6 伊吹は津久井と夢越し三年目の邂逅を果たす

 伊吹とアイは、絵理子の運転する車で隣町の教会を訪れた。


 教会と銘打ってはいるが、

 平屋のてっぺんに十字架を飾っただけの、あばら屋だ。


 余り裕福ではないことが外観から分かる。


 伊吹は、窓枠に残った埃を確認する姑の様な目つきを、

 建物や敷地に向ける。


 白い壁はペンキがはげかけているし泥が付いているし、

 庭の禿げた樹木や、

 まばらな芝生には手入れが行き届いていない。


 平屋の隣に、さらに輪をかけたようにボロい小屋がある。


 旧家の桐原家と違い、悪い年のとり方をした建物だ。


 土壁のひび割れからはムカデやヤモリがうぞうぞと大量に這いでてきそうだ。


 伊吹はいよいよもって、

 このような施設にアイーシャを預けるべきではないと思い、

 ボロ小屋を親の仇のように睨みつける。


 二棟ある建物の両方ともボロいが、

 特にボロい方、吉田という表札の掛かっている玄関前に伊吹は立つ。


 呼び鈴が古びたドアの脇、目立たない位置にあったことに、

 伊吹は言いがかりのような苛立ちを抱いた。


 風が吹いただけでも壊れそうな呼び鈴を、

 伊吹はとどめを刺すかのように乱暴に押す。


「アイさん。里親が貴方に相応しいか、私が見極めるわ。

 もし気にくわなかったら、貴方をさらうわ」


 手を握ると、小さな力が返ってきた。


「ウイ」


「こら。伊吹」


 手を使えない絵理子が普段よりやや強い口調で、注意した。

 絵理子は菓子折りと、

 アイの着ていた服を入れた紙袋を持っているため、両手は塞がっている。


「物騒なことを言ったら駄目よ。

 よくないことを考えているんだったら、

 柚美ちゃんと一緒に車の中で待ってなさい」


「無理。私は守勢に回るくらいなら、攻めることにしたの。

 それが私らしいって言われたし、私もそう思う」


「もう、何よそれ……」


「呼び鈴を押したというのに、全く反応がないわ。

 在宅なら一秒で玄関に来られそうな小さい建物だというのに」


「こら。言い方」


「端的に事実を述べただけよ」


 伊吹は対応の遅さを我慢出来ず、ドアを開けた。


「桐原伊吹よ。責任者は今すぐ、出てきなさい」


「伊吹!

 口の利き方。そんな子に育てた覚えはないわよ」


「ええ。そうよ。

 だからアイさんは私がいい子に育てるわ」


「人の話をー、聞きなさい。

 さっきから変よ。何を興奮しているのよ」


「分からないわよ。さっきから胸がざわつくの。

 落ちついていられないの。

 電話連絡を入れてあるのよね?

 私たちの来訪を知っているのだから、直ぐに出てくるのが礼儀よ。

 こっちは誘拐する覚悟で来ているのよ」


 痺れを切らした伊吹が踏み込もうとしたら、

 先にアイが靴を脱ぎ散らかして奥へと上がりこんでいった。


 人形用みたいに小さな靴が伊吹の足下に転がってきた。


「お行儀が悪いわね」


 伊吹は文句を吐きつつ、アイの靴を整頓する。


 その流れで伊吹も靴を脱いで上がった。


「アイさん、待って」


「こら、伊吹、勝手に上がっちゃ駄目でしょ」


「私はアイさんの知り合いなんだから、何の不都合もないでしょ」


「待ちなさい伊吹。

 お家の人の許可が要るに決まっているでしょ」


 伊吹は絵理子の声を振り切り、

 アイの入っていった部屋へと続く。


「……え?」


 予想外の光景が、伊吹の全身を硬直させた。


 伊吹は部屋の入り口から足が動かなくなり、目を見開き呆けた。


 あまりにも、唐突すぎた。


 もし、部屋にいたのが強盗だったら、

 伊吹は持ち前の気の強さと、昔取った杵柄を披露していたかもしれない。


 もし、午前中に遭遇した大蛇がとぐろを巻いていたのなら、

 即座にアイを抱きあげ、逃げだしていただろう。


 たとえ、何がいたとしても、

 呆然と硬直することなんてあり得ないはずだった。


 だが伊吹は、全身を硬直させたまま、ただ立ち尽くしている。


 神父らしき禿頭の男が、

 ソファにだらしなく埋没している。


 首を傾げ、肩を脱力しているから、昏倒しているのだろう。


 おそらく児童福祉施設の責任者、吉田だ。


 だが、訪問相手が意識を失っていることは、

 今の伊吹にとっては大した関心事ではなかった。


 伊吹は昏倒している男よりも、

 その対面に座る男から目を離せない。


 伊吹は、入り口で立ち止まっていたアイに気づかず、

 膝で蹴り倒してしまっていたのだが、そのことのにさえ気づいていない。


 伊吹は僅か半日の間にアイと出会い豪雨に遭ったのだから、

 夢を構成する最後の要素にも、

 心構えを用意しておくべきだったのだ。


「なんで、ここに、いるのよ……」


 相手への質問ではない。

 見たものを信じたくなくて、疑うあまり漏れた言葉だ。


 ナイフが人の形をして衣服を纏ったような男がソファに座っている。

 男は伊吹に気付き、眼球だけを動かした。


 伊吹には、映画や小説の登場人物と出会ってしまったように現実感がない。


 よく知っている男が目の前にいるというのに、

 伊吹はその人物が、本当に自分の知っている人物だという確証を持てない。


「津久井……」


 無意識のうちに呟いていた。


 それは、夢で、

 アイーシャを誘拐しようとし、イレーヌを殺す男の名だ。

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