32話 オハラ家

「真白!」

「今日はよろしくお願いします」


 フレデリック殿下の真っ白な馬車が玄関先に止まる。そして中から殿下が降りてきた。


「その帽子素敵だね」

「あ、これブライアンさんに買って貰ったんです。この羽根がこの間討伐した魔物の羽根で、お守りになるって……」

「そうか……」


 それを聞いた殿下は顎に手をあてて帽子をじっくり見つめた。そんな見られると恥ずかしいな。


「殿下、真白さん。どうかしたんですか?」


 馬車の中からザールさんが顔を出した。


「いや、なんでもない。行こうか」


 馬車に揺られて王城を出る。今日向かうのは侯爵家の王都の屋敷だ。その間、救護棟を空ける事になるので急遽診療棟から代理の人が来て応対してくれる事になった。

 たどり着いた侯爵家の屋敷は白く美しく一際立派であった。


「お待ちしておりました。いらっしゃいませ」


 玄関の前に使用人とずらりと並んで待っていたのはマーガレットにどこか似た銀髪の紳士だ。


「真白、ザール。彼が当主のジェンソン・オハラ侯爵だ」

「今日はよろしくお願いいたします」


 私は彼にぺこりと頭を下げた。その風貌どこかに、日本人の面影を探したけれど見当たる訳がなかった。そりゃ三百年経っているものね。


「真白様! フレドリック殿下!」


 そんなオハラ侯爵を押しのけて躍り出てきたのは……やっぱりマーガレットだった。ザールさんもいるんですが。


「さぁさぁ、中へどうぞ! もうなんでも聞いてください、洗いざらいお話します!」

「あ、ああ……」


 まるで押し込められるように私達は屋敷の中に入った。真っ赤なカーペットの玄関ホールを抜けて応接間へと通された。ソファに着席するとしばらく待つように言われた。その間、お茶を出されたのでそれを飲んで待っていると若干疲弊したオハラ侯爵が戻って来た。


「……すみません。マーガレットはしばらく部屋にいるように言い聞かせましたので」

「大変そうだな」


 フレデリック殿下は苦笑している。


「本当にお転婆が過ぎまして……」

「まぁ……根はいい子だよ、マーガレットは」

「そう言っていただけるとなんとも」


 オハラ侯爵はちょっと泣きそうだ。苦労しているのね。


「……で、本題に入らせて貰おうか」

「はい、我が家の先祖であるイツキ・オハラについてですね。残っている資料も用意させました」


 侯爵が手を叩くと、いくつかの箱と古い本が運ばれてきた。横のザールさんの目がわくわくしている。


「こちらが彼が生涯大事にしていたもの、それから残した文献です」

「……見ても宜しいですか」

「ええ」


 私は怖々と箱を開けた。そしてそこにあったものに絶句した。ぼろぼろだけど、多分スェットパーカーにジーンズ、そして板のようなものは多分スマホだ。


「こちらの文献はどこの言語かわかりませんが……ずっと当家に残っていたものです。おそらくは日記と……なにかの資料です」

「失礼します……」


 崩れ落ちそうな紙の本をそっとめくる、と目に飛び込んできたのは日本語だった。


「日記と……こっちは小説ですね。あとマンガ……」

「読めるのですか?」


 日記だけは羊皮紙に書かれている為状態がいい。私は樹さんの生きていた証を目にして、胸がドキドキするのを感じた。


「……この真白は今は記憶があいまいだが、イツキのいた国とどうも同じようなのだ」


 侯爵になんと説明していいかと戸惑っていると、フレデリック殿下がそう侯爵に説明をしてくれた。


「記憶を……」

「ああ、なにかきっかけになればいいと思って」

「そうなんですね。当家に伝わっていることとしては、彼は事情は分かりませんが国を捨ててこの地に来たそうです」


 国を捨てて……リベリオの言っていたなにかあったというのはこの事だろうか。


「そこで回復術師として働きはじめ、当時は開拓期でしたからすぐにどこかの家のお抱えになったようです。それから回復術師を纏めて組織化し、それが大型の魔物の討伐に生きたことから当家は爵位を得ました」


 これは以前に聞いた通りね。


「今も王立の病院や診療所、王城内での公衆衛生はこのオハラ家が担っています」

「そうなのですか……。その、彼はどのように……亡くなったのか聞いてもいいですか」

「はい。三男三女に恵まれて孫に囲まれて亡くなったそうです。大往生だったと。私も祖母に聞いただけですがとても優しい穏やかな人物だったとか」


 良かった。寂しい老後ではなかったみたい。私は手元の日記に目を落とした。


「あの……この日記だけお借りしてもいいですか? きちんとお返ししますので」

「ええ。我々には読めませんから。内容を教えていただけると当家としてもありがたいです」

「わかりました」


 あんまり変な事が書いてあったら、ぼかして伝えといた方がいいかしらね。……こことは違う世界なんて急に言われても困るだろうし。


「どうもありがとうございました」


 私がオハラ侯爵に頭を下げ、いざ王城に帰ろうとしたその時だった。


「真白様! お待ち下さい」


 駆け寄ってきたのはマーガレットだった。


「マーガレット! 部屋にいなさいと言っただろう!」


 オハラ侯爵が悲鳴のような声をあげる。


「ちょっとだけです! ……真白様。あの……」


 マーガレットはアメジストのような綺麗な紫の瞳で私をじっと見つめた。うーん、やっぱり美人だ。迫力が違う。


「わたくしにあの奇跡の水を与えてくださってありがとうございます。これ……受け取ってください」

「え……?」

「代金を受け取ってくださらないからプレゼントを用意したのです。せめてこれだけでも……」


 と、いいながら彼女は頬を赤らめた。ああ、ハンガリアンウォーターね。大金を貰うわけにはいかないからタダで譲る事にしたのだった。ほら、あとで怖いし。


「いいんですよ、お譲りしたものなので……」

「駄目です。受け取ってください!」


 マーガレットはぐいぐいと何かの包みを押しつけてくる。私は困惑してフレデリック殿下をちらりと見た。


「……それくらい貰ってやったらどうだ。真白」

「そうですよね……。ありがとうございます。マーガレットさん」

「はい! はいい!」


 喜びを爆発させ、首がもげるかと思うくらいに頷いたマーガレット。そんなマーガレットとぐったりしているオハラ侯爵に見送られながら私達は王城へと帰った。


「ふう……なんだか一日が長かった……」


 夕食と入浴を済ませて、さっさと眠ってしまおうとした時だった。ふとサイドテーブルに置いたあの包みが目に入った。


「そういえば中身はなんなのかしら」


 私は包装を開いて中の箱を開けた。そこには壺と瓶が入っている。あの華やかなマーガレットの事だからお菓子とかアクセサリーとかかと思ったのだが随分と地味だ。

 私は箱からそれらを取り出した。


「これ……もしかして……」


 瓶の中の黒い液体のふちはわずかに赤い。私はそれに見覚えがあった。思わず蓋をとって匂いを嗅ぐ。


「――しょうゆ!!」


 慌てて壺の方をあけるとそこには茶色いものが入っていた。


「これは味噌! え……ええ?」


 思いがけないマーガレットからの贈り物に、私の眠気は吹っ飛んだのだった。

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