反撃

(十一)



 少年たちを乗せた漁船は、無事にマーヴェリックにたどり着いた。バーニィは船をマーヴェリックの横に着けさせると、彼らに指示を与えた。


「それじゃ、マノンとクリフ、ハンス、エミリア、フリッツは僕といっしょにマーヴェリックに乗り込んでくれ」


 それを聞いて、アニスが大声で聞き返す。


「えっ、ちょっと、あたしは? あたしもいっしょに行く!」


 その声に、バーニィは振り返って答えた。


「アニス、君はジオといっしょにこの船で、マクマリーン基地へ向かってくれ。そして一刻も早く、ミサイルやスペンサー博士たちのことをアメルリアの海軍に連絡するんだ」


「バーニィ……」


「頼むよ、アニス。君が行ってくれないとダメなんだ」


「それって、艦長キャプテンの命令?」


「いや、僕からおさななじみのお願いさ」


 アニスは泣きそうな顔をしながらも、バーニィの真剣な顔に、やっとうなずいて見せた。


「絶対、無事で帰ってきてよ」


「わかった、約束する」


 バーニィがそう答えると、アニスはいきなり彼の肩に手を回し、顔を近づけて目をつぶった。そして彼女は、そのままバーニィの唇に押しつけるように、不器用なキスをした。


「んっ……」


「! ……」


 あまりに突然な出来事に、なすすべなく身を任せているバーニィ。しばらくして唇を離すと、アニスは言った。


「これ、ごほうびの前払いよ。……約束、必ず守ってね!」


 そう言ってアニスはくるっと後ろを向き、ツインテールを翻らせると、振り向きもせずに操縦席へと入っていく。そしてそのまま、漁船はマクマリーン基地へと向かっていった。


 バーニィは呆然としながら、幼なじみの少女がはじめてくれた、みずみずしい味と柔らかな感触の残る唇を、自分の指で無意識に触れていた。




 最後に艦橋セイルに上ってきたバーニィは、そこにいたエミリアに肘でつつかれた。


「ホント、仲いいんだから」


 流し目でいたずらっぽく笑う彼女の言葉を、赤くなりながらも聞こえないふりをして、バーニィはクリフに話しかけた。


「どう、中に入れそう?」


「ダメだ、完全に閉まってる」


 そう答えるクリフの横にいたマノンは、自分の胸のブローチを外すと、ハッチの脇のキーパッドの上にかざした。するとまもなく、ロックが解除される電子音がした。


「これ、お父さんが作ったの。このふねのロックを開ける、鍵として使えるわ」


「ありがとう、マノン。やっぱり君がいてよかった」


 バーニィはそう言うと、急いでマーヴェリックの艦内に入っていった。




 一方その頃、アメルリアの国防総省はのパニックとなっていた。大陸間弾道弾を備えたミサイル発射設備を持つ基地が、すべて完全にコントロールを失ってしまったのだ。施設の関係者は、あらゆる手を尽くして原因の究明を急いだものの、彼らはその手がかりすら見つけることはできなかった。

 そしてついに、一基の核ミサイルが発射準備を完了させてしまった。誰がこの設備を動かしているのか、またこのミサイルがどこに向けられているのか。その答えを知るものは、アメルリア軍はおろか、この国の中にさえひとりもいなかった。


《発射三十秒前、二十九、二十八、二十七……》


 やがて、無機質な機械音声による、発射へのカウントダウンがはじまった。その意味を知る人々にとって、これから起こりうる最悪の事態への備えは、神への祈りだけだった。




 めまぐるしいスピードでマーヴェリックのコンソールを操作していたクリフは、バーニィに向かって調査の結果を報告した。


「やっぱり、スペンサー博士はここに向けて核ミサイルを発射させてしまったようだね。あと三十分ほどで、ミサイルは目標地点に到達する」


 予想していたことではあったが、バーニィはその言葉に落胆の色は隠せなかった。


「なんとかして、止める方法はないの?」


 そうたずねるエミリアに、クリフは答えた。


「スペンサー博士は発射指令後に、プログラムにパスワードをかけている。ミサイルの進行を止めることは不可能だ」


「……それじゃ、撃ち落とすことはできないかな? 確か、このふねには巡航ミサイルも搭載されていたよね」


 バーニィの言葉に、すぐさまクリフはかぶりを振った。


「いや、無理だね」


「どうして? ミサイルが落ちるところはわかってるんだから、そこから上空に向かって撃てば破壊できるんじゃないの?」


 バーニィが反論すると、クリフは言った。


「核ミサイルは、猛スピードでほぼ真上から落ちてくるんだ。でも、マーヴェリックには対艦攻撃用ハープーンミサイルは装備されていても、上空に向かって撃つVLS(垂直発射装置)はない。迎撃は不可能だよ」


