第41話 アタシは、彼のその間違いだけは、絶対に許せない。




 「――は? 」


 すりガラスから差し込む太陽光が、アタシの瞳を切れ味するどく叩く。

 今、なんて言った?

 コイツ、今、なんて言ったの?

 アタシは、ゆっくりと顔を上げ、アイツを見つめた。目の前の彼の表情からもわかる。きっと今、アタシはとてつもなく怪訝な顔をしていることでしょうね。

 だって、何というか、今、頭の中でさっきの言葉がリピートし続けているのだから。

 “ 相手に悪いだろ。僕なんかと仲良くしてたら ”


 ……はぁ?


 本当に、まっっったく理解できない。

 相手に悪い? 誰よ、相手って。どこ生まれの何さんよ。それでいて、なんでアタシとアンタの仲が良いと、その謎の人物に悪いのよ。誰かに恨まれるような覚えなんか無いわよ意味わかんない。……って、言うかさ。

 アタシは、自分のこめかみに青筋が立つのを感じた。あぁ、ヤバい。これはヤバい。

 高校受験の時のあのいざこざ以来だ。いや、レベルで言えば、今この瞬間が、アタシ史上最大級だ。

 あの時は、確かにアタシも無茶苦茶なことを言ったと思うし、それについては反省している。何が、『高校なんてどこ行っても同じだし、近いところなら通学も楽だよね』なのか。

 そりゃ、彼も怒るわよ。推薦入学を蹴りとばした理由がそれなら、呆れてものも言えないわ。


 『本気で言ってんのか? 』


 『ちなみにアンタどこ行くの? 一番近いとこならまた一緒に――』


 『――お前と一緒の所には行かない』


 その言葉で、一瞬気が遠くなったのよね。だって、こんなこと言われたらショックでしょ。その場で尻餅つくかと思ったわ。


 『その推薦枠が欲しかったヤツ、その言葉を聞いたらどう思う? 』


 その一言で、彼が何で怒っているか理解できた。

 その日まで、偶然にも彼の志望校はアタシと一緒で、でも、偏差値的には難しいのがわかっていた。だから、彼なりに頑張っていたのは、当然アタシも知っていた。だけど、その日突きつけられたのは無情なD判定。

 先生も、当然、志望校を変更しろって言うわけ。夕暮れの中、アタシにその話をしたときの彼は本当に悔しそうで。

 でも、アタシも素直じゃないからさ、


 『そんなヤツら、どうでもいいわよ』


 可愛くないわよね。言っちゃたの。――アイツの頑張りを知ってるくせに、今、彼がどんな気持ちでいるかわかってるくせにね。

 当然、彼の目が久しぶりに尖った。三角よ。三角。あ、これ本気で怒ってんじゃん、怖っ。なんて身構えたわ。


 『僕も、そんなこと言うヤツなんて、どうでもいい』


 後は、アタシに背を向けてドンドン先に行っちゃって。その後ろ姿に、しまった。失敗した。やらかした。って、後悔した。

 だけど、そこで謝れないのがアタシなの。

 だって、その時のアタシにだってそりゃ山ほど言い分はあるわよ。

 そもそも、アンタが不甲斐ないからじゃない! 何よD判定って、何やってんのよ!

 大体ね、家から近いからなんて、そんなバカみたいな理由で志望校を変更するわけないじゃない! 他に理由があるに決まってるでしょ!?。

 でも、アタシよ? 小さい頃から素直じゃないアタシよ? 知ってるでしょ? だから、言わなくても気づいてよ! 察してよ! っていうか、それくらいわかりなさいよね、このバカ!!

