非日常的な誘い

「砺波とは連絡とってるみたいなんだけどさ、俺のことはまるで避けてるみたいにメールも電話も無視するんだよ」


 それって、本気で避けてるんじゃ――言いかけた言葉を、鈴木は飲み込んだ。


「その人ってどんな人なんですか?」


 試しに聞いてみると、曽良はしばらく考えてから、


「昔から真面目で面倒見よくて……でも、ちょっと神経質だったかな」


 ストレスを抱えそうな性格だ。確信を得て、鈴木は思わず泣きそうになった。


 ――もう疲れた。


 そんなセリフを小学生が吐くとは……いったい、どれほどこの『がっかりイケメン』に振り回されたのだろうか。

 間違いない。その人物が別の中学へ進学したのは、この『がっかりイケメン』が原因なのだろう。


「そうそう」思い出したように、曽良は満面の笑みで切り出す。「なんとなく殿に似てるかも」

「僕に……ですか」


 鈴木にとって、誰かに似ていると言われるのは日常茶飯事。別に驚きはしない。


「この前、砺波に最近の写真見せてもらったんだけど……うん、似てるよ! 黒髪短髪、地味めなとことか」

「ああ、黒髪短髪、地味めなとこですか」


 さらりと流そうと思った、そのとき。黒髪短髪、地味な男の子――あまりに聞き覚えのあるそのフレーズに、鈴木は時が止まったかのように停止した。

 幼馴染の少年が、黒髪短髪、地味な男の子……。


 ――砺波の好きなタイプ、聞いといたんだ。黒髪短髪、地味な男の子、て言ってたよ。


 そのとき初めて、鈴木はイケメンの顔を殴りたくなったという。


「間違いなく、その人じゃないですかー!」


 鈴木の心の叫びが夕暮れの公園に響き渡った。


「なにが?」

「藤本さんが好きな人ですよ!」鈴木は今にも掴みかからん勢いで曽良に詰め寄る。「なんで気づいてないんですか!? 気づくでしょう、普通! 使いまわしの問題用紙に薄く答えが書かれてるくらい、ヒント盛りだくさんでしょう!」


 だが、曽良は暢気に笑って本気にする様子はない。


「なに言ってるの、殿。そんなわけないよ」


 あっさり否定され、鈴木は呆気にとられた。間違いない、と思ったのだが……曽良の言い方は自信満々。確信があるようだ。


「根拠でも……あるんですか?」

「だって俺たち三人、昔から仲良かったんだよ。三人でお風呂はいったこともあるし」

「……だからなんですか」

「だからだよ」

「……」


 曽良は屈託のない笑みを浮かべるだけで、それ以上何も付け加える気配はなかった。

 鈴木は言い知れない脱力感に見舞われて、気が遠のいた。


「もう、いいです」


 砺波をかばうようなまともなところを見せたと思えばこれだ。やはり、謎だ。このイケメン、謎すぎる。

 とりあえず、砺波に好きな人がいようがいまいが、今となっては関係ないことだろう。こっぴどく嫌われたはずだから……。


「さて」落ち込む鈴木をよそに、すっきりした様子で曽良は立ち上がった。「そろそろ行く? まだ間に合いそうだし」


 いきなりの誘いに鈴木は「は?」と聞き返す。


「間に合うって……?」

「映画」

「えいが? って、あ!」


 ポケットの中にある二枚のチケットを思い出し、鈴木はハッとした。そういえば、砺波を映画に誘うように、と曽良からもらったのだった。すっかり、忘れていた。


「でも……」と鈴木は引きつり笑顔で曽良を見上げる。「男二人で映画観るんですか?」

「俺じゃ不満?」

「不満、というか……」

「その映画、観たことあるからサ。次に何が起こるか、隣で逐一教えてあげるよ」

「それは助かる――って、ただの嫌がらせでしょう!」

「そう? 先が分かったほうが安心するじゃない」

「空気が読めない占い師ですか」


 言いつつも、ダイヤモンドさえかすみそうな眩い笑顔を見上げて、鈴木は思い直す。

 よく考えてみれば……目の前にいるのは、あの『がっかりイケメン』。性別も関係なく、学校中の羨望の眼差しが向けられる憧れの的。そんな彼と映画を観に行くなんて、鈴木の平均的な人生に起こるはずもなかった大革命だ。

 学校中――いや、『がっかりイケメン』を知るこの地域一帯の女子が夢見るビッグイベントが、まさか自分に舞い降りてくるとは。

 きっとこれは最後のチャンスだ。卒業したら、もうこの『がっかりイケメン』と会うこともなくなる。明日の卒業を前に、最後の非日常を堪能したって罰は当たらないだろう。


「藤本くんと映画を観たなんて知れたら、学校中の女子に袋叩きにあいそうですけどね」


 冗談っぽくそう言うと、曽良は怪訝そうに「なに、それ?」と眉根を寄せた。


「なんでもないですよ」鈴木は照れたように笑って、すっくと立ち上がった。「そうですよね、せっかくだし……行きましょうか」


 ――そう。明日の卒業で、『がっかりイケメン』ともよっちゃんたちともお別れ。一昨日、ひょんなことから『がっかりイケメン』と知り合って始まった鈴木の非日常も終わりを告げる。そして、特に高校デビューをするわけでもなく、また鈴木の平均的な日常が始まるのだろう。


 卒業するのが急に寂しく思えた。

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