万度祓え

 こんにゃくを噛みしめる。白だしに白みそを溶いた粕汁の味が口いっぱいに広がる。吸い物のやわらかい甘味に寄り添うような万度こんにゃく独特の食感が面白い。嚙み心地は従来のこんにゃくより歯ごたえがあり癖になる、飲み込むと葛切りよりものど越しが軽快で実に気持ちが良い。

 気づくと椀が空になる程の美味。

 次の刺身に手をつける前に、ワンカップ甘酒の封を切る。

 日帰りのドライブ故に酒が飲めないのは痛手だ。せめて気分だけでもと甘酒を買った訳だ。

 そして刺身こんにゃくをトレーの脇に盛られた辛子酢味噌に付けて頂く。

 辛子がツンと鼻の奥を刺し涙ぐむ。ちょうど良い塩梅の香辛料が効いた味噌が絡んだ万度こんにゃくは、先ほどと打って変り口の中で溶けた。雪解けを綺想させる繊細なくちどけに頬も溶け落ちそうになる。

 万度こんにゃくはどうやら冷えると柔らかく、温めると固くなるようだ今度はこんにゃくに何も付けず食べる。

 ほんのりと甘い、例えるなら搾りたての牛乳に含まれる甘さだろうか。

 甘酒と一緒に刺身をやると思わず叫びだしそうな程、格別な組み合わせだとわかる。手元に酒が無くてよかった。どうなったものか想像もつかない。

 

「いい食べっぷりですね」

 隣に座っていた30代程の男に声を掛けられる。

「ええ想像以上に美味いです」

「ここの人じゃないんですね」

「動画でこのこんにゃくを見て今日来たんです」

「そうですか、あの峠道大変だったでしょ」

「死ぬかと思いましたよ」

「電車も通ってないですしね。外に出るのは不便でたまらないですよ、余所の街に行くにはあの峠道が一番近いですから」

 苦笑いを浮かべながら男は漏らす。

 陸の孤島といったところだろうか。

「ところでこの万度芋って何なんです?」

「自分も詳しくは知りませんが、享保の大飢饉の際にこの辺りの大名が植えたと小学生の時分に習いましたね。それで土地の名前も万度畑になったとか」

「サツマイモみたいですね。この芋はそのままたべれるんですか?」

「そのままは食べれませんね。狂うほど美味しすぎて食べれないなんて昔話がある程です。子供の時分に野良犬に試しに食わせたら、泡吹いてそのまま死んじゃって、可哀そうなことしたなって泣いたもんです。実際は毒があるんですよ皮に、でも毒は熱に弱いんでこんにゃくにして茹でたら安全に食べられます」

 万度芋はフグの肝に近い珍味のようだ。

「万度こんにゃくは年中食べるんですか」

「万度は年中食べられるは食べられますが、冬が旬なので今が一番美味いですね。特に冬至の祭りに食べる万度炊きや刺身は最高です。1年溜まった体のすす汚れを落とすなんて言いますし。いい時期に来られましたよホントに」


 ――—―えずまがごせぇえずまがごせぇあっとろしあっとろしはよげぇにかえりんさい 


 男と話していると社務所の方から童歌わらべうたのようなものが聞こえてくる。

「始まりましたよ」

「何がです?」

「万度祓えです」

 歌は婦人会の面々が歌っている。そして婦人たちは青い何かを社務所の軒先に吊るして回る。よく見ると万度こんにゃくだ。

「皮ごと混ぜると青くなるんです、この辺では青は魔除けの色なんです」

 だから鳥居をはじめ様々なものが青いのか。

 軒先にこんにゃくを婦人たちが吊るし終えると、人垣が本殿の方へ移動する。

 太鼓が細かく拍子を刻むと、境内はしんと静まり返る。

 宮司と思しき人物が柏手を打ち拝礼をすると祝詞を読み上げる。

 宮司が去ると巫女が3個の白い箱を舞台へならべた。


 ――—―えずまがごせぇえずまがごせぇあっとろしあっとろしはよげぇにかえりんさい 


 囃子に合わせて歌を巫女たちが歌い始めると、舞台の下手から二首の白い獅子舞のような着ぐるみが姿を現す。

 二股に割れた頭に長い銅、三人で演じているようだ。

 上手に一番近い箱の蓋を器用に獅子舞の片方の首が開けると、もう片方が中身を取り出す。赤子の人形ひとがたを咥えた片方の首と、蓋を投げ捨てたもう片方が争うように人形を引っ張り合う。そして二つに裂けた人形を双頭が呑む。

 次に真中に置かれた箱を開けようと蛇のように鎌首を上げた獅子舞に、上手から躍り出た青い装束に身を包んだ恵比寿面を被った男が押さえにかかる。しかし抵抗虚しく恵比寿面は下手へ弾き飛ばされる。二個目の箱の中身も人形で獅子舞は美味そうに平らげる。

 最後の箱に近づく獅子舞に向かって、恵比寿面は腰みのから何かを投げつける。獅子舞の銅に首に頭にと青い斑点が現れる。青い万度こんにゃくを投げたようだ。獅子舞はもんどりを打って舞台から退散し、恵比寿面は最後の箱から赤子の人形を取り出し両手で高々と掲げる。

 万来の拍手が巻き起こり神事は終わった。


「どうでした万度祓え」

「見ごたえがありました特にあの獅子舞は」

「あれはえずまと言います。疫病神みたいなもので冬ごもりに山から下りてくると言い伝えられてます」

 来た時より冷え込んできた。

 日もいつの間にか暮れ星が見えない。

 雪でも降るだろうか。

「今夜宿は取られてますか」

「思いつきで来たので宿は取ってませんね」

「では私の家に泊まられては」

 さすがに気が引けるので丁重に断わる。

 すると男はビニール袋に入った万度こんにゃくを差し出す。

「これ持っていってください」

「悪いですよ」

「いいですいいです気に入ってもらえたみたいですから」

 半ば強引に袋を手渡された。

「ありがとうございます」

「気を付けてお帰りくださいね」

 社務所の辺りから激しく吠える犬の鳴き声が聞こえる。

 はて、犬などいただろうか?

 男に見送られる形で神社を後にする。

 空模様が本格的に怪しくなってきた。雪に降られると厄介だ急がねば。

 ナビの目的地を自宅に設定した。


 来た道を引き返し峠に入る。

 あの悪路を夜に入ると思うと気が滅入った。

 それにエアコンの利きが悪いのか車内がいやに冷え込む。

 鹿に気を付けながらゆっくりと道を上る。

 頼りないハイビームの灯りが林道の夜闇を裂く。

 峠を上り切りいよいよ折り返しだと気が緩んだつかの間、前方20メートルに白い管が道に横たわって進路を塞いでいる。

 更に近づくと直径50センチはあるだろうか、かなり太い。

 引き返そうにも坂の傾斜がきつく停車するのがやっとだ。

 困り果てていると白い何かが動いた。

 先ほどの神事にでた異形そっくりな動きをした。

 管の先を見ると途中で二股に別れ、方々がうねっている。

 管が車ゆっくりと車に近づき左右の窓それぞれから、白いかおがこちらを覗いた。

 助手席の白い万度こんにゃくが震えている。

 違う貌が左右から車を揺すっているのだ。

 赤子が入った箱を揺らすように。

 そして要らぬことを思い出す。

 

 そういえばこの車も白かったな。








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えずまがごせえ 鮎河蛍石 @aomisora

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