31話 思い出

 あのマーガレットはすでに私の作るハンガリアンウォーターの虜……恐れる必要はない、のだけど。


「あの方の人の言う事を聞かない感じが受け付けません」


 うんうん……って随分はっきり言いますね、ザールさん。まあ二回も職場を荒らされたらそうもなるか。


「私も同行するよ」


 むっつりしているザールさんと不安から微妙な顔をしている私の顔を見て、フレデリック殿下は笑いながら付け加えた。


「なら、マーガレットも無茶な事はしないだろう」


 本当にそうかしら……私達はそれでも若干不安を抱えながらも、回復術師イツキ・オハラの事について知るためにオハラ家への訪問を決めたのだった。


「あの、ザールさんは無理についてこなくてもいいですよ」


 フレデリック殿下が帰ったあと、私はザールさんにそう声をかけた。ザールさんは一瞬きょとんとして私を見たあと苦笑した。


「いえ、行きますよ。マーガレット嬢は嫌いですけど、その先祖のイツキさんは気になりますから。それに……」


 ザールさんは一旦言葉を切って付け加えた。


「真白さんが心配ですし」

「ザ、ザールさん……」

「真白さんが次はどんな手を使って、仕返しするのか……」

「ザールさん!」


 なんの心配をしているのよ、もう! それからフレデリック殿下の使いから訪問の手はずは整ったと連絡が来て、明日早々に向こうに伺う事となった。


「大変……大変……」


 訪問の予定を聞いたクラリスがクローゼットからドレスを引っ張り出している。なぜほとんど外出しないのにどんどんドレスが増えているのだろうか。


「この間の水色の外出着でいいんじゃない?」

「駄目です! 侯爵家ですよ! それにあのマーガレット様の所ですよね!?」


 クラリスの目が不穏な色に染まる。


「『フレデリック殿下を見守る会』としては真白様には美しく装っていただきませんと」


 なんなのその会。と思ったけれど怖くてクラリスには聞けなかった。


「これがいいですね。これにしましょう」


 それはやわらかな若草色のドレスだった。首元のふちのレースは控えめだけど裾や袖に小さなリボンとプリーツフリルがあしらってあってスッキリとしながら華やかなデザインだ。


「……さすがです。クラリスさん。あの白い帽子も合いそうね」


 今や私の好みは完全にクラリスに把握されているようだ。ドレスが無事に決まったので私はようやくベッドに潜り込む事ができた。


「ああ、そうだ。確認しないと。リベリオ!」

『どうした』


 光と共に現れる小さな影。この辞典の化身であるリベリオを呼び出す。


「明日、オハラ家に行く事になったわ」

『オハラ家……?』

「リベリオの本を作った人がその人だと思ったのだけど……違うの? イツキ・オハラって人よ」

『ああ……樹か……懐かしいな』


 リベリオの目が遠くを見るように細められた。


「名前、忘れていたの?」

『姓があるとは知らなかった。僕はただ『樹』と呼んでいたから。真白にもあるのか?』

「ありますよ。園田って名字が」

『へぇ』


 自分で聞いた割にはあまり興味なさそうにリベリオは相づちをした。


「じゃあ、その樹さんがリベリオを作ったのは間違いないのね?」

『そうだな。彼は召還する時にどうしても思い出すのに時間がかかるからと僕を作ったのさ』

「ハーブに詳しい人だったのね」


 私がそうリベリオに聞くと、彼は首を振った。


『いや。そこが真白とちょっと違う。彼は実は薬草に限らずに召還する事ができた』

「……え?」

『宝石でも武器でもなんでも召還できたのに、彼はそれをしなかった』

「どうして?」


 私は思わず聞き返してしまった。


『その能力が元でなにかあったのかもしれない。争いが嫌いだから、って言ってたな。彼は元は病人に付きそう仕事をしていたそうだ』

「えーと、それって看護師とかかしら」

『だったかな……もうよく覚えていないが』

「やさしい……人だったのね」


 私がそう呟くと、リベリオはちょっとだけ笑った。


『真白にちょっと似ている。派手な事は好まないし、生活も地味だった。唯一こだわるのは食事くらいで……段々と僕を呼び出すことがなくなって……気付けば二百年以上経っていた』

「そう……」


 人間でないリベリオと私とでは時間の感覚が違うのかもしれない。でも、二百年も一人でいたリベリオがなんだか気の毒になった。


「やっぱりその樹さんはこっちで亡くなったのね」

『こちらでの生活は楽しいと言っていたから彼の意志だとは思う。でも……時々帰りたいと言っていたな。元いた世界の人に会いたいと』

「……」

『だから、真白。お前を帰す方法はなんとかして探すからな』

「……うん。ありがとうリベリオ」


 リベリオはそう言ってくれたけど、私がいなくなるとまたリベリオは一人になってしまうのか……私はその事に気が付いてなんとも言えない気分になった。


『さ、もう夜も更けたし眠らないとあの侍女がまたうるさいぞ』

「わかったわ、リベリオ。……お休み」

『うん』


 リベリオはそう言って姿を消した。私は……その後もしばらく暗い天井を見つめていた。

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