 なんて、さっき担任に怒られたばかりでカッカしてるしね。それに、気丈に振る舞ってはいたけれど彼と同じ学校に行けないかもなんて、絶望に押しつぶされそうにもなっていて。

 滾る憤りと、襲い来る絶望感にもう頭の中はごちゃごちゃだし、察しの悪い誰かさんに、もうイライラで。

 だから、こっちとしても、言いたいことは、もう、盛りだくさん。

 後は、いつも通りの大喧嘩よ。


 『アンタは何でそんなにバカなのよっ! 』


 夕暮れ時の通学路。遠ざかる彼の後を追いかけて、背中へと鞄で一撃見舞ってやった。

 アタシとしては、学力の事を言ったわけではないのだけど、アイツはどうもその辺を気にしていたようで、痛いところを突かれたんでしょうね。


 『悪かったな! 勉強出来なくて! 』


 2発目のアタシの鞄を両手で受け止めると、


 『みんな志望校に行くため頑張ってんのに、お前はそんな奴らが欲しかった推薦枠を、そんなバカみたいな理由で蹴ろうとしてんだぞ! ふざけんなよっ! バカッ!! 』


 とても悔しそうな顔するんだもん。本当なら、残念な結果に傷つく彼を励ましたり、慰めたりするべきなのだろうけど、アタシは、その彼のどこか諦めたような顔によりいっそう腹が立ってしまって。


 『うるさいっ! 』


 ……噛みついちゃったのよね。言葉で猛烈に。


 『そんなのアタシが欲しいって言ったわけじゃないもんっ!! 』


 たしかに、この推薦枠は担任が持ってきた話で、自分から望んだわけじゃない。でも、だからといって今、そんな論点のずれたようなことを言っても仕方が無いのはわかっている。だけど、売り言葉に買い言葉というか、勢いで、そうポロリと。


 『だいたいなによ! ちょっと先生に志望校は諦めろって言われたくらいで、グジグジグジグジ拗ねてんじゃないわよ!! 』


 そもそもアンタのせいでしょ! 今まで何やってきたのよ! アタシに八つ当たりすんじゃないわよバカっ!! が、トドメだったのよね。

 今思い出しても、よくもまぁ、彼に嫌われなかったものねと背筋が冷える。なんせその言葉の後は、アイツが悔しそうに睨み、そして一度だけ大きく息を吐いたかと思うと、


 『……』


 まさかまさかの、完璧な無視。ビックリしたわ。それからは何言っても知らんぷり。何しても、無反応。あのね、その時のアタシの心情ったら、一言じゃ言い表せないわよ?

 それが、家まで続いたんだもん。たまらない。

 アタシはただ彼と同じ学校に行きたいだけなのに、それが上手く言葉に出来ない自分自身と、そして、わかってくれないアイツに、もう、悔しくて悔しくて。


 ……中学生にもなって、さめざめと彼の後ろを泣きながら歩いたわ。


 『……なんで無視するの? 』


 なんて、自分のせいでしょ。バカみたい。


 『……なんで、そんなに怒るのよ』


 そんなの、怒るようなことをしたからじゃない。

 ずっと、泣きながらこんな感じ。そりゃあ、彼も無視し続けるってもの。

 さっさと謝ればいいのにね。

 アタシはこんな性格だから、“ ごめん ” の一言が、なかなか出てこない。そして、彼が結局は許してくれるから――その優しさに、甘えていたのよね。

 呆れちゃうわ。本当に、可愛くないヤツなんだもん。そのうち手痛いしっぺ返しが来るだろう事なんてわかりきっているのにね。

 もしかすると、その日、アタシはそれを感じ取ったのかもしれない。

 そう。――だからかな。

 いつものアタシなら何も言えずに終わるけど、その日は、アタシ、最後にちゃんと言ったの。

 なんだか、その時ばかりは、このまま無言で別れたらダメな気がしたから。きっと、後悔するぞって、アタシの中の何かがそう叫んだように思えたのよね。

 もちろん、ストレートには言えやしない。だけど、自宅の門扉をくぐろうとする、アイツの制服の裾を掴んで、


 『……ずっと、』


 なんとか絞り出した小さな声で、言ったの。


 『毎日、アタシはおはようって言いたい』


 “ あなたに ” なんて、言えやしないけど。

 アイツは、何も答えてはくれなかった。一瞬だけ足を止めてくれたけど、こっちを見ようともせずに、静かに玄関の扉を閉めてしまったから、きっと聞こえなかったんだなんて、ベコベコに落ち込んだわ。


 ――だから、余計に嬉しかったのよね。


 アイツがその日の晩に、アタシの家に来てくれて。

 それからは、周りになんと言われようとも、一生懸命頑張って。

 そして、アタシと同じ学校に合格したんだから。――もしかすると、あの日の言葉が聞こえていて、少しくらいはアイツにアタシのこの想いが届いたかもなんて、そう嬉しく思っていたのに。

