3 伊吹はアイの救出を決意する

 2010年に臓器移植法が改正され、

 脳死後の臓器提供や未成年者からの提供が可能になると、

 日本国内での心臓移植は増えた。

 それでも心臓移植は年間100に満たない、稀な手術だ。


 多くの患者がベッドの上で臓器提供を待ち続け、

 手術を受けられないまま命を落とす。


 伊吹のように、

 入院から一年かからずに臓器提供者が見つかることは極めて希だ。


 様々な理由があるが、大抵は脳死した大人から子供へと移植は行われる。

 伊吹の場合も、イレーヌという大人の臓器が伊吹という子供に移植された。


「ねえねえ、どういうこと?」


 伊吹が考えこんでいると、

 柚美が顔の前で手を振ってきたから、叩き落としてから説明する。


「当たり前だけど、臓器って大人と子供とで大きさが違うわよね。

 私とイレーヌは殆ど同じ体格だから臓器移植は可能だった。

 けど、アイさんくらい小さい子供には、大人の臓器は移植できないわ」


「そう、ね……。あれ」


 絵理子は伊吹の言いたいことを理解したらしく目を丸くした。


 伊吹は駐車場に出ると関を呼んでから話を再開する。


 伊吹の推論に説得力を持たせるためには、

 関の知っている事情も加味したい。


 だから伊吹は、特に関の反応を窺いながら三人に自説を披露する。


「あの男の言葉はそのままの意味だったのよ。

 津久井が欲しているのは吸血鬼の心臓。

 誰かにアイさんの心臓を移植しようとしている。

 三年前赤ちゃんだったアイさんが、

 ある程度の大きさになるまで成長を待つ必要があったのよ」


 関は無言だったが真剣なまなざしで小さくうなづくのだから、

 反論はないのだろう。


「スマホってインターネット検索が出来るのよね。

 調べるキーワードは心臓移植と待機児童。

 それと、日本国内」


 伊吹以外の三人がスマートフォンを取りだす。


 最初に伊吹の期待した情報を探し当てたのは絵理子だった。


 最も付き合いの長い絵理子だから、

 他のふたりよりも伊吹の考えを察して、

 検索キーワードを細かく設定していた。


 伊吹は臓器移植を実施している病院や予定を探そうとしたのだが、

 絵理子のスマートフォンには期待を上回る結果があった。


「津久井すみれ7歳。心臓移植の待機中。

 現在、日本で心臓の移植手術を行っている病院は八つ。

 ここから最も近い名東医大付属病院が津久井の目的地よ」


「どういうこと、伊吹ちゃん」


「時間が惜しいから道中で話すわ。

 絵理子さん、車、お願い」


 四人を乗せた車が慌ただしく走りだす。

 加速が落ち着いたところで伊吹は後部座席から身を乗りだして説明する。


「津久井の部下がアイさんを連れ去るときに言っていたわ。

 心臓は無事だって。

 昔話や都市伝説に出てくる吸血鬼の特徴は何?

 吸血行為や不老不死が目立つけど、違うわ。

 血を吸っても感染症にならないこと。

 臓器移植に適した心臓は滅多に手に入らないわ。

 何人もの患者が自分に適合する心臓を、

 何年も待ち続けて病院で命を落としていくの」


 現実問題として数年に及ぶ入院期間は患者や家族に治療費や滞在費という負担になって重くのし掛かる。

 そのため、満足な治療を受けられる者は殆どいない。


 高額な医療費を容易に支払えるのは桐原家のような裕福な家庭に限られる。


 津久井は自らの収入では医療費を負担しきれず、

 募金をあてがおうとしたのだろう。

 慈善団体が娘の名前、年齢、入院先の病院名をウェブサイトに公開していた。


「血液型は当然として、

 他にも適合性を満たす必要があるというのは分かるでしょ。

 けど、吸血鬼の心臓なら別なのよ。

 おそらく、誰にでも適合するの。ちょうどいい大きさなら」


 伊吹は三人の理解を待つため、いったん、言葉を切る。


 察しのいい絵理子は気づいている。


 関は助手席で前方を向いたままだから分からない。


 柚美はいまいち話に着いてこれていない様子だ。


「津久井はアイさんの心臓を自分の娘に移植するため、

 三年、待った」


「待って。

 伊吹ちゃん、でもそれって」


「ええ。当たり前のことだけど、

 臓器は脳死患者からしか摘出してはいけないの。

 それを津久井は、

 ついさっきまで元気に走っていたアイさんから奪うつもりなのよ」


「嘘っ。じゃあ、アイちゃんは」


「津久井は非合法な手段を執っている。

 いくらなんでも病院の設備がないと臓器移植なんて出来ないはず。

 だから診察時間が過ぎてから……。

 だとしたら、タイムリミットは三十分。

 絵理子さん、この車、三百出るのよね。

 使いどころよ」


「え、ええ……。

 いや、免停くらい覚悟するけど、帰宅の時間帯よ。

 渋滞するわ。三百、出したくても出せない」


 絵理子がアクセルを踏み込んだらしく、周囲の流れる景色が早くなった。

 そのタイミングで関が水を差す。


「止めてくれ。

 車で渋滞にはまるなら、俺は走った方が早い。

 あとは俺に任せて、お前達は帰れ」


 走行中でも構わず降りかねないということは絵理子も分かっているらしく、

 車は減速する。


「停めるから。危ないから開けないでよ」


 ちょうど近くにあったコンビニの駐車場に入った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る