5話 新生活

「何か困った事があったら知らせてくれ。では私は大広間に顔を出してくるから。ほら、ブライアン! 切り込み隊長を務めたお前の勇気を表彰するぞ、付いてこい!」

「はっ」


 フレデリック殿下はそう言い残し、体格のいい男性を伴って会場から去った。


「はぁ……」

「ふふふ、どうです? 殿下はお優しい方でしょう」


 残された私が一人、王子オーラに当てられてクラクラしていると、ザールさんがにこにこと話しかけてきた。


「ああやって一人一人に気を配って下さる。殿下の周りには、身分が低くても実力のある立派な方が沢山おります。私も一介の回復術師でありますが、いつかお側に侍りたいものです」


 ザールさんにとってフレデリック殿下は憧れの人みたいだ。


「でもとりあえずは無事帰ってこられたことを祝いましょう! ここは大食いの兵士ばかりです。ごちそうが無くなってしまう」

「そうですね」


 ドレスが窮屈であまり食べられなかったけれど、戴いたパイやローストはとても美味しかった。




 そして翌日。私は目を覚ますとベッドから抜け出した。


「いい天気だ……」


 窓の外の小さな庭には花が咲き、少し先には東屋も見える。私のアパートの狭いベランダガーデンとは大違いだ。


「さて……先の事は分からないけど、とにかく仕事ね」


 仕事さえしていれば気が紛れる。私はずっとそうしてきたのだ。大事な人達を失って、一人になってから。


「ああ、もう起きてらっしゃったのですか」

「クラリス」

「朝のお茶をお持ちしました」

「わ、ありがとう」


 寝起きの頭に香りのいいお茶が染み渡る……。贅沢すぎませんかね、この生活。温かいお茶にほっとしていると、いったん部屋を出たクラリスが戻ってきた。


「あの……ご指示通りに着替えを用意したのですが……地味で動きやすい服を」


 クラリスは顔にはっきりと不満を表しながら衣装箱を持ってきた。


「本当にこれでいいのでしょうか」


 それは簡素なワンピースと飾り帯とベストだった。……本当はズボンとシャツとかがいいとか言ったら卒倒しそう。


「うんうん、こういうの」

「でもこれじゃ子供っぽいし農村の村娘のようです」

「いいのよ。毎日窮屈な服で働きたくないもの」


 それに一人で着替えが出来る服がいい。毎回クラリスに着替えを手伝ってもらうなんて気を遣って疲れてしまう。

 私はさっそくそのワンピースに袖を通した。そして顔を洗ってコテで髪を巻こうとするクラリスと格闘して髪をシンプルに一つにくくると、私は扉の前に立った。


「じゃあいって来ます!」

「……どこに行かれるんです?」

「え?」


 クラリスはきょとんとしている。私は連絡が行ってなかったのかな、と思って説明した。


「フレデリック殿下から騎士団の救護棟で働くよう言われたの。始業時間は聞いてないけど……早めに行けば問題ないでしょ」

「待って下さい。昨日の今日ですよね? 向こうも何も用意してないのでは……?」

「あ……」


 そうだ、そういえば職場が決まったと聞いただけで細かな事は聞いてない。だけどな、今日何もする事ないしな。


「うーん……そしたら見学にいくわ。どんな所で働くのか見ておきたいし」

「そうですか。では案内します……」


 またもクラリスの顔に『不満』の文字が浮かんでいる。ごめんね、落ち着きがないのは性分なの。私はクラリスの案内で辞典リベリオを手に緑の茂る庭を抜けて、東へ。先に教練場があって近くの建物の壁際にひっそりと建っているのが救護棟だという。

「へー……ここが……」


 こぢんまりとした建物を覗き込むと、薬草が干されていたり、薬瓶が並んだ棚が見える。そこで本をめくっている人物がふとこちらに気付いた。ザールさんだ。

 

「おはようございます。あれ? どうしたんですか?」


 救護棟の扉を開けたザールさんに私は頭を下げた。


「あの……私ここで働く事になったんで見学を」

「そうなんですか! いやあ、頼もしい」


 ザールさんの顔がパッと輝いた。そして私を建物の中に入れてくれた。


「ああ、私は普段はここの常駐なんです。よろしくお願いします」

「はい、こちらこそよろしくお願いします」


 私は一応顔見知りのザールさんが同僚になると知ってちょっとホッとした。ザールさんは物腰も柔らかくて優しそうだもんね。

「ここは忙しいですか?」

「そうですね……暇な時と忙しい時が極端ですね」

「それはどういう……」

「今に分かります。そろそろかな」


 ザールさんが窓の外に目をやると同時くらいか、ガヤガヤと賑やかな声がして救護棟の扉が開いた。


「助けてくれぇ……」

「うう……」


 倒れこむように数人の兵士が入ってくる。


「これは……」

「入ったばかりの新兵達です。……ほら、しっかりしなさい」

「体が痛い~」

「木剣がここに当たったんです~」

「はいはい。……という訳で朝の鍛錬後はみんなボロボロなんですよ」


 はーん、筋肉痛と打ち身かしらね。ザールさんは棚から薬瓶を取り出すと新兵達に塗ってやった。


「昨日も塗って貰ったけどこんなの効かないよ!」

「そうですか……。随分激しい訓練のようですね」

「隊長は鬼だ! 邪竜に倒れたのは鍛錬が足らんとかなんとか……」


 騎士団は私が思っていたより体育会系みたい。ザールさんは群がる新兵達に苦笑してその痛みを訴える箇所に手を当てた。


「……地の恵みと慈愛がその身にあらんことを」


 するとふんわりとした光が兵士達の体を包んだ。


「おっ……! 痛くない」

「良かったですね。ほら、もう戻らないとドヤされますよ」


 ザールさんは笑いながら元気になった新兵達を見送った。


「ふう……」

「大丈夫ですか?」


 急に立ちくらみでもしたのか、ザールさんは椅子に腰掛けた。


「ちょっと魔力を使い過ぎました。この時期は新兵が多いので鍛錬が終わる度にこの調子です」

「大変ですね……」

「なるべくなら薬だけで対処したかったのですが」

「今のが回復魔法ですか?」

「はい。植物や動物、時には魔物の素材を触媒にして魔力の効力を高めて治療に使うのです。そこの棚の薬瓶は素材を混合して使い易くしたものです。本来はそのままでもそこそこ効くのですがね」

「へぇ……」


 ラベルを貼って綺麗に並んだ薬瓶。ザールさんは几帳面な性格のようだ。


「なんだか訓練も厳しくなったようですし、人手は大歓迎です」

「分かりました! がんばりますね」


 私がファイティングポーズをとりながら答えると、ザールさんはあからさまにホッとした顔をした。

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