非日常的な保健室
――お花見してる場合じゃないでしょう!
鈴木はその一言を、安直だった、と振り返る。
あの一瞬で、彼は曽良が見つめる先を桜の花だと決めつけてしまった。あの瞬間、彼は自らを思いこみという罠にはめてしまったのだ。もし、あのつっこみさえなければ、気づけていたかもしれない。一呼吸置いて冷静に考えていれば、悟れたかもしれない。曽良が見つめていたのは蜂の巣で、うまくモヒカンに刺さるように距離の計算をしていたことに――、
「気づくかーっ!」
瞼をくわっと開いて鈴木は飛び起きた。
「て、あれ? ここは……」
いきなり消毒液の匂いが鼻腔を刺激して、鈴木は顔をしかめた。
どこか遠くから、合唱する声が聞こえてくる。さようなら、という歌詞。卒業式に歌う曲だろう。
周りを取り囲む白いカーテン。パリパリに硬い、他人行儀のシーツ。そして、暖かみのない毛布。そのどれもが、記憶に新しい。自然とため息が漏れていた。
「またか」
鈴木はがっくりと頭を垂らした。それに応えるように「よお」と隣から野太い声が聞こえてくる。
「追いかけてきた蜂から逃げようとして転んで頭を打ったんだとよ」
「あぁ……なるほど」
とりあえず、蜂に刺されたわけではないということか。
それにしても、二日連続で頭を打って保健室に運ばれるとは。しかも、目を覚ませば隣にリーゼント。鈴木は鼻で笑った。やれやれ、昨日と全く同じだ。
「って、リーゼント、ちがーう!」
鈴木は思わず、傍らに佇む人物を指差して叫んでいた。がっしりとした体格の、中学生とは思えない老けた……いや、貫禄のある顔立ちの少年。その迫力のある風貌と古めかしいリーゼントは、忘れることなどまず不可能。まして、夕べ、恋愛相談など受けてしまってはなおさらだ。
「うるせぇな。頭打っておかしくなったのかよ?」
もはや、そう願いたい。――ぎろりと鋭い目つきで睨まれ、鈴木は強く思った。
どうなっている。なぜ、ここにリーゼント・ラガーマンこと、よっちゃんがいるのだ。ここまで昨日と同じ流れできていて、なぜそこがリーゼントである必要がある?
もう曽良と関わりたくはない、と思っていたはずなのに、鈴木は無意識に曽良の姿を捜していた。しかし、保健室に人気はない。四つあるベッドで、右から二つ目を鈴木が使っている。あとは空っぽ。寂しいものだ。いや、保健室に人がいないのはいいことか。養護教諭までいないのは妙だが。
とりあえず、頼りになる人物はいない、ということだ。ここは自分ひとりで切り抜けなければ。
「あ、あの、ど、どうして、ここに?」
頬をひきつらせ、鈴木は訊ねた。これでも勇気を振り絞っている。声が出てきただけでも自分を褒め称えたいくらいだ。
「決まってるじゃねぇか」にやりとよっちゃんは怪しく笑んだ。「話は全部聞いたぜ。俺のダチが迷惑かけたらしいじゃねぇかよ。その謝罪だよ」
「め、迷惑だなんて……」
まさか、これが所謂お礼参りというやつか。鈴木の背筋に悪寒が走った。
「二人とも蜂に刺されまくってよ。さっき早退してったよ」
よっちゃんはゆらりとベッドに近寄って、第二ボタンが欠けてできた学ランの隙間に手を差し入れた。
鈴木は目を見開いて固まった。さあっと顔が青ざめる。
いったい何を取り出すつもりだ。内ポケットに忍ばせた不良の七つ道具か。鈴木の頭に浮かぶのはあらゆる凶器。チェーン。ナックル。バリカン。ハサミ。まさか、ナイフ?
「蜂の巣の件は、重力のせいといいますか……落ちるべくして、落ちた、というか」
あたふたとしながら鈴木は必死で弁解を始めていた。両手をはためかせ、まるで飛び立つ鳥のよう。
無論、よっちゃんを説得できるとは思ってはいない。せめて時間を稼げれば、「殿じゃないか~」という暢気な声が聞こえてくる気がした。しかし――、
「目障りな藤本曽良は生徒指導室で尋問中だ。邪魔しには来ねぇ」
鈴木は見事に撃ち落とされた。こうなってはもう、まな板の上のスズキである。
「つまり」と、よっちゃんはするりと学ランから手を抜き出す。「心置きなく、たっぷりお前に礼ができるってわけだぜっ!」
「ひいっ」
よっちゃんが取り出したものを確認するより早く、鈴木はとっさに頭を抱えてうずくまっていた。その脳裏によぎったのは、お歳暮に舌打ちする母の姿。
「お気持ちだけで結構ですーっ!」
ひょんなことから関わってしまった不良に保健室でめった打ちにされ、鈴木は結局卒業式にも出れずに中学生活を終えることとなったのだった。後々、クラスメイトたちからは「目立たない普通の人だったのに」と残念そうに語られることになる。
その様子がまざまざと思い浮かび、鈴木は固く瞼を閉じる。
そんな目に遭うくらいだったら、平均的に中学生活を終えたほうがまだマシだった。なんでこんなことに? ああ、くそう。昨日、ここでがっかりイケメンと出会ったばかりに。ここであの少年と出会わなければ――。
鈴木の頭の中を流れ行く後悔混じりの恨み言。果たして、その流れをせき止めたのは、予想だにしない言葉だった。
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