【神話都市】光と出逢う夜(お題:ヒロインとの遭遇)

「ここから先は他神様よそさまの区画、これ以上は追ってこれない、はずッ」


 駆ける。街の路地を、ビルの外階段を、人気の失せた公園を、夜の始まりを、少年は駆ける。彼の背後、あるいは周囲には数人の人間が常にいた。ある者は所属を隠さず自警団のローブのまま追い立てたし、ある者は何食わぬ顔でアンケートと称して近づいてきたが、その全員が赤いイヤーモニターを耳に付けていた。彼らは勿論、彼らを撒き餌にさらに遠巻きに見張られている、と考えておくべきだろう……という考えと、それを踏まえた逃走経路が酸欠の少年の頭にリストアップされる。

 網江あみえ弥志郎やしろうは一般的で善良な少年である。ただ特筆すべき点としては、この神が御座おわす街において明確に無宗教と名乗っている、このひと月で転入してきた少年であるということだ。

 彼には彼の事情があるし、また、彼だって四大派閥を始めとした信徒たちの事情を尊重するつもりはある。特定派閥に肩入れしないというだけで、彼は神も奇跡も実在を認めているのだ。一応は。


「……だとしても、無派閥ってだけで俺を狙うかァ……」


 彼の高校が部活に入ることを強制しないように、神の街も信仰を強制しない。けれどそれは行政上の建前であって、いざというときに自分を守る物理的な盾にはならない。それをわかっているからこそ、かれは波風を立てない善良な少年であるように努めてきたのだけれど。


 風が吹く。ふと、その風の行く末を目で追うと、数秒の後にビルから張り出した看板が――どこも損傷してないような、破損ひとつない看板が、落ちた。幸い、それは金属板を薄く延べて作られた軽量のモノで、周囲に人もいなかった。ビルの管理人が修復工事費を払う程度の損害である。

 だが、しかし、現に不自然な現象が起きたという事実が弥志郎の背筋を凍らせる。これひとつならば、単に運が悪かったとか、見た目がよくても中が手抜き工事とか、といったところなのだが、この数日、異様な頻度でこういった不自然が起きている。

 その原因は不明。現象は、「風」の縄張りでも、「火」の区画でも、「水」の出先機関でも起きているし、早晩「土」の膝元でも何かが起きるだろう。無差別、原因不明、かつ小規模であるせいで、体面のこともあり、大々的な対策も起こせない。

 そうして、被害はあっても動かない上層部に不満を持ちながらも捜査を続けた自警団の捜査線上に上ったのは、新入りで信頼も薄い、無宗教、かつ今までの事故に高頻度で居合わせた少年であった――


「八つ当たりもいいとこだな」

「まったくよね」

「……吉成屋きなりや

純光すみれ。よそよそしいのは嫌」


 街角の陰で息を整え毒づいた弥志郎に、いつの間にか、そっと寄り添う姿があった。その少女は、暗闇の中にあってなお輝く白い髪と、暗闇の中にあってより深い真っ黒な瞳をしていた。

 吉成屋純光。思えば、ほんの数時間前に彼女は全てを予想していた。彼女の神性文字講義がなければ、今、弥志郎は冷静に現状を把握できないまま、「火」の自警団に捕らえられていただろう。


「……全部分かってたのか?」

「そんな、全知なんかじゃないよ。かみさま未満なんだって」

「……は、ぁ」


 この非常時においても、転校生は相変わらず神を自称している。よほど、この女子を不敬の輩として売り払った方が安全なのでは――と一瞬だけ考えたけれど、それは違うだろうと弥志郎は思い直す。

 その内心の葛藤まで見透かしたように、純光は小さく笑ってから本題を切り出した。数日の事故におびえたか、街は人も自動車も幻獣車も少なく、囁くような提案も自然に耳に届いた。