 それなのに。

 確かに、人は勘違いくらいするものよ。それはアタシも否定しないわ。――ほんの少し前、中三の冬に、もう卒業間近だったわね。友人の一人に聞かれたのもそんな内容の与太話だったわ。


 『噂で聞いたんだけど』


 ただそれは、過去幾度となく聞いた噂の一つ。


 『あの幼馴染みの彼さ、別に好きじゃないってホント? 』


 いつもと違うところと言えば、彼の事が好きじゃないんでしょ。は、はじめての問いかけだった。

 ただ、この手の噂は、小学生の頃から耳にタコができるほど聞いていたし、今回の話も一つの派生形でしかない。そんなのに、まじめに返答するのも正直飽き飽きで、だからかな。

 その時のアタシは、特段、否定するほどのことじゃないと考えていた。

 だって、アタシ自身、告白を断る際には、『好きな人がいるから』と毎回言っていたし、小学生の時の一件から、そのことで冷やかされ、彼に迷惑をかけるのもイヤだったわけで、『どうせアイツの事が好きなんだろ』といった問いかけには、『ないしょ』と答えてきた。

 今になって思うと、バカよね。

 はっきりと『好きよ』って答えれば良かったのに。『だから邪魔しないでね』って言えば良かったのに。油断というか、慢心というか、ちょっとした自意識過剰だったのよね。

 なんせ、その時のアタシは、こんなにもアイツへアピールしているのだから、彼はきっとわかってくれているって、例の『ないしょ』は照れ隠しだって、理解してくれているなんて、自分の都合の良い方にしか考えていたのだから。

 多分、アタシのそのハッキリしない受け答えが、人伝いに流れて行く課程で『ないしょ』から『違う』に変化させてしまったのかも知れない。

 あぁ、もしかして。――嫌な想像が脳裏をよぎった。

 アタシの勘は悪い方には良く当たるんだけど、まさかとは思うけどさ、それが原因って訳じゃないわよね。

 仮定の話ではあるけれど、まさか『あんなに仲が良いんだから、彼女がもし、あの幼馴染みの事が好きなら好きっていうだろう』が、『だから、もしかすると、本当に好きじゃないのかもしれないぞ』になって、それを、どこかで彼が耳にして、そして、何かのきっかけで真に受けて、勘違いした。――アイツの事だから、あり得ない話では無いけれど。

 だけど。

 だけどさ。


 ――それってとどのつまりが、たんなる噂でしょ? 


 それに、――今までのアタシの精一杯のアピールが、彼にはこれっぽっちも伝わってなかったってことじゃない。

 もう10年以上よ。そんな長い間、確かに言葉では言えなかったけど、それでもずーっと行動で表してきたつもりだったのに。

 手を繋ぐとき、毎回心臓が張り裂けそうで、そんなアタシが、好きな人に平然と抱きつけると思ってるの?

 アタシが下の名前で呼ぶ男の子なんて、しかも呼び捨てにするのなんて、たった一人しか、アンタしかいないのよ?

