてゆったり歩み出していく川口様に、すみませんありがとうございます!の意を込めて小さく会釈すると、やわらかな笑みが返ってきた。


 それから間もなく、電話を終えた先輩従業員が加勢してくれ、さらに伸びていたレジ前の列はようやくスムーズに動き出した。



「……うわー、何だったのかしらね? 今の嵐」


 ようやくひと段落して、従業員みんなで力なく笑いながら大きなため息をつく。


「深見、一人でよく耐えた!」

「ねー、オヤジがキレた時なんてハラハラして横目で見てたわ」


「あ……はい」


 耐えたけど。

 あの時乗りきれたのは、絶対のおかげで……。


 お客様のまばらになった店内に視線を巡らせる。

 お礼を言おうと川口様を探して歩き回ってもみたが、もう店内にはいなかった。


 なんだ……もう帰っちゃったのか。


 この次に会えたら絶対お礼言わなきゃ、と心にとめる。

 直後こぼれ出たため息と思いのほか素直に残念がっている自分に、少しだけ驚いた。







「深見ー、これのチェック。と、今日お渡しじゃないやつは三階に運んでおいてー」


 本日、木曜は搬入日だ。

 朝早くに商品とともに搬入されてきた作品群を指差して先輩従業員が言う。


「ちょっと数が多いから向こうでやっちゃっていいから。間違いないか伝票とよく照らし合わせてね」

「はい」


 店舗で受け付けた作品が掛軸や額として仕上がり、しっかりと梱包されて再び作業場から戻ってきたものだ。今日は先輩の言うとおり、いつもの搬入日の倍の数はありそうだった。

 仕上がり日や、作品を取りに再来店されるか郵送を希望されるかなどは、受付時のやり取りであらかじめわかっている。今日すぐに来られる方以外の作品は、店先で邪魔にならないよう、そして大事に保管しておくという意味で倉庫に運んでおく。



「あ、檜垣先生のだ」


 三階の簡易テーブルに広げた半切掛軸と受付伝票を照らし合わせながら、思わず声に出してしまっていた。誰もいないし、まあいいか。

 相変わらず優しい字……と、気付けばさらに微笑んでいた。


 実は常連さんになってくれる前から先生のこと――もとい、先生のは知っていた。

 優しい作風が好きで、それ目当てで何度か展覧会に足を運んだこともある。

 見ているとあたたかな気持ちになれるのだ。


 今回のこの軸装も、萌黄色のやわらかな色味と風合いの布地と相まって文字たちがとても嬉しそうに――

 ……いや、穏やかに喜んでいる……いやいや、違う。なんと言えばいいのだろう。

 ダメだ、私の語彙力が残念すぎて魅力を語れない。

 再び丁寧に軸を巻き直しながらうーん……と唸る。


 でも、あんな仏頂面と怖そうな雰囲気でこんな優しい作品を創り出せるのだから、芸術家と名の付く方々は本当にすごいと思う。      

 思わず失礼な感想を抱いてしまって、ハッとする。いけない、いけない。

 あんな大家がわざわざ足を運んでくれるなんて光栄なことなのだから、大事にしないと。 





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