「ね、弥志郎くん。手を貸そうか」

「……アン?」

「手・を・貸・そ・っ・か? ……少なくとも、家に帰れるようにしてあげる」


 きろり、と黒い瞳がより漆黒くろくなったように、弥志郎には感じられた。……感じてから、ようやく、自分が彼女を真っ直ぐに見つめていたことに気付いた。それほどまでに無意識に、人の意識を惹きつける発声であった。


「……なんで」

「隣人だもの」


 純光は気負うことなく、そう言った。自然で力の抜けた言葉は、張り詰めていた弥志郎の心を解いた。

 小さく、これもまた無意識に息を吐いた弥志郎の様子を良しとして、純光は小さく、けれどきちんと重みを籠めて言葉を紡ぐ。


「そりゃ、ね。あたし、かみさま見習いだから、本当は君が信じてくれてから色々とやるべきなんだろうけれど」

「……まぁ、そうなんだろうな」

「でも、名無しの神であると同時に、女子高生の吉成屋純光だからさ。一週間お世話になったクラスメイトを助けたい、って思っちゃったんだ」

「……クラス、メイト」

「そ。それに、今入信しろ~って言ったら、吊り橋効果みたいで嫌じゃん?」


 殊更作るわけでもない、ただ自然な、少し不格好な笑顔は、ほんの数時間で消耗しきった少年の心をそっと温めた。

 網江弥志郎は、無宗教のまま神々の都市へ乗り込むだけの資質と覚悟を持っていたけれど、とはいえ今回の騒動が初めての修羅場である。知識と想定と過去事例のケーススタディは、肌で感じる恐怖にとっては余りにも弱い鎧だった。

 けれど、今、少なくとも彼は一人ではない。そう、心の底から実感した。

 無宗教の特異性を買って、己の派閥に引き込もうとする者でもなく、神々の都市へ這入り込む奇特な者へ向けられた故郷の一部の奇異の目でも、まして下手人扱いの包囲網でもない、単なる自分を見てくれたひと。その真心。たったそれだけの当たり前は、吉成屋純光という少女は、とても貴重で、心を支えてくれる、たしかなものである。そう、心の底から実感したのだ。

 だから、こんな気持ちと言葉も自然に溢れる。


「ありがとう」

「へ?」

「……ありがとう、な」

「純光」

「はい。純光さん」

「純光」

「……ありがとう、純光」

「よろしい」


 ついに折れた弥志郎に、純光はにかっと笑う。瞬間、白い髪がふわりと白銀しろく輝き、シルエットを膨らませる。

 いよいよ見間違いではない現象を前に、弥志郎は瞬きを繰り返す。純光は、深く長い呼吸を二回ほどして、それから小さく頷いた。何かを理解した、という様子であった。


「……純光? なんか、光ってない?」

「さ、じゃあ、帰ろうか。対策は明日」

「いや、待て光ってるのはいいのか?」

「今更でしょ。あたしは、かみさまですよ?」


 堂々たる答えに怯んだ隙に、純光は弥志郎の手を取った。柔らかな手は、彼の心を支えるには暖かかったけれど、彼の身を支えるには小さすぎる。その驚きにまた、ぴくり。


「そうだね。……早く寝たいけど、目立ちたくない方が大事だね。歩こうか」

「……は?」

「ま、あたしを信じていて。……とりあえず、今だけは、ね?」


 不可思議な包容力さえ感じさせながら、純光は歩きだした。手を振りほどけないまま、弥志郎は彼女に付いていった。

 果たして、彼らは初対面の朝のように信号に掛からず、検問にも掛からず、夜の街を十数分歩き抜いて、マンションに到着した。

 ひどく静かな街で、追われる彼――もとい、彼らは息を潜めざるを得ず、情報交換や作戦会議どころか、身の上話さえ出来なかった。けれど、互いの歩幅と手のひらだけは互いに知り合うことができたのだった。


 不運を運ぶ風は、その夜、吹かなかった。

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