 バレンタインも、クリスマスも、誕生日も、いっぱいいっぱい頑張って “ 大好き ” ってアピールしてきたつもりだったのに。

 それなのに。


 ……もしかしてコイツ、まさか、そんな、ウソよね。


 なんだか今までの頑張りが否定された気がしてならない。本当にアタシの毎日はなんだったのか……。

 踊り場が、こんなにも日当たりが良いせいか、アタシの身体はメラメラと燃えるように熱くなっていく。

 もちろん、この日曜から続く一連のいざこざの発端はアタシだ。そしてその結果だもの、アタシが彼の事を好きではない。アイツがそう勘違いしていても、そこは仕方が無い。

 彼の気持ちを考えないで、自分勝手に突っ走った結果が今なのだから。

 そんなアタシが、この感情を爆発させるのはお門違いだけど、当然、それは理解しているのだけれど。でも、もしそうなら、ごめんなさい。

 アタシはあらためてアイツの腕を掴んだ。

 少し力が入るかも知れないわね。おほほ、ごめんなさいね。

 でもね。


 「……一応、先に聞いとくけど」


 アイツの顔が、ひきつって青ざめていく。流石じゃない。どうやら、アタシの変化に気がついたようね。

 さっきまで、お互いに泣きそうな顔をしていたくせにね、ムードもへったくれもありゃしないわ。でも、ごめんなさい。

 もう、止まれそうにないわ。

 だって、この間違いだけは、絶対に、何があっても、アタシは我慢ならないの。


 ――こっちの勘違いなら悪いわね。勘弁してねと、先に謝っておくわ。


 アタシはそう前置きをすると、アイツのネクタイを引っ張った。


 「ぐはっ! 」


 おでこ同士が派手にぶつかった。ったく、アタシも相当だけど、アンタの石頭もどうにかしなさいよ。ったく、痛いわね、でも痛くないわ。

 そして、突然のことだからさぞ驚いてることでしょうね。全く意味わからないと言いたげに目を白黒させたアイツに、できる限り優しく、努めて穏便に尋ねた。


 「――アンタ、アタシをバカにしてんの? 」


 「な、なに、怒ってんだよ」


 きっとアイツもアタシの雰囲気に何かを感じ取ったのでしょうね。きっと、今のアタシは、見せたことない顔をしているはずだから。

 でもね、別に、たいしたことじゃないわ。わなわなと、体が震えてどうしようもないけれど、そう、たいしたことではない。

 ただね、アタシは、どうにも止まれそうにない。

 なんせ、


 「アタシがいつ、」


 十年以上好きだった彼。


 「アンタ以外の、」


 隣で、大切に想いを募らせてきた彼。


 「どこのどいつに、」


 自分の不器用さに泣いて、くじけて、それでも、やっぱり好きで好きでたまらなくて。


 「目移りしたって言うのよ! 」


 両想いだったと、心の底から喜んだのに、


 「言ってみなさいよ!! 」


 アタシは、この気持ちを、彼に対するこの大切な想いを、


 「ぁあん!!? 」


 他の誰でもない、彼自身から、最低最悪な形で勘違いされてしまっているようなのだから。


 アタシが、恋をしている。――そうね、否定はしないわ。その通りだから。

 想い人がいる。――えぇ、今まさに、目の前に居るわ。

 でも、それが、小さな頃からずっと好きで好きでたまらない、目の前の幼馴染み以外の誰かだなんて……


 ――ふっざけんじゃないわよっ!!


 なんで、ちょっと返事が遅れたぐらいで、『アンタの事を好きではない』が、『誰か別の人が好きなんだ』に変わるのよ。

 信じらんない。冗談じゃない。考えらんない。目と鼻の先にある、アイツの両目から、アタシは一瞬たりとも目を離さない。

 こいつだけは、許せない。アタシも大概バカだけど、こいつも負けないくらいに大バカだ。

 アタシは、ずっとアンタ一筋なのに! ぞっこんなのに!! 想いを伝えるために頑張ってきたのに!! ――こんなに腹立たしかったことは、今まで生きてきた中で、初めてだったのだから。

 どこの誰かもわからない謎の男がアタシの好きな人? はぁ? そんなヤツ、いるなら連れてきなさいよ! いるわけないじゃない! だってアタシの好きな人は、アンタ以外にいないんだから!! もう! もう! ホントにもう!! いっつもいっつも、アンタはどうしてそうなのよっ!!


 「どこのどいつって、だからそれを今――」


 ――うるさいっ! 


 力一杯握りしめたままだったアイツのネクタイをいったん離すと、アタシは彼の背中に腕を回した。


 ……もう、それは勢いだったんだと思う。積もりに積もった鬱憤と、心に溜まった感情が、多分、爆発した。


 だって、冷静なら絶対に出来ないもの。

 あのとき――日曜日は、コイツの勘違いで未遂に終わった。だからもう、彼に主導権を握らせない。こういうヤツなんだから、期待しちゃダメだもん。アタシから強引に攻めていかなくちゃ。

 高校一年生の春。ムードもロマンチックさも、へったくれも無いこんな場所で。

 アタシは、耳障りな言葉を放つ彼の口を塞ぐように、思い知らせるように、自分の唇をアイツの唇に――



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