第40話ーB とても、幸せな毎日だった。 ①




 「――ただの幼馴染みでいよう」


 絞り出すように口から出たこの言葉は、まるで地獄の刑罰であるかのごとく、ひどく僕を苦しめた。

 でも、僕の勘違いで失ってしまった彼女の時間。素晴らしい出会いや、それからもたらされる経験はきっと彼女の人生に彩りを与えてくれたハズなのに、それなのに、僕なんかが隣にいたせいで。

 ゴメン。ゴメンな。ごめんなさい。

 僕はバカだから、上手に説明できないけれど、でも、それでも言わなくちゃいけなくて。

 罰を受けるのは当然で、苦しむのも必然。そして、悲しくて悔しくて、もうどうしようも無いけれど、本当に、お前には幸せになってもらいたいから、だからこそ、ケジメをつけなくちゃいけなくて。

 だから、これを言ったのだから、最後だ。


 ――ただの幼馴染みでいよう。


 この一言で、ようやく、いよいよ僕たちの関係性も変わる。

 いやだ。本当にイヤだ。苦しいほどにイヤだ。でも、僕の感情は今、彼女にとって邪魔なだけだから。

 ひとつひとつ言葉が出る度に、息を吐く度に、僕の胸はズタズタに引き裂かれるようで、口が腐り落ちてしまうようで、でも、頑張って言ったんだ。

 泣くな。泣くな。泣くな。

 笑え。

 所々で奥歯をかみしめる。油断すれば、言いよどめば、涙がこぼれてしまうから。それはダメだから。

 僕は、死にそうになりながら、言った。

 それなのに、なんでだよ。――やめてくれよ。


 「なんで、なんで、そんなこというの……」


 ――すぐ近くから聞こえる彼女の声が、胸にしがみついて離れない。


 なんだって、そんな声を出すんだ。そんな顔をするんだ。

 本当に、悲しいことがあったとき、傷ついたとき、彼女は泣かない。小学生の頃起きた、思い出したくもないクソッタレなトラウマがよみがえる。


 『だいきらいだ』


 あぁ思い出したくもない、あの忌々しい言葉がよみがえる。

 いろいろとタイミングが悪かったし、アイツの性格上、仕方がなかったんだ。でも、もう少し、僕の選ぶべき言葉があっただろうと、うなされるように、今も度々思い出す。

 だって、その言葉を聞いて、彼女にあんな顔されたんだ。もう、僕はその日、部屋に籠もって泣いた。その日、その場所で、その瞬間に、僕は心臓をえぐられたように感じたんだ。

 本当に、本当に心から好きな人に、あんな顔をさせてはダメだ。絶対にダメだ。


 『僕もだいきらいだ』


 あのとき心に誓った。僕は、なにがあろうと二度と言わない。あんな顔を二度とさせてはいけないと、そう心に誓ったんだ。なのに、またもや僕は、――間違えた。

 僕は、彼女の方を向くことが出来ない。意味もなく、踊り場の壁を一心不乱に見つめるばかり。もう、おにぎりの味なんてしやしない。もはや何を食べているのかさえわからない。


 「あ、アタシのダメなとこは言って! 全部なおすから! もうワガママも言わない! 困らせない! 言うことは何でも聞くわ! ……そうか、そうよね。に、日曜日の事でしょ? 謝ってなかったもんね……」


 お前に、悪いところなんてひとつもない。なおさなくていい。ワガママなんて望むところだ。多少のお小言は言ったけど、本当に、困った事なんて一度もない。

 かんしゃくを起こしたような彼女の声に、僕の感情は、まだ浅いところで燻っていたようで、抱きしめてあげたい、慰めてあげねばと、藻掻きそうになる。


 ――だって、彼女が謝るんだ。


 ごめん、ごめんなさい、今までずっとごめんなさいって。――キライにならないでって。

 やめろ! やめてくれ!

