正妻、早川タツ子

 ああもう、お話することなんて何もございませんわ。わたくしです。わたくしが彼を殺したのです。

 犯人が自首しましたのよ。何をぐずぐずしているんです、早く逮捕してくださいな。


 あら··········なんで殺したのかですって? そんなの決まってるじゃありませんか。

 あの人の女癖の悪さ、あなただってご存知でしょう? 少し見目の良い娘が居たらすぐに鼻の下を伸ばしちゃって。週刊誌でずいぶん面白おかしく書かれていましたもの。わたくしも興味深く読ませて頂きましたわ。


 わたくしだってね、大昔には、舞台に立ってましたのよ。女優だったんです。今はこんな皺だらけのおばさんになってしまいましたけどね。

 舞鶴と結婚すると決めた時に、舞台を降りる決心をしましたの。妻は夫のサポートをしなければなりませんし、女優は片手間で出来るような仕事ではありませんわ。

 だから、覚悟はしていましたの。していましたけど··········駄目ね、どうしても、許せなかった。


 刑事さん、あなたにはおわかりになるかしら。

 舞台を捨てて、スポットライトを浴びることも歓声を聴くこともなくなって、ただひたすらあの人を想って尽くしてきたのに、浮気をされて、そのたびに若い泥棒猫と比べられて嘲笑われて。

 耐えられますか、この屈辱に。わたくしは、今までずっと耐えてきましたよ。三十年も。

 男の浮気は風邪のようなもの。許してやるのが女の甲斐性なのだと、言い聞かせてきました。

 歳を重ねれば落ち着くはず、きっとわたくしの元へ帰って来るのだと。

 ですが、あの人はいくつになっても変わりませんでした。己の子供、いえ、孫と言っても良い年齢の小娘でも、気に入れば寝室に引き入れたのです。


 だから、あの人がスランプに陥って悶え苦しんでいた時、わたくしは良い気味だと思ってましたのよ。

 ああ、やっと天罰が下ったのだと。わたくしの怒りが天に届いたのだと思いました。

 でも、夫を支えるのは妻の役目ですから。あの人が欲しがる物を用意したのは、わたくしです。

 非合法なお薬、手首を切るための剃刀、殺人映画スナッフフィルム··········ああ、恋茄子マンドラゴラの悲鳴を聴くのはいかが? とお勧めしたのも、わたくしなんです。


 舞鶴は刺激を求めていました。お薬で幻覚に溺れ、手首を切る痛みに恍惚となり、殺人映画スナッフフィルムの凄惨さに身を沈めても、足りない足りないと駄々っ子のように暴れていましたわ。

 まともに聞いたら発狂してしまうと言われる恋茄子マンドラゴラの悲鳴なら、あの人の求める刺激にぴったりでしょう?


 その時のあの人の喜びようったら。今でも思い出せますわ。まるで子供みたいに、きらきらと瞳を輝かせて、可愛らしく笑ったんです。


恋茄子マンドラゴラの声を聴く会」は、本来、わたくしと舞鶴だけで行うはずでした。星宮さんと成島さんがご参加されることは、わたくし、当日に知らされましたの。

 慌てましたわ。家事は完璧にこなしているつもりでしたけど、やはりお客様を迎えるとなると準備が必要じゃないですか。

 幸い、開会するのは午後でしたから、何とかケーキを焼く時間はありましたけれど。

 ええ、そうです。そのケーキに、より正確に言えば、あの人のケーキに載せたクリームに、恋茄子マンドラゴラの根を混ぜました。

 刑事さんでしたら、当然ご存知でしょうけど、恋茄子マンドラゴラの根には毒がありますの。だけど、クリームだけでは致死量にはならなかったみたいね。


 あの人が夢現なのはいつものことだから、星宮さんも成島さんも何も言わなかったわ。

 わたくしはね、お茶にも恋茄子マンドラゴラの根を混ぜました。その日の朝食や、昼食にも。舞鶴が口にする物全てに、少しずつ恋茄子マンドラゴラの根を混ぜたのです。

 そして、お茶会を終えて、さあ恋茄子マンドラゴラの声を聴きましょうと、皆で地下室へ行って────そこで限界を迎えたのです。


 悲劇の天才劇作家として、相応しい最期でしたわ。

 だってあの人は、恋茄子マンドラゴラを引き抜いた瞬間に倒れて、息絶えたのですから。

 わたくしは恋茄子マンドラゴラの悲鳴を聴けませんでした。舞鶴の悲鳴が、それをかき消してくれたのです。


 さあ、刑事さん。早く逮捕してください。

 天才劇作家、舞鶴聖天を殺した犯人はこのわたくし、早川タツ子です。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る