 そのとき、ふたりの会話をそばで聞いていたハンスが突如こう言った。


「それじゃふねを九十度、つまり真上に向けて、先頭の魚雷発射管から対艦攻撃用ハープーンミサイルを空に向かって撃ち上げるっていうのはどうだ?」


 ハンスの奇抜なアイデアに、バーニィは一気に表情を明るくする。


「それだ! その手で行こう!」


 だがクリフは、表情を曇らせて言い返す。


「……そんなの無茶だ。水面に向かって垂直に立たせるなんて、潜水艦にそんな動きができるわけがないよ」


 バーニィは、そんなクリフに向かって真剣な顔で話しかける。


「そうかもしれない。でも、僕らに残された可能性はもうこれしかないんだ。とにかく、やれるだけやってみよう、クリフ」


 そう言うと、バーニィは乗組員クルーたちに命令を下す。


「クリフ、ミサイルが到達するまでの目標地点と残り時間を割り出して。エミリアは、クリフの指示に従ってレーダーをチェック。それからフリッツ、君は魚雷発射管に対艦攻撃用ハープーンミサイルを装填してくれ」


 そしてバーニィは、ハンスに向かって言った。


「ハンス、マーヴェリック機関部のチェックを頼む」


「了解」


 ハンスはそう答えると、機関室へと走っていった。


 てきぱきと指示を出すバーニィの姿に、ついにクリフは覚悟を決めた。


「わかった、艦長キャプテン作戦行動ミッションを開始しよう」


 クリフの言葉に、バーニィは親指を立てて応えた。




 そんな中、マノンはひとり静かに発令所を抜け出していた。彼女は、コンピュータルームにたどり着くと、決意を秘めつつ胸のブローチをシャッターへとかざした。


「マーヴェリック、開けて」


《お帰りなさいませ、マノン様》


 コンピュータの音声とともに、シャッターが自動的に開きはじめる。するとマノンは、ワンピースのホックに手をかけ、ゆっくりと外していく。そしてその場に、着ているものをすべて脱ぎ捨てた。


(バーニィ……。みんな……)


 白い素肌を、長い黒髪が覆い隠すだけの姿となったマノン。扉の前にブローチをそっと置くと、マノンはコンピュータルームの奥へと入っていった。そしてその中へ姿を消すと、シャッターは再び音を立てて閉まっていくのだった。




 予想以上に複雑な計算に戸惑ったものの、クリフは何とか、核ミサイルの正確な目標地点と到達時間を割り出すことに成功した。しかし彼らに与えられた猶予は、あとほんの数分しか残されてはいなかった。


「バーニィ、準備完了だ」


 クリフの言葉に、操縦席に座ったバーニィは操縦桿を握りしめた。


「よし、マーヴェリック、発進!」


 バーニィは、クリフの指定したとおりの座標にマーヴェリックを固定させると、ふねの先頭を思いっきり上昇させはじめた。


「みんな、しっかりつかまって!」


 バーニィの操縦によって、先頭を天に向けてぐんぐんと傾けていくマーヴェリック。しかし、完全に九十度真上を向くはるか前に上昇が止まってしまった。


「ハンス、どうした?」


 バーニィはマイクに向かって話しかける。機関室にいたハンスは、バーニィの問いかけに苦しそうに答えた。


「ダメだ、バーニィ。やっぱりこれ以上は動けない」


「もう少しなんだ。早くしないと……」


 核ミサイル到達を目前に、焦り出すバーニィ。エミリアやフリッツもまた、振り落とされないように自分の席にしがみつきながら、祈るような気持ちで耐えていた。


「バーニィ、ミサイル到達まであと三分!」


 クリフが叫んだ。


 バーニィは渾身の力を込めて操縦桿を引くものの、マーヴェリックは動こうとしない。


「頼む、お願いだ、動け……動け!」




 すると、驚くべきことにマーヴェリックの先頭が突然、再び上昇をはじめたのだった。


「何かがふねの周りにいっぱい……。これ、何かしら?」


 エミリアの疑問に、ヘッドセットから聞こえてくる周囲の音に注意を傾けていたバーニィが答える。


「この音……。そうだ、クジラの鳴き声だ!」


 そのときマーヴェリックを中心として、クジラの大群が幾重にも取り囲んでいたのである。クジラたちはマーヴェリックが真上を向くように、それぞれの鼻先を押しつけるようにして支えていたのだった。

