非日常的な回し蹴り
「上? 上から降ってきたの? なんで? なんで木の上にいたの!?」
「いやぁ」と、曽良は朝にふさわしい清々しく爽やかな笑顔を浮かべる。「ハチミツ取りに来たんだよぉ」
「ああ、ハチミツですか。って、どこぞのクマですか、あなたは!?」
そういえば、昨日も「一緒にハチミツをとらないか」と不良たちにそそのかされて呼び出されたのではなかっただろうか。
鈴木は頭痛のようなものがした。
まさか、あの不良たちの嘘をまだ信じていたとは。蜂の巣なんかあるか。
「おいおい、俺たちをシカトしてんじゃねぇぞ」
そういえば、自分は不良にからまれているのだった。突然、イケメンが降ってきたもので、うっかりしていた。
後退ってしまったことにプライドが傷ついたのか、モヒカン頭はひどく憤慨しているようだった。鼻の穴をひくつかせながら、パキポキと指を鳴らして、曽良に歩み寄ってくる。その隣では、長髪の中級イケメンが「やっちゃえ、はるちゃん」と囃し立てている。どうやら、モヒカン頭ははるちゃんと言うらしい。
任せとけ、と言わんばかりに、はるちゃんは右拳を天に掲げた。
「藤本曽良。あとでお前のとこにも挨拶に行こうと思ってたんだ。手間がはぶけたぜ。飛んで火に入る夏休み、てなぁ」
ああ、それはとても暑そうだ。鈴木はそう言いたいのを、ぐっと抑えた。
それにしても、当たり前のように話が進んでいる。曽良が桜の木から降ってきた事実は気になっていないようだ。鈴木は彼らが羨ましくさえ思えた。
「昨日はよっちゃんの手前、黙って退いたがな、今日はそうはいかねぇぜ」
曽良の目の前で立ち止まり、はるちゃんはステップを踏み始めた。
「はるちゃんはボクシング習ってんだからな。イケメンもこれでおしまいだぜ。今のうちにそのきれいな顔を写真に残しておけよ」
中級イケメンが自慢げにけらけら笑っている。自分のことでもないのに鼻高々だ。相当仲がいいのだな、と鈴木は感動すら覚えていた。
しかし、のんきに状況を分析している場合でもないだろう。はるちゃんは軽やかにステップを踏みつつ、右拳を顎の前に、左拳を目の前に構えている。様になっている。ボクシングをやっているのは本当らしい――鈴木でもそれが分かった。
確かに、昨日、曽良はよっちゃんを一本背負いでふっとばしたが、どこまで柔道の心得があるのかは未知数だ。
「藤本くん、大丈夫なんですか?」
遠慮がちに背後から声をかけるが、曽良は振り返る様子もない。「ふぅむ」と悩ましげな声を漏らして桜の木を見上げるだけ。
「お花見してる場合じゃないでしょう!」と、鈴木はたまらず叫んでいた。
「よそ見してんじゃねぇよ!」
言わんこっちゃない。はるちゃんの目つきが変わった。ステップが乱れ、その間隔が縮まる。
鈴木は慌てて曽良のひじをつかみ、
「藤本くん、ここは逃げたほうが――」
「殿はさがってて」
「え?」
聞き返す暇もなく、いきなり、景色がびゅんと流れた。
気づけば、宙に浮いていた。曽良に胸倉をつかまれ、横に放り投げられたのだ。あまりのことに、声も上げられなかった。
どさり、と地面にしりもちをついた鈴木の視界の中で、はるちゃんが曽良に殴りかかる。
ひゅおっと空気を切り裂くはるちゃんの右ストレート。その気流に乗って、桜の花びらが螺旋を描いて舞った。
殴られた。――少なくとも、鈴木はそう思った。
それほど、紙一重だったのだ。
ひらりと舞う木の葉のように曽良は身を翻して、はるちゃんの右ストレートをやりすごし、その回転を利用して、背後の桜の木に思いっきり回し蹴りを食らわした。びりびりとその振動が地面を伝わって鈴木の手に届いてくるようだった。すさまじい脚力だ、と傍から見ただけでも分かった。
しかし、なぜ、桜の木? 「へ」と、その場にいた誰もが間の抜けた声を漏らした。
桜の木も驚いたことだろう。不満を声に出す代わりに、枝を大きく揺らして葉を鳴らしている。
と、次の瞬間だった。ぐしゃり、と妙な音がした。「ぬ!?」とモヒカン頭の唸り声が続く。そして、モーター音のような不快な振動音が辺りに木霊する。
「な……」
鈴木はその信じられない光景に硬直した。
モヒカン頭の針山の先――そこに楕円形の塊が突き刺さっていたのだ。その周りを、大量の黄色い何かが飛び交っている。突然の引越しに大騒ぎのようだ。ブンブン、ブンブン、と不平不満が飛び交っている。
モヒカンに突き刺さっているもの。間違いなく、蜂の巣だった。
「嘘からでた真ー!?」
鈴木は目をむいて、叫んでいた。
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