 なんで謝るんだよ。謝ったらダメじゃないか。絶対に謝らないのがお前だろ。それなのに……僕は、叫びそうになった。

 お前はひとつも悪いことなんてしてないじゃないか。僕みたいなのが近くにいたのがダメだったんだ。言うなれば、全部僕のせいだ。謝るべきは僕だろう。

 それに、僕がお前をキライになんてなるわけがないだろう。それだけは絶対にあり得ない。

 彼女の震えが、僕の腕から、心へと伝わっていく。もうこれ以上キズの付く箇所がないほどに、ズタズタになった心へと染みていく。

 きっと、彼女は幼馴染みとして僕の事を大切に思ってくれているのだろう。

 だから、失いたくないし、必死にもなる。だけど、それじゃダメなんだ。これから先の人生で、きっと僕の存在は足かせになる。邪魔になる。重荷になる。


 ――そもそも僕たちは、釣り合ってなかったんだ。


 はじめから同じ世界にいてはいけなかったんだ。

 僕としては、お前に会えたのは幸運だったけど、お前にとっては悲劇だったんだ。それくらい住む世界が違ったんだ。

 それを僕は、イヤというほどに思い知って、そしてようやく飲み込んだんだ。

 だから、お願いだから、


 「僕とお前は、恋人じゃない。ただの幼馴染みなんだからさ……」


 そんな顔をしないでくれ。


 ……少しの空白の後、息を呑む声が聞こえ、小さく、……彼女が、震える声で思い出を紡いでいく。


 それは僕にとって、長いようで短い、昔のことのようでそれでいてつい昨日のことのような、そんな幸せな記憶だった。


 「……小学生の時は、いっぱい遊んだね」


 「あぁ」


 今思えば、その頃にはもうコイツの特別になりたかった。


 「毎日、顔が見えなくなるまでいろんなところを走り回ったよね」


 「もっと早く帰って来いって、散々叱られたな」


 コイツとふたりでいると、あっという間に日が暮れて。


 「初めて二人だけで出かけたのは、中学生の時だっけ」


 「……映画、観に行ったよな」


 前の日は緊張して、眠れなかった。


 「あんまり面白くなかったよね」


 「うん。あのあとふたりで借りたDVDを、僕の部屋で朝まで観たっけ」


 気がついたら、二人でひとつの毛布にくるまって寝てたんだよな。


 「ケンカもいっぱいしたわ」


 「あぁ、まだ謝ってないこともたくさんある」


 毎回、嫌われたって落ち込んだよ。


 「……アタシも」


 「毎日楽しかったのは、きっとお前がいたからだ」


 僕は、お前のいない日常は考えられない。だけど、


 「うん。そうだね。アタシも、そう思う」


 お前の幸せを邪魔してまで、隣に居ようとは思わないから。

 僕は、二度と、この場所には近づかないだろう。今まさにここは、ろくな思い出のない、僕の初恋に引導を渡す、見るも無惨な処刑の地になった。


 ……ここは、やっぱり、僕にとっての、地獄。


 きっと、これからはここに近づいただけでストレスでおかしくなるかもしれない。

 だって、僕が彼女に言いたくなかった言葉を言って、見たくなかった表情を見て、そして、言われたくなかった “ この一言 ” を言われるんだから。

 日当たりの良い踊り場で、僕は、もう、


 「……アタシ達、」


 無理だ。


 「……さよならなの? 」


 本当に、涙がこぼれ落ちるかと思った。

 僕の胸に大穴を開ける、そんな彼女の声に、涙がもうすぐそこまで来ていたのだから。

 だめだ。本当にダメだ。それだけは、その言葉だけは聞きたくなかった。

 その一言は、僕の中にある、最後の平静さをむしり取っていった。

 もう、どうにかなりそうだ。

 悲しいという感情が振り切れて、悔しいという感情に溺れそうで、すぐにでも、おかしくなりそうだった。

 さよならなんて言いたくない。

 さよならなんてしたくない。

 その言葉だけは、僕も言えなかったのに、なんで、なんで、――なんで、お前は言っちゃうんだよ。

 僕の決意という屋台骨は、思いのほか脆弱で、簡単に揺らいで崩れてしまったように思う。

 こんなダサい男が、最後くらいはと格好つけようとした罰か。もしくは、身の丈に合わない幸せを得てしまった報いか。


 「……だって、」


 言うまいと堪えた歯ぎしりの後、


 「だってさ、」


 僕は本当にカッコ悪い言葉を吐き捨ててしまったんだから。


 「――相手に悪いだろ。僕なんかと仲良くしていたら」



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