 クジラの後ろからまた別のクジラが力を与え、重い金属の塊であるこの巨大な潜水艦を、天に向かってまっすぐに立てようとしていた。

 バーニィは、この不思議な現象が起こった理由を、直感的に感じ取っていた。


(マノン、君のおかげだね?)


 コンピュータルームの内部に侵入したマノンは、自分の頭脳から発生させた超音波をマーヴェリックのコンピュータによって増幅させ、それを利用して南極近海のクジラたちに呼びかけたのである。

 マノンからのSOS信号を感じ取ったクジラたちは、その超音波に呼び寄せられるように、マーヴェリックの周りに集まってきたのだった。


「いける! いけるぞ、バーニィ!」


「うん!」


 興奮気味なハンスからの声に、バーニィが応える。


 イルカやクジラには「反響定位エコーロケーション」といって、音波を発生させて周囲の状況を把握する能力があるという。そればかりか、彼らはその能力によって、遠く離れた仲間とのコミュニケーションを取ることも可能なのだ。そのときバーニィは、以前マノンが奏でたオカリナの音色に乗ってイルカの群れが現れたことを思い出していた。




 クジラたちの協力により、完全に真上を向くことができたマーヴェリック。レーダーを監視していたエミリアは、フリッツに向かって叫んだ。


「フリッツ、来るわ! 発射の用意をして!」


 対艦攻撃用ハープーンミサイルの発射は、水雷長のフリッツの仕事だった。だがこともあろうに、フリッツは全身から冷や汗をだらだらと流しながら、うわごとのようにつぶやき続けているままだった。


「やっぱ……僕……やっぱ……ムリ……」


 肥満体の全身がこわばり、フリッツの指は発射ボタンにすら届いていなかった。その様子を横目で見ながら、あわててバーニィが声をかける。


「フリッツ、撃つんだ! 僕は操縦桿から手が離せない!」


 だが失敗を恐れるあまり、まさにフリッツは緊張の極致にいた。ミサイル到達まで、あとほんの数秒と迫ってきている。


「ごめん……僕……!」


「フリッツ!」


 そのときフリッツの目を、やわらかい手のひらが覆い隠した。それは、後ろの席から体を精一杯に伸ばしたエミリアの手だった。


(……!)


 彼女はそのままフリッツの顔に腕を回して、彼を抱きしめると、静かにささやいた。


「落ち着いてフリッツ、何も見ないで。私の声だけを聞いて」


 エミリアもまた、ヘッドセットを耳に装着したまま目を閉じた。彼女は、耳から感じる音だけで、ミサイルの到達タイミングを計っていた。


 やがて体から力が抜けたフリッツは、発射ボタンに指を伸ばした。


「……撃ってファイア!」


 エミリアの言葉に、フリッツは正確に反応した。


 マーヴェリックの魚雷発射管から打ち上げられた対艦攻撃用ハープーンミサイルはまっすぐに上昇していき、核ミサイルを捕らえた。


 核ミサイルは、爆音とともに南極大陸のはるか上空で消滅した。


「やった! 撃ち落としたぞ!」


 核ミサイルの脅威が完全に去ったことを確認すると、クリフは大声で叫んだ。発令所の中に、喜びの声が広がった。


「やったわね、フリッツ!」


「あ、ありがとう……エミリア……」


 エミリアの祝福の声に、フリッツはすっかり放心してしまっていた。

 すると、マーヴェリックの先頭がゆっくりと下降していくのが彼らに感じられた。マーヴェリックの周りを取り囲んでいたクジラたちが、その役割を終えて次々と離れていったのである。

 やがてマーヴェリックは水平状態に戻り、そのまま海面へと浮上した。


「そうだ、マノン!」


 マノンのことを思い出したバーニィは、席を立つとそのままコンピュータルームへと向かって走り出した。




続く


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