【神話都市】かみさま未満と狛犬未満(お題:犬)

 少年は人気の失せた教室の片隅で少女と対峙する。空はまだ青さを残しているが、しかし、長居をしていればすぐに朱色に染まるだろう。

 風の女神像が頬を染める前に、ことを片付けたい。少年は自分の机に座る転校生を睨んだ。


「つまり、だ」

「うん」

「お前さんは、えぇと、『かみさま』である」

「正解。……いや、かみさま未満なのよ、あたし」


 転校生はからからと笑った。そのあっけらかんとした仕草から連想される通り、転校初日の今日だけでも多くの人に囲まれていた。今頃、どこかの部活の見学か、帰宅部の誰かによる歓迎会にでも招待されているものだと、少年は推定していた。


「まぁ、でも君がそう言ってくれるなら、一番だわ。ね、弥志郎やしろうくん? もう一回言ってよ」

「言わん。……そもそも、言い分を受け取っただけだ。俺自身は……えーと……君が『かみさま』だなんて、信じない」

吉成屋きなりや純光すみれ、ね。……ふふ、いけずなんだから」

「普通信じないだろ」


 真っ白な髪を波打たせながら、純光と名乗り直した少女はくすくすとミステリアスに笑った。上品に口許を隠す手と無作法に他人の机に座る下半身が矛盾なく両立し、弥志郎を混乱させる。

 弥志郎は、小さく聞こえないように深呼吸しながら自身の目的を確認する。本来自分は忘れ物の文庫本を取りに来ただけである、彼女を自分の机から退かせればいいだけなのだ。そのためには、わざわざ与太話に付き合う義理はない。手始めに、手頃な話題を投げかける。


「一応言っておくと、名前は憶えてたから」

「じゃあ、何で詰まったの?」

「呼び方」

「あら。好きに呼んでいいのよ?」

「あっそ。じゃあ、吉成屋」

「よそよそしい。却下」

「……っ」


 遠回しに、表面上友好的にと繕ってはみたが、どうも無意味だったようだ。弥志郎はさらに一歩近づき、目付きと語気を鋭くする。


「どいてくれ。俺はお前の座ってる、俺の席に用事がある。お前の席は隣だ。座るのはそっちでやれ」

「へぇ、机に座ってるのは怒らないの?」

「どうでもいいからな。ほかに人もいないし、俺の机じゃないしな。とにかくどいてくれ」

「……へぇ」


 弥志郎の、ともすれば不躾な発言も、純光にとっては愉快なものであったらしい。けれど、その『愉快』は先ほどとは違うものであったようで、彼女は『かみさま』と呼ばれた喜びとは明確に別種の笑みを浮かべた。愉悦、悦楽、そういった類の、艶やかで畏るべき色。


「……ふふ。うん。君は、あたしが君の机にいるから怒ってるんだね?」

「そりゃいい気分のやつはいないだろ」


 純光の言葉の端々が浮足立つ。その異常を察して、弥志郎は対照的に語気を落とす。


「うん。うん……。見込み通りだ」

「はぁ?」

「うん。ごめんね。こっちのはなし……。すぐにきみのはなしにもなるんだけど」


 滔滔と、浮ついた雰囲気で語る純光。その印象的なほどに黒く深い瞳は、一層その色を濃くしているように見える。その視線が、真っ直ぐに弥志郎を射すくめる。

 弥志郎は、動かなかった。動けなかった、と評するべきなのかもしれないけれど、それ以上に、彼は動かなかった。これ以上、この転校生を相手に退いてはいけないと感じていた。

 数秒の膠着の後、純光がそれを破った。しっかりと目をつむり、そして目を開いて、言った。


「お願いがあるの」

「いや、その前に退け」

「あ、ごめん」


 とん、と軽やかに机から降りて、純光は言った。嫌がらせの類ではなかったのか、そんなに軽い調子でいいのか、と逆に困惑した弥志郎へ、改めて言葉が投げかけられる。


「あたし、かみさまなんだ」

「ほーん」


 弥志郎は、再三の戯言に耳を貸さずに彼女の隣をすり抜け、机の中を漁る。文庫本は確かにあった。どうも、お願いをしようというのに人質を取るという思考はなかったらしい。


「でね。きみには、あたしの犬になってほしい」

「……はぁ?」

「番犬。狛犬。走狗。神獣と言ってもいいね」


 淡々と、少女は語る。少年は屈んだまま動くことができず、ただ耳を疑うばかり。


「あたし、発生まれたばっかの神様未満なんだけど。どうもこの街って、凄い聖地らしいじゃない」

「あぁ。メジャーどころだけで四柱の神の派閥が根付いてる。派生やらマイナーな神魔ならもっと」

「そんな場所だけどね。あたしだっているからにはもっと信徒を増やして、人を助けたいわけ」

「……ふぅん」

「だから、うちの子になってよ!」


 与太話が加速してきた。確かに神々の語りにも似合うような美貌ではあるけれど、彼女は人間のはず。聞くだけ無駄だ。それでも、弥志郎は自分の良心と利己心を混ぜ込んで、溜息と一緒にレスポンスを返してやる。


「もしかして、昼間の連中にも話してないだろうな?」

「話してないわよ? んふ、嫉妬?」

「いや、他所の過激派に眼を付けられたら面倒だろう。まぁ、今日軽々に話しかけに来た奴らはそこまで信心深くもないんだけど」

「ほほう、その辺も詳しいのね。ますます優秀なわんこだ」

「あぁ!?」

「あぁ、ごめん。褒めてるんだよ?」


 いよいよ辛抱ならん、と机の陰から顔を出した弥志郎に、純光は穏やかに微笑んだ。まるで、聖母のような余裕だ。


「だって、縄張り意識があるってことでしょう」

「ナワバリイシキ?」

「そう。『俺の机に座るな』とか『あいつらの信仰心は緩い、だから争いにはなるまい』とか。危険をちゃんと嗅ぎ分けてる」

「……ふぅん?」

「だからさ、その目と鼻と、危機感の鋭さでさ?」


「あたし、っていう一番いいおうちの子になりなさい」


 真っ赤な光と少女の言葉が『野良犬』を圧倒した。


『神性文字事件』、その最初の事故が起きたのは、この一週間後だった。

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