非日常的な卒業
「どうかしたの? じっと見つめて?」
「え……あ、いや、なんでもないよ!」
なんでもなくはなかった。鈴木は徐々に熱を帯びていく顔を隠すように、頭をかいてうつむいた。
「変な鈴木くん」
おずおずと顔を上げれば、クスクス笑う春香。その笑顔を見ていると、長旅を終えてようやく故郷に帰って来たかのような、そんな居心地の良さに包まれる。心の中に広がる不思議な暖かさ。この感覚は……。
「それで、曽良くんの調査はうまくいったの?」
「ちょ……調査?」
「調べてたでしょ、曽良くんのこと。何か分かった?」
言われてみれば、自分は曽良を調べていたんだった。いろんなことに巻き込まれ過ぎて、いつの間にやら本来の目的を忘れてしまっていた。
『がっかりイケメン』と称される藤本曽良。彼はなぜ、がっかりなのか――。
鈴木は思い出すように天井を振り仰ぐ。
「そうだな。あの人は……」
理解不能の言動。いつも何を考えているのか予測がつかない。自由気ままという言葉がぴったりあう。何かと問題を起こしては人を巻き込む。のらりくらりとしてつかみ所がない。それでも、どこか芯が一本通っている――そんなたくましさを感じる。
そして、気づけば彼に助けられているのだ。困ったときにはどこからともなく現れて、倒れたときには起き上がれるまで隣で待っていてくれる。頼んでもいないのに、知らないところでおせっかいをして、それを決して口にはしない。でも、抱えている悩みはしょうもなくて……。
鈴木ははにかんだように微笑んだ。
「あの人は……ただの『友達』だよ」
「……ただの、友達?」
「うん」と鈴木は春香を見つめて、力強く頷いた。「ただの友達」
しばらくぽかんとしてから、春香は「そっか」と満面の笑みを浮かべた。
「なんだ、がっかりだね」
冗談っぽく言う春香に、鈴木も「ほんとだよ」と気の抜けた笑みを浮かべた。
「あ、そうだ」突然、春香は目を輝かせ、ぱちんと手を合わせた。「メルアド、教えてほしいんだけど」
「メルアド?」ぎょっとして鈴木は顔色を曇らせた。「ああ、ごめん! 友達といっても、僕、藤本くんの連絡先、知らないんだ」
すると、春香は眉をひそめて困ったように笑む。
「鈴木くんのだよ?」
「……え?」
「三年間同じクラスだったんだから。連絡先知らないほうがおかしくない?」
両手を合わせたまま、髪を揺らして頭を傾ける春香。ふわりと春の香りがした気がした。
「ね?」
「あ……う、うん」
鈴木は二度ほど手を滑らして携帯電話を落とした。
完璧に舞い上がっていた。そりゃそうだ。メールアドレスを聞かれることもそうだが、まさか……三年間同じクラスだったことに、気づいてくれていたなんて。
あたふたとしながらもなんとか連絡先を交換し――中学最後の日、とうとう鈴木の携帯電話のアドレス帳に、母親以外の女性の名前が登録されたのだった。
「私、鈴木くんと週番で本当に良かったよ」
携帯電話を握りしめ、春香はやんわりと笑んだ。
「ちゃんと仕事してくれた男子なんて、鈴木くんが初めてだもん」
「そ、そう?」
「そうだよ! ほんと真面目だな、ていつも思ってたもの。他の男子にも見習ってほしいよね」
「いや……大したことしてないよ」
そうは言いつつも、顔は赤らみ頬が緩んでしまう。まんざらでもないのは一目瞭然だ。
「それに……」と、不意に春香は頬を染めて視線を逸らす。「カツアゲ、止めにはいったんでしょう? 僕に任せろ、てあの場に一人で残って……あのとき、かっこいいな、て思ったんだよ」
うるさいはずの教室が一気に静まり返ったようだった。
鈴木は呆然と春香を見つめていた。その視界の中では、色を失った世界に春香だけがカラフルに浮かび上がっていた。
三年間、田中ではなく鈴木――この自分をちゃんと見てくれていた子が、こんなにも近くにいただなんて。雪に埋もれた蕗の薹を見つけたような感覚だった。それは、突然訪れた春の気配。
「あ、あの……佐藤さん! よかったら、今度、一緒に遊びに行かない? 卒業祝い……みたいな」
無意識だった。
いったい、その言葉は鈴木のどこから出て来たのだろうか。もしかしたら、ようやく目覚めた男気の粋な計らいだったのかもしれない。
言ったと自覚した途端、鈴木の鼓動は猛ダッシュ。体中が熱くなり、握りしめた手の平には汗が滲んでいた。
突然の誘いに、「ええと」と春香は戸惑ったように視線を泳がせた。
やがて、どこか恥ずかしそうに頬を赤くし、
「ごめん。私、彼氏いるから」
ピシリと鈴木は石化したように固まった。
「じゃ」と春香は微笑み、身を翻す。「卒業、おめでとう!」
晴れやかにそう言い残し、春香は教室を出て行った。
教室の出口では、彼氏と思しき男子生徒が春香を迎え、二人は仲良く肩を並べて人ごみの中へと消えていった。
鈴木は狐につままれたような顔でその場に立ち尽くしていた。
なんだろう、このやるせない気持ち。哀しみとか悔しさといったものを超越した――虚しさ。
中学最後の日、鈴木は少しだけ大人の階段を上った。
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